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転勤は「ある・なし」の二元論で語ると本質を見失う(日経COMEMOテーマ企画)

今回は、日経COMEMOテーマ企画である「#転勤は無くなるのか」について考えてみたい。


転勤は「キャリア」と「居住・移転の自由」をトレードオフにする

先日、ある女子学生の就職相談でこんな悩み相談があった。

「県外で働いている恋人と結婚を予定していて、相手の住んでいる県で就職を考えている。でも、新卒採用ではどの会社も転勤ありきだから、結婚しても単身赴任になるかもとおもうと就職先が見つからない。転勤がない仕事だと、やりたいと思えない仕事だ。しかも、所縁のない土地の会社に申し込むので、なぜここで働きたいのかと聞かれ、結婚を考えていると言うと露骨に嫌な顔をされる。結婚とキャリアは両立させてはいけないのですか。」

さて、このような相談に対して、みなさんはどのような答えを言うのだろうか?

もし結婚を考えている相手が都心で働いているのであれば、まだ選択肢があるのかもしれない。しかし、地方都市の場合、女性のキャリアは「転勤なし」を条件にすると選択肢が大きく限られる。

日本の現状は、女性が学生時代の恋人と結婚を考えているとき、かなりの割合でキャリアを諦めざるを得ない状況に陥ることが多い。相手の男性が総合職で就職したときに、相手がどこで働くのかわからないため、女性は仕事で頑張るという選択肢を放棄する。しかも自ら喜んで選択する。この心理状態は、平野 光俊・江夏 幾多郎著『人事管理―人と企業,ともに活きるために―』(有斐閣、2018年)にて理論的な解説がなされている。女性の転勤に男性がついてくるという選択肢もないことはないが、歴史的背景を踏まえるとそうそうある状態ではない。

新卒採用で総合職に就こうとおもうと、学生人気のあるほとんどの企業で「転勤あり」という条件が課される。それが受け入れられないならば一般職や地域限定職として勤務せざる得ない。女子学生だけではなく男子学生にとっても、自分で住むところを決めることができない、という状況に思い悩む姿を見かける。多くの学生にとって、「居住・移転の自由」と「職業選択の自由」はトレードオフの関係にあるのが実情だ。

このような現状への不満を裏付けるように、AIG損保が「全社員、転勤命令なし」を決定したところ、新卒採用の応募が10倍に膨れ上がった。学生にとって「転勤なし」がどれほど魅力的な条件か浮かび上がった好事例だ。


「一律、転勤なし」は軽々に判断できない

学生だけではなく、転勤は既に働いている従業員にとっても大きな問題だ。子供の教育や配偶者の仕事、親の介護などの家庭の問題で、転勤を命じられたときに素直に応じられない者は多い。単身赴任は、個人の幸せも減退させるし、家庭崩壊の切っ掛けにもなりかねない。転勤が原因で、離婚したり子供がグレても会社は責任を取ってくれない。また、「家を買うと転勤を命じられる」という都市伝説もよく聞かれる。

こうやって個人目線で見てみると、会社都合の転勤は個人の権利を侵害しているようで、悪しき慣習のようにも見えてしまう。しかし、これだけ長い期間、多くの企業に広まった制度であるということは、そこに合理性があるということだ。ここでは、転勤にまつわる3つの合理性について論じていく。


転勤の合理性 その1:人手不足の問題

もし貴方が、インスタント食品会社の人事部員で「九州の過疎地域のスーパーを担当していた営業パーソンが急に退職してしまった。人員を至急補充して欲しい。」と現場から言われたら、どのように対処するだろうか。

できることなら、すぐに補充人員を採用したいところだが、九州の過疎地域では営業パーソンを一人雇うのも容易ではない。都市部で募集しても、過疎地域を担当したいと言う人は少ないだろう。

また、貴方が企業経営者だとして、関連子会社の経営が上手くいかずに破綻しかけていたとき、どのような方法で立て直しをするだろうか。高額の報酬を用意して、事業再生のコンサルタントに依頼をしたり、プロ経営者をヘッドハンティングするだろうか。それだけの余裕がある企業経営ができていれば良いが、多くの企業はそこまで資金力がないだろう。

