人間は全て、実は「魔法使い」である可能性を日経のマガジンで真剣に考えてみる
今日は日経COMEMOのマガジンで真剣に魔法について考えてみたいと思います。もちろん「魔法のようにチャーハンがおいしくなるマル秘レシピ」とかの比喩じゃないです、本物の魔法、エクスペクトパトローナム!!とかイオナズン!とかの話。あ、待ってください、大丈夫です正気です。本当に真面目に考えます、大丈夫です是非お付き合いください。なぜ急に魔法のことを言い出したかというと、自分のこのTweetがきっかけです。
「格調」と書くべきところを「拡張」ってタイポしたのが恥ずかしいんですが、割と自分でも上手く言ったなという気がするんです。つまり、「召喚魔法」に喩えた部分です。元のユヴァル・ノア・ハラリさんの文章はこちらです。
で、Tweetを書いてしばらくしてから、「みたいなもの」って書いたのが、自分で気になりました。というのは、言葉は魔法だからです。比喩ではなく。そして僕らは言葉によって世界を認知して、世界を作っている。つまり、世界は、日々僕ら「魔法使い」が使う言葉という魔法によって具現化されている「世界」だということなんですね。
だから魔法について真剣に考える必要がある。というのが今日の文章の主旨です。そして結論を最初に書いておきます。言いたいことはこれです。
「我々は世界を日々自分の言葉で作り替えちゃっている」という意識を、多くの人に持ってもらいたい。
自分なんて無力だと思っている人がいるかもしれません。確かに僕ら一般人は、あまり世界の動きに関係なく生きてるような気持ちに時々なりますが、実はそうじゃないんです。実は我々は巨大な、時に危険なほどの武器を持ってることを意識してほしい。今日はそういう文章なんです。
で、そのために、今日は言葉を魔法で分類してみようかなと思いました。魔法ってのは、指輪物語やハリーポッターやドラゴンクエストやファイナルファンタジーやエルデンリングを知ってる人たちには、いろんな種類をご存知かと思います。Wikiを参照してみます。
やはりこの世界に手を出すのはやばいですね、急に怖くなってきました。世界には、自主的に界隈の治安を守られている、さまざまな「警察」がいらっしゃいますが、「ファンタジー警察」の皆さんに捕まるかもしれません。なので最初から言っておきます、僕は文学研究してますが、ファンタジーは専門外です!ごめんなさい!これは思考実験みたいなものですので、ご容赦ください!
さて、全てを網羅して考えることは不可能なので、今回言葉を魔法に分類するにあたって四つのカテゴリーに分けたいと思います。
1.黒魔法
2.白魔法
3.召喚魔法
4.禁呪・禁術
厨二病が高まる言葉が並びましたね。僕の人生で読んだ最初の長い小説は、小学校6年生の時に数ヶ月かけて読んだ『指輪物語』でした。三つ子の魂百までと言いますが、40も中盤になって、日経で魔法の話をすることになる運命は、すでに12歳の時に運命づけられていたのかもしれませんね。
脱線しました。さて、では上の分類に合わせて、我々が使う「言葉という魔法」について考えてみましょう。まずは黒魔法から。
1.黒魔法
魔法の花形であり、ゲームならド派手なエフェクトが画面上に発生する、破壊を目的とした魔法ですね。その本質から、黒魔法は基本的に相手に対して行使されるものであって、対象の破壊や強制的な変容を目的とします。この魔法に属する我々の世界の言葉は、例えばヘイトクライムで用いられる人種差別の言葉、SNSで飛び交う誹謗中傷などを思い起こします。他者を攻撃し変容し、人や文化、時には社会や国さえ破壊してしまう。戦中のプロパガンダなども、広義での黒魔法に当たるかもしれませんね。
