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転職しないのに「職務経歴書は毎年更新しなさい」その通りにしたら人生の選択肢が増えた

管理職への転職を目指す人は職務経歴書の書き方にも注意が必要だ。終身雇用の企業が多い日本では、キャリアの棚卸しが十分にできていないうちに転職活動を進める事例が目立つ。リクルートの藤井さんは「転職支援サイトなどに登録し、キャリアアドバイザーに棚卸しを手伝ってもらうのも一手」と話す。自身の適性や性格のほか、他の業界や他職種でも活躍できるスキルや経験に気づくこともあるという。

 どのようなキャリアを構築するか。どうやってキャリアを構築するか。このテーマだけで「朝まで生テレビ」出来ますね。とても難しいテーマです。特に、40代を迎えた筆者は、残り25年あるビジネスパーソン人生をどう過ごすか頭を抱える日々です。私は田原総一朗役でお願いします。

マーケティングの諸先輩方のキャリアを拝聴するたびに「俺このままで大丈夫なのかな?」とアイデンティティ・クライシスを起こしています。ところがその諸先輩が、私が書籍を18冊も出してますと言うと「俺このままで大丈夫なのかな?」と不安になるそうです。ホンマかいな。隣の芝生はいつだって青いんですね。

キャリアとは、一般的には「仕事の経歴」「社歴・肩書き」として語られがちですが、実際には「これまで何をやってきたのか、これから何をやりたいのか」を意味しています。つまり、自身の成長軌跡を表現します。

私のキャリアはどこから来て…どこへ行くのか…。私の心の中にいるケフカ(FF6)は、ずっと怯えっ放しです。とにかく長く働き続けたい。50歳になって仕事に飽きたくないし、60歳になってお役御免になりたくない。そのために何をすれば良いか、ずっと頭を抱えています。

「その割にはポンポコ後先考えずに転職したり、職業・職種に一貫性が無いじゃない」と妻様からツッコミを頂きます。それはそうなんですけど、無計画っぽく見えて、ちゃんと連続性を意識しています。

なぜなら、職務経歴書を毎年書き続けているからです。新卒で入社した会社で、当時の副社長CTOに「毎年、職務経歴書は書きや」と言われて、約束を守っているのです。


「職務経歴書は毎年更新しいや」

筆者は新卒として、当時13名しかいなかった大阪のITベンチャー企業に2人目の営業職として入社しました。色んなメディアで「過去のキャリアを教えてください」と聞かれて、説明が面倒で「技術職として入社しました」と言うことがあるのですが、最初は営業職なのです。

ITを主とする会社ですので、最初は技術研修として技術チームに配属されました。ちなみに、それまでパワポですら使いこなせていなかったマンです。PHP+PostgreSQL環境に四苦八苦しながら、自社サービスの開発に従事しました。

なんとか技術研修を終えると、今度は営業研修(という名の営業同行+サポート)として、7月から1カ月間も東京オフィスに長期出張しました。

ただ、少人数のベンチャー企業で、右も左も分からない新卒が、営業という荒野で活躍できるほど甘い世界ではありません。記憶力には比較的自信があるのですが、この年の夏の記憶だけは全くありません。マジで。

神田のマンスリーマンションを借りて、神保町まで歩いて出社したはずなのですが、平日は20時~21時まで働き、土日は家に籠って「仕事怖い」「お腹痛い」と言っていたので、記憶に残るようなイベントが無いのです。

唯一、当時1人目の営業職の方にエチオピアに連れて行って貰い、「20倍食って根性見せろよ」とハラスメントを受けたメニューを選んでいただいたので、(マジでこいつは…!)と思いながら20倍を完食して「松本君マジで凄いな、なんかごめんな」と言わせて、見返した記憶だけ残っています。

まぁ、それが理由では無いのですが、いろいろあって身体的にも精神的にも追い詰められ、結果として1カ月で5キロも痩せて大阪に戻りました。

「東京ではとても働けない」と分かったのですが、「営業職で入社したから東京には行くことになるよな…どうしよう…」という不安や焦りが増幅し、退職という極端な考えが頭をよぎるようになりました。

余談ですが、2017年10月から東京で働いて、今で8年目です。経験値を積んだからこそ出来る仕事もあるんだな、と思っています。今では営業職も大好きだっちゃ♡

東京勤務から逃げるべく退職するか。でも、23歳・社会人経験半年のビジネスパーソンを雇ってくれる会社なんてあるのか。ここは土下座してでも会社にしがみつくべきではないのか…。

人生の先が見えない。私のキャリアはどこから来て、どこへ行くのか、悩む日々が続きます。転機は、職場のメンターがつぶやいた一言でした。

技術研修で書いたコードをメンターが読んで「松本君の書くコード、他のエンジニアよりキレイやな」と言ってくれました。「えぇっ? そうなの?」「もしかして技術職向いてる?」と思いました。すぐ本気になる。