このように、急な欠員補充や高度な専門性を有した人材が必要となったときに、社外から人材獲得ができないのならば、社内から充足するしかない。

ここで言いたいことは、転勤は複数ある人材獲得方法の中の1つのオプションに過ぎないということだ。そして、一般的に人材獲得は社外から採用するよりも、社内から異動で賄った方がコストがかからず、経営の難易度も低い傾向にある。経営の難易度が低いと言うと、異動の担当をしたことのある人事経験者は反発を持つだろう。人事業務の中で最も難易度が高く、エネルギーを使う業務の1つが定期異動の差配であるためだ。しかし、見方を変えると、大変なのは人事部の中でも一部の担当者だけで、それ以外の人にとって異動は天の声であって、特別な業務は発生しない。欠員補充を採用や従業員の自由意志だけで賄おうとすると、管理職のマネジメント能力の向上や全従業員のキャリア教育など、大きなコストが必要となる。

調達が容易な大都市で人材を採用し、調達が困難な地方に人材を送り込むほうが効率が良い。ましてや、日本は外部労働市場と呼ばれる、転職をしたいと考えている人材の量と質の双方において成熟しているとは言えない。そのため、人材獲得の有効な手段として、転勤の優先度が高くなっている。

転勤肯定派の方の言説を見ていると、この人材供給の調整弁として転勤は不可欠な制度であると主張することが多いようだ。


転勤の合理性 その2:人材育成の問題

転勤は、人材育成の機会としても活用される。人材育成の手法には研修や自己啓発などの様々な方法があるが、最も基本となるのは「実際に仕事に従事して経験を積むこと」にある。そのため、従業員の質を高めるためには、様々な仕事経験を積ませることが有効な手段となる。

日本的経営の特徴の1つに、企業特殊的技能を重視したゼネラリストの育成を志向するというものがある。企業特殊的技能とは、業務を遂行する上で汎用性のある技能ではなく、特定の企業内でのみ有効な技能を指す。例えば、役員間の人間関係や派閥関係、業務を進めるうえでのローカル・ルールなどが例として挙げられる。一方、ゼネラリストとは、特定職種で高い専門性を発揮するスペシャリストの対比となる言葉で、深い専門性はないものの多様な職種をこなすことができる人材だ。多くの日本企業では、競争優位の源泉を「企業特殊的技能を重視したゼネラリスト」であると規定していると。そして、企業特殊的技能を重視したゼネラリストを育成するのに、会社都合の異動は相性が良く、転勤制度は支持されてきた。

もし、転勤制度がなくなるのであれば、企業は競争優位の源泉として「企業特殊的技能を重視したゼネラリスト」を維持し続けることが困難になるだろう。企業特殊的技能を重視したゼネラリストを育成するには、全体を俯瞰して、都度必要な業務経験を積ませる計画性が必要となるためだ。自分で自分の育成について考えた時、会社全体の状況を俯瞰しながら能力開発について計画を立てることは難しいし、個人的なメリットもあまりない。なぜなら、企業特殊的技能を重視したゼネラリストは転職したときに市場価値が評価されにくく、個人の目線からは一般的技能と高度な専門性を有したスペシャリストの方がキャリアを構築する上でのリスクが少ないためだ。

また、人材育成目的の中には、マンネリ化を防ぐと言う意図もある。長期間、同じ職場で働いていると変化がなくなり、仕事に全力で打ち込もうという意欲や自己啓発していこうという向上心がなくなってくる。ひどいときには、手抜きをしたり、仕事上の付き合いがある業者と癒着関係を築くなどコンプライアンス違反を起こすこともある。このように、従業員の仕事に対するモチベーションを上げ、能力開発を促すためにも転勤は使われている。


ここまで述べてきた2つの合理性は、転勤制度の未来をテーマとしたリクルートワークス研究所の機関誌『Works 134号』でも取り上げられている。特集では、ここでは人材育成の中にまとめたマンネリ化の防止を独立させて、転勤が必要な3つの理由として紹介している。


転勤の合理性 その3:事業戦略の問題

転勤の合理性として、最後に注目したいのは事業戦略上の理由による転勤だ。経営幹部候補である従業員に、子会社の経営経験を積ませたり、新工場設立のときに専門家集団を送り込んだりする。特に、グローバル市場で存在感を発揮している製造業では、海外で新たな生産拠点を立ち上げ、工場生産を安定軌道に乗せる専門家集団を抱えていることが多い。彼らは、新たな生産拠点の立ち上げが立案されるとチームとして編成され、現地に送り込まれる。その機動力の高さと優れた専門性から、落下傘部隊とか空挺部隊と呼ばれたりもする。彼らは当然、転居を伴う異動が課せられることになり、もし拒否されると新工場立ち上げの成功確率を大きく損なうことになる。まさしく事業戦略上、重要な転勤だ。

