アラームを鳴らすのは金利ではなく為替 ~為政者に市場の思いは届くか~
指値オペ、金利水準より為替水準に課題
世界的な金利上昇圧力に押されて、日本国債の金利も押し上げられています。10年金利は0.20%台で定着し、イールドカーブコントロール(YCC)の許容上限と見られる0.25%に接近しつつあります。2月10日、日銀は遂に0.25%の指値で無限に国債購入を行うオペ(以下指値オペ)の実施に踏み切ることを宣言しました:
筆者は日本経済の資金循環構造を踏まえれば、指値オペがあろうとなかろうと金利水準はいずれ落ち着く公算は大きいと思います。指値オペの有無にかかわらず、長い目で見れば金利の先行きに大きな変化はないでしょう。
しかし、仮に打った場合、気になるのは金利よりも為替の水準です。
債券の代わりに為替や株が売られるだけ
言うまでもなく「金利が上がったら無限介入で押さえて貰える」という思惑が先行する債券市場は健全ではありません。その猜疑心は金融政策による価格統制が及ばない為替市場や株式市場において円売りや日本株売りとなって現れる恐れがあると思います。実際、昨年来の金融市場では円金利が落ち着く一方、円や日本株のパフォーマンスは国際的に見て明らかに劣後してきました。「債券で表現できないことを為替や株で表現している」という部分はあるように感じられます:
この点、筆者は「日本回避」が取引のテーマになっていると整理してきました。慢性化する根拠薄弱な行動規制や入国規制は明らかに日本経済の活力を奪っていると思います。2月7日付の日本経済新聞朝刊では「『コロナ鎖国』で日本離れ」という率直な見出しと共に日本に見切りをつける外資系企業の動きが報じられ、その後も鎖国政策を批判する報道を展開しています。「残酷日本」という踏み込んだ表現からは強い反意が見出せます:
これはようやく実体経済が鎖国政策にアレルギーを示し始めた兆候と思いますが、前掲の株や為替の図が示すように、金融市場ではその動きは先行して起きていたと言っても良いでしょう。過去1年間で名目実効円相場が▲6%以上も下がったり、G7の株価指数で唯一前年比を割ったりするのはやはり日本固有の要因が悲観されていると考えるのが自然です。例えば、世界的に株価が下落したとは言っても、他のG7諸国は前年比+10%以上の上昇幅を残しており、前年比横ばいないし下落の日本とは大分距離があります。資源高や変異株による感染拡大といったグローバルなテーマは日本株低迷の言い訳にならないでしょう。あくまで日本固有の要因が嫌気され、自由に売買可能な円や日本株にその思惑が出ているだけではないかと思います。
急性的なダメージは回避も、慢性的なダメージが蓄積
本来、こうした危うい政治・経済の状況に対しては金利上昇(債券価格の下落)こそ最も音量の大きな(最も実体経済を痛めつける)アラームになるはずですが、指値オペがある以上、これは機能しません。結果、為政者が実体経済にまつわる危機感を抱きにくい状況が続くことになります。だからこそ今も漫然と入国規制や行動規制を継続できているとも言えるでしょう。もし金利急騰で国内の消費・投資意欲が大きなダメージを被る状況があれば、厳格なコロナ対策を貫き続けるのは困難だと思います。経済活動を抑制できるのは、ある意味でそれができる体力を残しているからとも言えます。
しかし、金融政策の効果で金利上昇による急性的なダメージは押さえられているとしても、現在の厳格なコロナ対策を続ける限り、消費・投資意欲が停滞し続け慢性的なダメージが蓄積されていくという事実は残り、内外格差は開くばかりです。実際、コロナ前のGDP水準を未だに回復できていない先進国は日本くらいであり、稀な存在です:
「厳格なコロナ対策」の結果が現状の「冴えない経済・金融情勢」なのだという危機感を為政者が感じ取れなければ、慢性的なダメージの蓄積は続くしかないでしょう。本来、支持率の大幅低下など世論が政策修正を強いるのが一番効果的なアラームになるはずです。
しかし、保守的な高齢者層が多いという人口動態要因なのか、元々の国民性なのか定かではありませんが、「厳格なコロナ対策」が経済の活力を奪っても、政権を支持する向きは未だに多いのが実情です。本来は大衆が支持しても、「正しい方向」を向かせ、それを決定し、責任を持つのが政治の役割と考えられますが、国政選挙直前にそのような挙動を期待するのは難しいと見受けられます。
アラームの役割は円相場へ