当時は、今のようにバックエンドやフロントエンドといった細分化された概念も無く(多分)、クラウド環境も無かった(はずの)時代です。コードを書くだけでなく、FreeBSDをインストールしてサーバを立ててデータセンターに持ち込んだり、サーバが突然お亡くなりになったので夜中の4時にデータセンターに急行したり、運用・障害対応も行っていました。

大変。はっきり言ってカオス。だけど楽しい。夜中の23時にオフィス近くの天下一品でラーメンこってり食って、そこからもう1度オフィスに戻ってコード書いたこともあります。23歳だから出来る働き方。今なら血糖値が急上昇して、すぐに眠くなっちゃう。

営業職から技術職に転籍出来ないか…。

「嫌なことから逃げている」と言われればテヘペロなのであります。でも、技術職が面白いと思ったのも事実です。「どうしたら良いですかね…?」と当時の監査役や人事部門に何度も相談を重ねた結果、転籍が決まりました。

その途中、何度も何度も人事部門からは「営業が苦手だから技術に逃げたいだけじゃないの?」「営業の○○さんが苦手なんでしょう?」といった厳しい問いかけも受けました。営業職で採用したのに、技術職に移動するなら採用計画が狂うので、そりゃそう思って当然です。

逃げたいのか。それは0%無い…とは言い切れない邪な気持ちは正直あったのですが、技術とても楽しい。その熱意を伝え続けた結果、最終的には理解を得られ、技術職として新たなキャリアをスタートすることになりました。

再スタートの日。当時の副社長CTOと開発部長との面談が設定されました。そして、その場で2人の職務経歴書を手渡されました。

圧倒的な経験値・スキルで埋まっている職務経歴書を読んだ私に、副社長は「マツケン(※筆者のこと)も、職務経歴書がこれぐらい埋まるエンジニアにならないかんで」「そのためにも経験値を積んで、スキルを伸ばして、職務経歴書は毎年更新しいや」と語ってくれました。

(そうか、職務経歴書って毎年書くといいのか…!)

必ずしもそうでは無いのですが、職務経歴書=転職するときに書くもの、というバイアスからは逃れることが出来ました。むしろ、1年の節目ごとに職務経歴書をアップデートしながら、自分の成長や得意分野、そして新しい目標を見直していく――そんな使い方が出来ると勝手に解釈しました。

筆者は、それを「キャリアの棚卸し」だと解釈しています。


人生は自分の意思に関係なく進んでいくもの

23歳の秋、そのちょっとした勘違いから、40歳の冬まで、17年間ずっと職務経歴書は更新し続けています。転職のためではなく、棚卸しのためにです。日々の仕事で得られた学びや経験、スキルは、1年に1回、職務経歴書に反映させるのです。

年末年始、この1年を振り返り「何をしてきたのか」考えて、次の1年を迎えるにあたって「何をすれば良いのか」考えます。去年と今年、あまり差分が無ければ反省しますし、書き足すことが多ければ自分で自分を褒めます。少し古い表現ですが、キューブあげます。

転職が選択肢に入ることもありますが、どちらかと言えば「どうすればもっと上手くやれるか?」「何が足りていないか?」を考えていました。筆者は自らが凡人であると認識していたので、努力だけはしないと直ぐに没落すると思っていました。

30歳くらいになって気付いたのですが、全く同じことをされていたのがドラッカーでした。「プロフェッショナルの原点」で、次のように解説されています。

当時五〇歳くらいだったその編集長は、大変な苦労をして私たち若いスタッフを訓練し、指導した。(略)編集長はいつも、優れた仕事から取り上げた。次に、一生懸命やった仕事を取り上げた。その次に、一生懸命やらなかった仕事を取り上げた。最後に、お粗末な仕事や失敗した仕事を痛烈に批判した。
 この一年に二度の話し合いの中で、いつも私たちは、最後の二時間を使ってこれから半年間の仕事について話し合った。それは、「集中すべきことはなにか」「改善すべきことはなにか」「勉強すべきことはなにか」だった。
(略)
 毎年夏になると、二週間ほど自由な時間をつくり、それまでの一年を反省することにしている。そして、コンサルティング、執筆、授業のそれぞれについて、次の一年間の優先順位を決める。

物事は計画通りにはいかない。しかし、計画が無ければ無鉄砲で無為に過ごしてしまう。計画(戦略)を立てなければ、人生という大河を流されるがまま過ごしてしまう。それぐらい、人生は自分の意思に関係なく進んでいくものですから。

25歳、30歳、順調にエンジニアリング職でキャリアを築いていたのですが、突如訪れたビッグデータブームでHadoopやらHiveやら新しい技術がどんどこ登場して、非常に慄きました。丁寧に積み上げたキャリアという名の小石が、地獄の鬼の使者・GAFAに蹴り飛ばされ、0~1からスタートしないといけない(ように見えた)エンジニアを何人も見たからです。報われない。

