「教育コスト」見直してみませんか?過大な固定費が引き起こす3つの硬直化
お疲れさまです、uni'que若宮です。
今日は教育コストの問題について書きたいと思います。
高騰を続ける教育コスト
2人の子を持つ親なので、教育のことについては色々考えることがありますが、進路もその一つ。
中学受験や塾について調べてみたこともあるのですが、例えば首都圏の私立の中学とかだと年に140万円くらいかかるようです。
1年に換算すると、平均で年間140万円という計算になります。
一方、公立中学は3年間で約133万円程度です。公立中学3年分の費用と私立中学1年分がほぼ同じという結果になります。3年間の総額だとその差は約287万円になります。
平均がそれくらいで、こちらによると最も高いところではなんと年間280万円(!)
こちらの記事によると子育て世代の世帯年収は平均値で739.8万、中央値は648万円くらいらしいので、学費だけで月に子供ひとりあたり10万円以上の出費というのはなかなか厳しいですよね。また、受験をするために塾に通えばさらに月数万円がかかります。
参議院から出ているデータ(『経済のプリズム』第170号(平成30年7月) 「グローバル経済と地方創生/子どもの教育費」)によると↓
家計の教育費支出は減少傾向にあるものの、それを上回るスピードで子どもの数は減り続け、 1970 年の 3,188 万人から 2017 年には 2,034 万人へと約 1,200 万人の減少、割合で は約 36%も減少している。その結果、一人にかかる教育費は 2.4 万円から 37.1 万 円へと増加し約 16 倍になったことがわかる。
少子化が進む一方で一人あたりの教育費は上がっていっています。因果関係としては双方向あると思いますが、「子供が少なくなったのでひとりの子により多くお金がかけられるようになった」というだけでなく、「教育費がかさむので少子化が進んでいる」面も確実にあるでしょう。
日本は教育コストの公費負担が低く、家計を圧迫
次に国際的に比較してみると、日本は特に教育コストの「家計負担」がとくに大きいことがわかります。
公財政支出と家計支出を合わせた児童・生徒・学生1人当たりの年間教育支出は、OECD平均の1万1231ドル(米ドル換算)に対して、日本は1万1896ドルで遜色ない水準(2017年)
なのですが、OECD平均ではこのうちの9524ドルが公的なお金で賄われているのに対し、日本は公金負担は8487ドルしかなく、結果として家計の負担が大きいのです。
日本は家計からの教育支出が3409ドルと多く、米国(5814ドル)、英国(4665ドル)、オーストラリア(4505ドル)に次いで4番目になり、教育に対する家計負担が重いことが分かる。
こうした教育コストの増大傾向は、いくつかの点で社会や家庭の硬直化を引き起こしているように思います。
教育コストが起こす硬直化①:教育格差と親のお買い物
まず教育費家計負担が大きいと、年収によって教育機会に格差が生まれます。
(OECDの調査で「教育に対する家計負担」がトップである)米国では教育格差は非常に大きく、「能力主義」を謳いつつも実は親の収入で学力が決まってしまい、世代間での格差の流動性が低く固定化してしまっている、とマイケル・サンデル氏は指摘しています。
こうした状況では、教育の選択肢の主体は親になってしまっているといえるかもしれません。すこし強い言い方をすると、教育が親の「お買いもの」になっている。米国ではそれを象徴するように、金持ちの親がお金で不正に学歴を「買っていた」という大きなスキャンダルがありました。学歴がブランド化し、有名私立に入れることは子供の教育のためというより親のステータスになっているわけです。
とはいえ、日本では公的教育が安価に受けられますから、教育が全く受けられない、というケースはあまりないかもしれません。ただ、公立学校では教育の自由度があまり高くなく(校則や内申点など)旧態依然とした教育が続いている問題もあり、より良い教育を求めるなら「私立」や「インターナショナルスクール」しかない、と考える親も少なくありません。しかし親の収入によってはそもそもこうした選択肢を取れないわけで、(本人の能力に関わらず)教育に格差が生まれてしまいます。
教育コストが起こす硬直化②:「受験」という競争のための競争
また、教育コストの増大は「受験」偏重の教育ともつながっています。公立の学校に通っていても「受験のためにもっと勉強が必要」と学習塾や予備校に通うケースは多いでしょう。
こちらの記事↓によると塾・予備校市場はここ10年以上拡大傾向にあります。
https://www.tanabekeiei.co.jp/t/fcc_magazine/2020/20196.html
少子化で子供の数は減り続けているわけですから、これはすなわち一人あたりの教育コストが増大することで賄われていることを示します。
塾の経営の側から考えてみると、少子化で「お客さん」の数が減ると競争は激化してしまいます。実際、倒産件数も増え続けており、減っていくパイを巡る取り合う厳しさが観られます。
ところが、ここで奇妙なことが起こっています。普通競争が激しくなると価格は低下するのですが、そうなっていないのです。顧客が減っているのに顧客単価はあがっている。
こうした顧客単価の上昇には「受験の低年齢化」が関係しているようです。塾は受験のためには早くから準備をする必要があると(やや恐怖訴求的に)親たちを焚き付け、受験の競争を激化させます。みんなが早くから準備をすることで受験の倍率や難易度はあがり、さらに早くから準備が必要となる、というループです。(逆に言えば、みんなが受験対策をやめれば受験のためのコストは下がるはず)
教育コストが高くなった分、それが子供にとって本質的に良い教育のために使われているのであれば良いと思うのですが、受験という競争のための競争のための教育では、子供の理解や思考力を養うよりテクニックやハウツーの割合が多い気がします。こうしたことを小さな子供のころから訓練することに本当に意味はあるのでしょうか…。ここでも大人の都合でこどもが振り回されてはいないでしょうか?