こうした状況下、アラームの役割は何が担うでしょうか。筆者はその役割は円相場に託されると考えています。本来、株価の持続的な下落も政治的には受け入れがたいはずですが、何と言っても「株主資本主義からの転換」を標榜する岸田政権下では大したアラームにはならないでしょう。また、国民目線においても、そもそも株式は日本の家計金融資産の10%程度しか保有されていないわけですから、株価下落を見て富裕層に対して留飲を下げる向きが多いくらいかもしれません。
しかし、為替の乱高下は国民生活と密接な関係を持ちます。名目・実質双方のベースで円安が進むことは徐々に大きなアラームとして作用します。仮に日銀が指値オペによって0.25%で10年金利の上昇を止めたとしても、そうした政策運営が余計に円売りを焚きつける恐れがあるでしょう。実際、指値オペ実施方針が出てから円安は進んでいます。米1月CPIやECB利上げ観測など諸要因がありますが、指値オペが寄与した部分も小さくないでしょう:
この円売りには2つの理由があると考えられます。1つは金利差拡大からの円売り、もう1つは「日本回避」という思惑の強まりからの円売りです。
前者が意識されることは避けられないでしょう。10年金利差は元より、足許では2年金利差も急拡大しており、ドル/円相場は確実にに押し上げられています:
他国が利上げ着手を示唆する中で人為的に金利を押さえるという行為は当然、複数通貨に対する円売りを引き起こすでしょうから、対ユーロ、対新興国通貨など、クロス円通貨にも徐々に波及していくはずです。
もっとも、そうした内外金利差拡大に応じた円売りは短期的な動きかもしれませんが、より長期的かつ構造的な視点として「この期に及んで緩和を継続しようとする日本」への猜疑心が円売りを促す懸念もあります。本来、債券市場は金利の上下動を通じて当該国の経済・金融情勢を映し出すものです。だからこそ金利は「経済の体温」などと形容されるわけです。欧州債務危機などで見たように、債務の返済可能性に疑義のある国は金利上昇を通じてその状況にアラームが鳴らされます。しかし、日本ではそのアラームが政策的にオフにされており、市場の思惑は反映されません。
ここで日本の政府債務の持続可能性を議論するつもりはありませんが、インフレ高進がテーマになる市場環境において長期金利を抑制する行為に市場は多かれ少なかれ「このような政策運営は適切なのか。持続可能なのか」という違和感を覚えるでしょう。その違和感は自由に取引できる為替市場や株式市場で発散されやすくなると思います。上で見てきたように、過去1年で近いことは起きているように感じます。
指値オペは逆に緩和終了を早める可能性
こうした基本認識の下、筆者は指値オペの実行は円売りの引き金を引く可能性もあると思います。
円安発・輸入物価経由の物価上昇は確実に国民生活を直撃するでしょう。周知の通り、日本の賃金・物価は上がらず、海外のそれは急騰しているので実質ベースでは名目ベース以上に円安が進みます。そこに資源高も重なるので生活実感は確実に悪化するでしょう。それでも岸田政権の支持率が厳格なコロナ規制を支持して高止まりするなら政治的には耐えられると思います。その場合、もう日本は「そういう国」なのだとして諦めるしかありません。しかし、さすがにそうはならないと思います。「悪い物価上昇」や「悪い円安」といったフレーズが生活実感の悪化に直結し、支持率を下げ始めた時、政治は無視できず、金融政策も調整を迫られるのではないでしょうか。
もっとも、「為替を理由に金融政策が動いた」という状況は極力避けた方が良いと思います。仮にそうした展開に至った場合、金融市場の抱く「催促すれば貰える」という投機的思惑は強まる可能性が非常に大きいからです。円高に逐一対応した白川前体制の日銀が執拗にカード(緩和手段)を奪われていったように、円安に対応してくれると思われれば為替市場は執拗に円売りでまとわりつき、引き締めカードを催促し続けるでしょう。
今後、日銀に想定される「次の一手」は真っ当に考えれば、イールドカーブコントロール(YCC)における操作対象年限の短期化(10年→5年)などで円金利全般を押し上げる行為などが考えられますが、それで急場を凌いだとしても次はマイナス金利解除などが求められるだけでしょう。挙句、プラス圏での利上げまで求められるかもしれません。金融政策が済し崩し的に為替市場の期待に付き合うと際限がないことは歴史が証明しています。
そこまでの展開を想定するのはまだ先の話としても、仮に今の金利上昇圧力に対して指値オペを実行してしまうと、逆に日銀が緩和路線を貫くのが難しくなるという未来も十分考えられます。