スタートアップにもESG投資の流れは来るか
アメリカの主要企業経営者の団体「ビジネス・ラウンドテーブル」が、これまでの「株主第一主義」を見直すという発表をした。
果たしてどこまでこれが実現するのか、実現するとして「第一」に扱われなくなる株主はその資金を株式投資に留めおくのか、他に資金が流れていくとしたらそれはどこか、そうなったときに米国の株式市場はどうなるのか。不透明な要素には事欠かないし、さっそくFTは懐疑的な見方を示した。
一方、日本は、株主重視の方向へと進んでいることは冒頭の記事にも指摘されている通りだ。WSJも、日本で株主の力が強くなりつつあることをとりあげている。
これらは一般に、株式が公開されている大企業に関する動きだと理解しているのだが、非公開(未公開)企業であるスタートアップへの投資は今後どうなるのだろうか、とふと思った。
スタートアップ企業は、公開企業とくらべはるかに不安定であり、投資リスクは大きい。その分、成功した時のリターンも大きいことから、一定数以上のスタートアップ企業に投資してポートフォリオ化することで、いくつかの投資先スタートアップ企業の大きな成功(エグジット)があれば、他の多数の会社が思うようでなくても、合算すればプラスのリターンがある、というのが一般的なベンチャー投資のビジネスモデルだ。それゆえに、成功した会社の株主のリターンの期待値が低くなれば、その分スタートアップ全体への投資が鈍ることにもつながるだろう。
非公開株と公開株は全く異なった投資対象であり、同列に論じられるものではない。だが、株主利益が第一ではなく、私たちが生きていく環境や社会全体にとってのリターンをも重視していこうという動きは、欧州、特にイギリスを中心にESG投資として確固たるものとなってきており、こうした動きが冒頭のニュースにある宣言にも影響していると考えられるし、スタートアップ企業への投資にも、よい形で波及していくのであれば素晴らしいと思う。
スタートアップ企業も、一時期のような「儲かれば何でもあり」という段階を過ぎて、環境への配慮や社会との調和を求められるようになってきている。ウーバーなどの配車サービスドライバーが、十分な保護も得られない労働環境・条件のもとに不当に低い報酬で働かされている、という抗議は、その代表的なものだろう。
ドライバーの報酬を低く抑えることで配車サービス・スタートアップ企業自体の収益は改善し、ひいては株主のリターンが増えることになるのだが、それでは済まされない、という状況は大企業と変わらない。
高いリターンを求めるVCなどからはあまり評価されず目立ちにくいが、従来であればNPO/NGOが取り組んでいたような社会課題に、むしろ積極的に取り組むスタートアップ企業も増えてきていると感じる。NPO/NGOとスタートアップ、中でも社会起業は、営利・非営利の違いはあるにせよ「ミッションドリブンで、(主に若い人が)社会課題の解決を目指して組織するもの」という点では非常に似ている部分があり、組織が抱える問題点にも共通性があるので、不思議なことではない。
収益性の点でデジタルで完結しない事業はスケールしにくいとされるが、そうした事業に該当する場合が多い農業や食、健康、教育といった分野がスタートアップのジャンルとして認識されるようになってきていることは、社会起業的なスタートアップが増えていることの表れではないだろうか。
ESG投資についてはこのCOMEMOでも黒田さんが精力的に発信されており、最近出された本を私も読ませていただき、とても刺激を受けた。
このESG投資の考え方がスタートアップ企業への投資にも応用され、公的な資金も含めて流入するようになれば、「株主第一主義」の流れにあるシリコンバレー流のスタートアップ企業の成長シナリオ、あるいはスタートアップ投資家の成功モデルとは異なるモデルが成立するのではないか。
そしてODAやSDGsといった観点からも評価される形でのスタートアップ企業の在り方とそれに対する投資手法が確立されるなら、たとえばアフリカの問題を解決しながら持続的な地域の発展に寄与するスタートアップ企業が成立しやすくなるかもしれない。
それが成立するなら、実は、日本の「地方創生」の問題解決にも応用できる部分があるはずだ、と思うのだ。
伝統的に広くステークホルダー重視の経営をしてきた日本の企業文化から生み出されたスタートアップ企業が、日本の地方の課題を解決すると同時に、世界の課題も解決できるようなスキームを生み出せるなら、これほど素晴らしいことはないと思う。そのためには、次の一手を必要としている地銀をはじめとする日本の既存の金融セクターもキープレーヤーのひとつとして知恵を絞ってもらえたら、とも思う。
年収1,500万円でも貧困層でキャンピングカーで路上生活、といった、行き過ぎたシリコンバレー型の「成長」とは異なる価値観、投資(家)の在り方を提示していけないものかと、日々考えている。
(冒頭の写真は、ケニア・ナイロビ市内にあるスラム街・キベラの遠景)