でも、例えばギガデインに聖なる属性が与えられているように、時に黒魔法は力強い抵抗の言葉として使われることももちろんあります。例えば、侵略を受けている国のリーダーが国民を鼓舞する言葉は、聖なる黒魔法とでも言いうるのかもしれません。その言葉のために、自らの国民も、また事情を知らぬままに前線に駆り出された敵国の若者たちをも死に追いやる結果を生み出しますが、少なくともそれは尊厳と誇り、そして未来を守るために放たれた言葉であるはずだからです。
2.白魔法
魔法では地味ですが、それがなかったら戦線を維持できないのが白魔法です。ドラゴンクエストならホイミ、ファイナルファンタジーだとケアルですね。黒魔法使いがいなくても旅は成立しますが、白魔法使いがいないとそもそも冒険さえ始まらないという要職です。
現実世界の言葉で言うならば、これは例えば小説や詩の言葉がそれにあたります。あるいは音楽もそうです。意味じくもかつて、No music, no lifeと謳った素晴らしい音楽会社の宣伝がありましたね。
もはや一企業のPRとは思えないほど、この言葉は生き残り、独り立ちし、そして今も僕らを勇気づける。そう、小説や詩、音楽といった、一見「この世界を生きるための必需品」ではないように思えるこれらの言葉は、それ無しでは魂が枯れてしまうんです。
絶望を救うのは、いつだって言葉であることは、こう言うニュースを見るとわかります。
状況からアンネ・フランクを思い出します。アンネがかつて「アンネの日記」を書いたのは、自らの絶望を癒すために放った究極の白魔法でした。そしてそれは戦後にも影響を与え続ける偉大な言葉の魔法として、今もまだ絶望の直前にいる人たちを勇気づける。これを魔法と言わずして、他に何て言えばいいのでしょう。
3.召喚魔法
上のツイートでユヴァル・ノア・ハラリさんの文章を「召喚魔法」と言いました。召喚魔法とは、他の世界から術師を助けるような上位の存在を呼び出す契約魔法の一種です。例えばファイナルファンタジーでバハムートを呼び出すようなあれですね。あるいは、NETFLIXでここ数年話題になっていた「ストレンジャーシングス」も、召喚魔法のお話と言えます。
この魔法は、白黒のそれぞれの魔法が直接的に対象に作用するのとは違って、より巨大な存在をこの世界に現出させる点で、高位の魔法と考えられます。ユヴァル・ノア・ハラリさんの文章は、「平和」という概念を引き寄せるために放たれた術式でした。
あるいはこの手の召喚魔法が超得意だったのは、やはりAppleのスティーブ・ジョブズでしょう。彼は自らの言葉を使って、「iPhoneのある未来」という時空間を、この世界に引っ張り出してしまいました。現生の魔法使いとしては、最大級の魔法を放ったかもしれません。Imagineと歌ったあのロックシンガーも、I have a dreamと叫んだあの黒人牧師も、それまではこの世界にはまだほとんど見えてなかった存在を、この世界で可視化し、呼びかけ、そして引っ張り出したんです。ガンジーの「非暴力不服従」に至っては、「インド独立」を呼び込むほどの強い言葉でした。
でも時に、そのあまりにも巨大な影響力は、良いことにだけ作用するわけではありません。ちょび髭のあの男がヨーロッパ全土を焼き尽くしたのも、彼が並々ならぬ召喚術をもつビジョナリーだったからですし、また前代のアメリカ大統領の力は、アメリカという国家がツギハギだらけでも何とか維持していた国家内の裂け目を可視化して、壮大な憎悪を引き出してしまいました。召喚術というのは、よほど気をつけて使わないと、目を覆うような惨禍も引き寄せてしまいます。そもそも人間には扱いきれないほどの上位の概念、存在、時空間を引っ張り出しちゃうわけですから。
4.禁術・禁呪
黒魔法が直接相手に、召喚魔法が上位の存在をこの世界に引っ張り出す魔法だとすると、禁呪とか禁術とか言われる魔法は、それほどオーソドックスではありませんが、多くの場合物語の根幹に関わる魔法である場合が多いです。一言で言えば、この世界のルールそのものへとアクセスできる魔法であり、そのルールをメタ領域で書き換えてしまうような魔法のことを指します。