そして、この合理性は会社都合の異動が比較的少ないとされる欧米企業でも見られる。欧米企業は残業や休日出勤をせず、個人の自由意志を尊重するように思われていることが多いが、経営の中枢に携わるようなエリート層になると、苛烈に働き、世界中を仕事で飛び回るようなワーク・スタイルも珍しくない。

例えば、日本よりも平均勤続年数が長い傾向にあるフランスやドイツの大企業だと、従業員の8割が新卒からの生え抜きで構成されているというケースも少なくない。このような企業では部長級以上の精進条件の中に海外での勤続経験を課しているところも珍しくなく、幹部候補の従業員に海外赴任が命じられる。幹部候補生に海外赴任が課されるというのは、米国でも見られる。

海外駐在員研究で著名なINSEADのスチュワート・ブラック教授は、このような事業戦略と海外赴任(International Assignment)を結び付ける重要性について論文や著書にて繰り返し主張している。


転勤は「人事制度の個別化」で対応する

企業側の目線から見ると、転勤制度には合理性がある。もし一律でなくせば、人員調整のコストは高まり、人材育成の選択肢を減らし、仕事に対するマンネリ化を増長させ、事業戦略における重大な職務割り当て(アサインメント)ができなくなる。

一方で、個人側の目線から見ると、転勤制度は自分で自分の人生を設計することを阻害する。転勤があるために、子供の育児・教育や親の介護で問題が発生する可能性がある。不動産を買うことのリスクも高まる。また、特定職務の専門家になりたいと思っても、転勤で部署が変わることで、望んだ専門性を高めることができないという問題もある。自分で自分の人生が決められないのであれば、誰も自律的にキャリア開発しようとは思わない。そして、受け身の従業員が増えると、企業内の人材の質は低下する。

それでは、このような状況の中で、転勤制度をどのように扱うべきだろうか。未来を考える上での重要なキーワードは「人事制度の個別化」だ。人事制度の個別化とは、従業員一人一人の状況と照らし合わせ、配置・配属、能力開発、評価、報酬などの人事制度をカスタマイズできるようにすることだ。既存の制度で近しいものは、福利厚生のカフェテリア制度がイメージとして近い。

これまでの人事制度は、基本的に全従業員一律で処遇を決めてきた。会社としての全体性と一体感を競争優位の源泉とするのならば、人事制度を一律のものとするほうが適していた。特に、ベルトコンベア式で製品を作り出すような、労働集約的な性格の強いビジネスと相性が良い。

しかし、個人の創造性や多様性を活かそうと思うと、一律で管理された人事制度は相性が悪い。そのため、90年代後半のヒューレット・パッカードでは、社内のすべてのポジションを公開し、従業員が自由にやりたい仕事を選ぶことができる社内公募制を推し進めた。当初はなかなか普及しなかった社内公募制も、IT技術の発展によってハードルが下がり、今や珍しいものではなくなった。そして、AI技術の人事領域への応用(俗にいうHR tech)は更なる「人事制度の個別化」を可能にする。

「転勤制度の個別化」では、従業員は自分が転勤できる状態にあるかどうかを自由に意思表示することを可能にする。そして、AIが従業員の意思表示を勘案して、最適な配置・配属のプランを提示する。人事部の異動担当は、AIの提案を踏まえたうえで、異動の最終的な意思決定を行う。また、ポジションや職務の質に応じて、AIが事業戦略上、転勤が必須なポジションかどうかを評価する。転勤を出世のための踏み台にしたり、愛社精神を試すリトマス試験紙にするような、漫画やドラマの悪役のような真似はしなくてもよくなる。

欧米型の仕事に人を付けるジョブ型の人事であっても、伝統的な人に仕事を付けるメンバーシップ型の人事であっても、個人の状況を踏まえた「人事制度の個別化」ができるかどうかが、今後、人材を企業競争力の源泉とできるかを分けるだろう。




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