少子化が続く中、「受験」ビジネスはある種「バブル」状態になっているとみることも出来るかもしれません。少子化がさらに進めば志願者数は減ってきますから、今は加熱した競争と倍率によってインフレしている偏差値もやがて下がり、「学歴」の価値が相対的にさがってくることも予想されます。
前述のように、半ば「親のお買い物」となっている学歴は本来の能力に必ずしも比例するものではないですし、不確実性が高い社会では「正解がある受験レース」の上位であることは仕事のパフォーマンスにもあまり相関しなくなってくるからです。
果たして「受験」のために支払われる高いコストは、こどもたち自身の未来にとってそれだけの価値があるでしょうか?
教育コストが起こす硬直化③:選択肢と柔軟性の低下
「人生100年時代」「個性の時代」と言われます。こうした時代への変化を見据えると、教育にこそ柔軟性が必要ですが、ここでも教育コストの高さが足かせになりかねません。
教育費は基本的に固定費です。家計の中で月に10万円を超えるような固定費が必要になるというのはかなり重い負担ですし、数百万円以上の大きな金額が3年とか6年とか10年という長い間、ロックされます。
事業では固定費の比率が増えるとそれが重しになって戦略の転換がしづらくなりますが、これは家計においても同様です。お金と時間という大きなコストをいちどきに投入すればするほど、(たとえのちのちこども本人が望んだとしても)学校や進路を変えるのが難しくなるでしょう。
親としても月に10万円を超える固定費がかかるとなれば、余裕がなくなります。日本経済の縮小がほぼ確実で、親の年収も右肩あがりでは伸びてはいかないどころか減収になる可能性も少なくない中、固定費は家庭にも閉塞感を生んでいます。
こうした状況では親が新しいチャレンジをする機会も奪われますし、年収を維持するため若手や女性に「席」を譲ることもできず、保守的な傾向が強まります。業務を効率化するどころか教育コストを賄うために残業で稼がねばならず、結果として育児や子供の教育に直接関わる時間もなくなってしまいます。
月に10数万円という固定費とそれを賄うための親の労働、そしてテクニックの反復のための子供の勉強時間。「受験」と引き換えにこれらは重しのように家計と社会にのしかかっているのです。
もし、この固定費がなかったらどうでしょうか?月に10万円分の固定費の負担がなければもう少しゆったりと家族で過ごすことができるかもしれませんし、親も子供ももっと色々な可能性を開くことができるかもしれません。
こうしたことを書くと受験を頑張ったご家庭からは反感を買ってしまうかもしれませんが、念の為言っておくと僕は勉強することを否定していませんし、「受験」も悪だとも思っていません(僕自身大学に二回も行った口です(苦笑)し、こども本人が受験したいというならそれを応援するつもりでもいます)。目標があることで頑張れるところもあるでしょうし、そこで身につけた知識が役立つことももちろんあるでしょう。
ただ、今の状況はじゃっかん加熱し過ぎな気がしますし、それが競争のための競争のためでは意味があまりなく、本人の意思もはっきりしない幼年期にそのレールに乗せるのではなく、学びたくなったときでも良いのではと思っています。なので本来の「学び」として考えた時に「受験」とそのために高い教育コストをかけることがよいことなのか、改めて見直してもよいと思うのです。
学びたいなら、今では色々なオンラインのプログラムもあります。
YouTubeで量子力学だって学ぶことの出来る時代ですが、東大の講義が無料で受けられるUTokyo OCW↓や
海外の有名大学の授業だって受けることができます。
あるいは勉強だけでなく、サービス開発や起業を体験できるようなプログラムもあります。
大きなお金と時間を固定費にするよりもこうした様々な学びの方法をタイミングと本人の関心に合わせて組み合わせる方がより柔軟な教育や学びを提供できるのではないでしょうか。
しかし、こうした選択肢があってももしかしたら多くの親はやはり「受験」を選ぶかもしれません。それはやはり、学びや教育の内実よりも名目=「ブランド」の方を大事にしているということではないのでしょうか。
「受験のための教育コスト」を改めて見直してみませんか?
コロナ禍でマスクやトイレットペーパーの価格がつり上がりました。多くの人がばかばかしいと思いつつも、不安と「自分だけは困りたくない」と考えることからこうした集団的な誤謬は起こります。
みんなが走っている時に自分だけレースをやめるというのは勇気がいることかもしれませんが、こうした誤謬に加担するのではなくみんなが冷静になれば「学歴レース」のための「教育コストの高騰」も抑えられ、もう少し多様な教育の可能性が開けるのではないかという気がします。
もしかすると、相変わらず「学歴」や「受験」、「偏差値」に囚われているのは親や学校・塾、そして企業という「大人たち」であり、子供たちのための教育になっていないのかもしれない。
果たして高騰する教育コストが「子供たちの未来にとっての教育」に本当に意味がある形で使われているのか、より有意義で柔軟な教育のあり方はないのか、改めてみんなで見直してみるべき時代にますますなってくる気がします。
僕自身もまさに今なう子育て中の一人の親として「固定費」としての教育コストを見直し、いろいろな選択肢を子供と対話しながら探っていきたいなと思っています。
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