例えば映画マトリックスでは、僕らの世界は実は仮想世界でしたという設定ですが、その仮想世界内にいる人間は、マトリックス側のエージェントたちには絶対勝てないというのが最初の設定でした。彼らエージェントは世界のルール自体をいかようにも「上位」部分で書き換えることができるからです。
さて、現実世界にそのような魔法がかつて存在したのでしょうか?もちろん、あるんですね。神話と宗教がそれです。特にキリスト教、仏教、イスラム教といった「世界宗教」というのは、この世界のメタ構造そのものを規定したルールブックのようなものです。
現実世界は物理法則で動いていますが、この2000年以上の時間、人間のメンタルのルールを規定して、我々の世界認知の基盤を作ってきたのは宗教でした。僕ら日本人のようなほぼ無宗教に近いような民族でさえ、「あの世の世界」をぼんやりと意識の底辺に置いていますよね。それが半ばフィクションであることを了解しつつも、「個体の死」というこの世界に生きている人間が誰も経験したことのない事象への恐怖を和らげるためには、宗教的な言葉が必要になってくるんです。「事実」だけしか存在しない物理的世界で生きていくために、僕らの正気を最も外枠のところで守ってくれているのが、宗教や神話といった魔法なんです。そしてそれはあまりにも強力な力を持つので、人がおいそれと触ってはいけない術、つまり「禁術」です。
そう、禁術は簡単には使っちゃいけない。人間は手を出しちゃいけない領域なんですよ。でもそのような禁術に当たるような魔法が、ここ最近はいろんなところで暗躍しているような気配は感じます。人間の思考を司るメタ領域のルールを改変しようするような言説を、意図的に流布させる手段が、ネットとSNSによって可能になったからです。
5.まとめ
というわけで、今日は人間の使う言葉を「魔法」に例えてみました。その目的は、最初にも書いた通り、僕らの言葉は世界そのものを改変しちゃうくらいの力を有していることを意識して欲しかったからです。ユヴァル・ノア・ハラリさんの文章の中に、こんな言葉がありました。
突き詰めれば、国家はみな物語の上に築かれている。ウクライナの人々が、この先の暗い日々だけではなく、今後何十年も何世代も語り続けることになる物語が、日を追って積み重なっている。首都を逃れることを拒絶し、自分は脱出の便宜ではなく武器弾薬を必要としているとアメリカに訴える大統領。黒海に浮かぶズミイヌイ島で降伏を勧告するロシアの軍艦に向かって「くたばれ」と叫んだ兵士たち。ロシアの戦車隊の進路に座り込んで止めようとした民間人たち。これこそが国家を形作るものだ。長い目で見れば、こうした物語のほうが戦車よりも大きな価値を持つ。
( https://web.kawade.co.jp/bungei/34777/ より引用)
国家のみならず、世界は物語の上に、つまり「言葉」の上に築かれているんです。そして今のこの状況だからこそ、一層僕らは「言葉」に気をつけないといけない。なぜなら、今は僕らの言葉は、一つの「加速装置」を得ているからです。そうSNSです。SNSというのは、言葉の持つ魔力を増幅するための呪具のようなものです。そしてその増幅の利率は、恐ろしいほど高い。時に世論を簡単に形成しちゃう可能性があるほどに。
そして今日の文章ですが、直接国家間の名前を出すことは敢えて避けていましたが、現実の戦いと並行して、言葉の戦いが行われていることは、みなさんもご承知ですよね。
ですので、是非ともみなさん、今後は自分のことを「言葉を使う魔法使い」という一面があると認識してほしいんです。そしてできれば、この先平和がくるように、僕らの言葉を蓄積していけたらと願うんですよね。