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春になると思いだす言葉

今年もまた桜の季節が巡ってきた。この時期は、卒業したり入学したり、また就職したり転勤したりといった、人生の節目を迎える人が多い季節でもある。

もうずいぶん昔のことになるが、浪人して予備校に通った末に大学に入学した。合格して予備校を卒業する時に、合格祝いとしてもらったテレフォンカードに書かれた言葉が今でも記憶に残っている。

祝合格。
人間、満足したらそれまでだ。
ハングリーよ、永遠に。

そのテレホンカードは使わずに取ってあるはずなのだが、探し当てることができなくて、画像を載せることが出来なかったのは残念だ。

この文章を誰が考えたのかはわからない。おそらく予備校の職員さんか、講師のどなたかが考えたものなのではないかと思うけれど、誰が書いたものなのかは、今でもわからない。

この言葉は、その後ずっと自分の中に残り続けていて、今も、特にこの春の時期になると必ず思い出す言葉だし、また、自分が何か新しいことをするのか踏みとどまるのかを考える場面では、必ず思い起こされる言葉だ。

テレホンカードというもの自体も、既に過去のものと言ってもよいだろう。また、ここで使われた「ハングリー」という言葉も、現代にはあまりなじまない言葉のようにも思う。しかし、スティーブ・ジョブズ氏が伝説のスピーチの中で「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」と語ったことは有名であるが、このテレホンカードの言葉は、彼がこのスピーチをするよりもはるか以前に書かれたものなのだ。「ハングリーよ、永遠に。」とは「ステイ・ハングリー」の的確で素敵な翻訳だと思う。いや、正確にはその逆で、「ハングリーよ、永遠に。」の英訳が「ステイ・ハングリー」なのだ。

https://www.nikkei.com/article/DGXZZO35455660Y1A001C1000000/

「満足したらそれまでだ」と、合格した喜びに浸っている人間に対して、この言葉は突きつけてくる。自分なりに解釈すると、何かを達成したことに対してその喜びに浸り満足を覚えることが悪いわけではない。むしろ、その満足を感じることは大切だ。ただし、それは一時的なものにとどめ、次のチャレンジに向けてまた動き出せば、それ以上の可能性があるのだということを訴えかけてくる気がする。この言葉が、正気に引き戻してくれて、次に向けて動きだすために背中を押してくれる気がする。

初めてこの言葉を受け取って30年以上経つ今になっても、ことあるごとに、自分に対して満足するな、ハングリーであれ、と、チャレンジがどこからか降ってきて、それを選ぶのか選ばないのかという選択を迫られているように感じることがある。これは自分が時を経ても試されているのだなと思う。

もちろん、チャレンジを選ばないことも一つの選択なのだが、あの時に受け取った言葉がその後の自分の選択をチャレンジする方に決め続けていて、ひょっとすると、まだこれからもそうなのかもしれないと、今年の満開の桜を見上げながら思った。

#大切にしている教え

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