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自分の住む街に関心をもつことが、よいまちづくりへの一歩

こんにちは、電脳コラムニストの村上です。

まちづくりと聞いてどう思いますか? 自分にはあまり関係がない、行政や地元の企業がやっていること等々と考える人が多いでしょう。もしくは、自分の住んでいる街に愛着があるから、できることがあればしたい。けど、どうすればいいかわからない。そういう方もいらっしゃるかもしれません。

私もなんだかんだで25年あまり同じエリアに住み続けているので、なんとなく街に親しみがあります。こどもが小さいときは地域との関わりもそれなりにありましたが、いまではその機会もぐっと少なくなりました。そんなときに読んでなるほどと思ったのが、以下の記事です。

「自分が何も行動しなくても、誰かがきっと素敵な街にしてくれるだろう……」。自分の暮らす場所について、こんなふうに考えている人は少なくないはずだ。現在、下北沢駅周辺の植栽の多くを管理する市民団体「シモキタ園藝(えんげい)部」代表理事の柏雅弘さんも、実はその一人だった。
(筆者略)
膠着した状況を打開するため、向井さんは当時の上司と有志住民の会議体に飛び込んだ。「下北沢のことは俺たちが一番わかっている」。向井さんは住民に会議で言われたこの言葉を今でも大事にしている。そもそも今は「下北沢」という地名はない。住所でいえば代沢、北沢、代田のエリアで、駅名は小田急がつけたものだ。「主役はその町で生活をする人たちなんだ、とハッとしましたね」

以後、住民や地元の商店街組合などと重ねた会議は200回超。夜は飲み屋で、時には小田急の社員と名乗らず、本音を拾って歩いた。こうして生まれたのが、22年に完成した「下北線路街」だ。計画を一から見直し、住民の挑戦を後押しする「支援型開発」をコンセプトに据えた。

日経電子版

昔から通勤途中にある下北沢には、いまでもちょくちょく訪れます。どちらかというとサブカル系で育ってきたので、渋谷の裏や下北沢のカルチャーには影響を受けているはずです。なんといっても雑多な街が大好きで、個性的な店主の趣味が全面に出たお店やそこに集うお客さんたちがなんとも面白い。昔はレコード屋めぐりをしながら、そのようなお店を回るのが大好きでした。

下北沢に大規模再開発の計画が出たときには、反対運動が活発だったことを覚えています。しかし、いま行ってみるとすごくよい感じに街がアップデートされつつあり、人も以前より集まっているようです。特に、若者や外国人観光客なども来ており、昔に比べて多様性が増したと思います。渋谷が明確にオフィス街へと舵を切り、サブカル系が追い出された感じがするのとは対照的です。

上記の記事をみると、このまちづくりが関係する人々の議論から生まれたものであることがよくわかります。昔のニュータウンはマイホーム願望を叶えるものでしたが、働き手にとっては「平日寝に帰るところ」でした。コロナ禍を経てリモートワークなど多様な働き方ができるようになった今は、自宅や街で過ごす時間が増えています。身の回りの環境に関心を持つ人が増えることは、より良いまちづくりに不可欠だと思います。

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タイトル画像提供:t.sakai / PIXTA(ピクスタ)

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