賽の河原の石塔を壊すGAFAさん

何か1つに寄りかかると、それが無くなると人生積むな、と感じました。そこで、データサイエンスのMBAを取得し、データサイエンティスト、マーケティングリサーチ、マーケターへと職領域を広げました。

年に1回棚卸しをしていたからこそ、計画的にキャリアの軌道修正を行えたと感じています。

行き当たりばったりで、妻様からは「職業・職種に一貫性が無い」と批判を受けるのですが、根底にあるのは「顧客体験のデザインに横串を通す人間」というテーマを意識しています。なので、行き当たりばったりではなく、行き当たりばっちりです。

例えば、マーケティングの業界で言えば、SQLも書いて、方々に散らばったデータの藻屑をきれいに成型してダッシュボードを作成しつつ、ユーザーインタビューを行って「こういうクリエイティブだと反応が良さそう」と筋を見つけてMeta広告を入稿し、CPAを下げる人は少ないんじゃないか、とか。

他にも、マーケティングリサーチの業界で言えば、定量的なデータ分析をやりながら定性調査も行い、自然言語処理に頼らず「コメントを読む」という超原始的アプローチで消費者のインサイトをまとめる人は少ないんじゃないか、とか。

横串を通すから、複数人必要なオペレーションも、より少数で回せるようになったと思うのです。デジタル化が浸透するにつれ、業務の「壁」はベルリンのように絶対壊れると想定していたので、「職種や業種の壁を乗り越えて挑戦した方が良いだろう」と判断して、近接領域ではありますが職種を越境して様々な仕事に従事していました。ただ、まさかAIがここまで浸透するとは思ってもいませんでしたが。

また、キャリアの棚卸しをする中で、A級のスーパースターが60歳まで活躍する一方で、「そこそこ」のビジネスパーソンが生き残り難い世の中になっていると感じたので、超B級を目指そうと考えました。

具体的には、元巨人・木村拓也選手のように、どこでも守れる選手。自分のやりたいことをやるより、組織に欠けたピースを自ら埋められる人材の方が重宝されると思ったのです。

それは、シンプルに需要と供給の関係です。雇用ですら、この経済の法則からは逃れられないだろう、と判断しました。


「同じ仕事を続けるのに人生は長すぎる」

色んな職種を経験する理由は、実はもう1つあります。

ドラッカーの「明日を支配するもの」を読んで、何も変わらない中年はものすごく退屈である、と20代のうちに気付けたことも遠因です。

 すでに述べたように、歴史上はじめて、人間のほうが組織よりも長命になった。そこでまったく新しい問題が生まれた。第二の人生をどうするかである。
 もはや、三〇歳で就職した組織が、六〇歳になっても存続しているとは言い切れない。そのうえ、ほとんどの人間にとって、同じ種類の仕事を続けるには、四〇年、五〇年は長すぎる。飽きてくる。面白くなくなる。惰性になる。耐えられなくなる。周りの者も迷惑する。
(略)
 今日、中年の危機がよく話題になる。四五歳ともなれば、全盛期に達したことを知る。同じ種類のことを二〇年も続けていれば、仕事はお手のものである。学ぶべきことは残っていない。仕事に心躍ることはほとんどない。
(略)
 ところが、知識労働者は何歳になっても終わることがない。文句は言っても、いつまでも働きたい。とはいえ、三〇歳のときには心躍る仕事だったものも、五〇歳ともなれば退屈する。だが、あと二〇年とはいかないまでも、一〇年、一五年は働きたい。したがって、第二の人生を設計することが必要となる。

筆者の祖父は、まだ若かりし頃、某下電器から直接頭を下げられて工場の指導員として「しゃーなしやで?」言って雇用されるほどの「独立心旺盛な凄腕エンジニア」でした。70歳手前まで働いていました。

しかし、いよいよ退職すると、糸の切れた人形のように、1日中テレビを呆けるように見ているだけ。趣味が無い。友人もいない。再び働こうともしない。祖父は第2の人生、あるいは第2の仕事を持とうとしませんでした。

「こうはなっちゃいかんな」と反面教師のように見て「第2の人生」「第2の仕事」を意識するようになりました。だからこそ、1つの職に絞ることなく、少しだけ世界線を広げておこうと決めたのです。

ちなみに、まだ40歳にも関わらず「第二の人生なんて早すぎないか?」と思われた方もおられるでしょう。

はて、そうでしょうか? 60歳になってから始めてたとして、誰がそんな糞ジジイをコミュニティに迎え入れてくれるでしょうか。もっと言えば、ボランティアの経験が無い60歳が、そこからボランティアを始めるには、経験も勇気も不足し過ぎです。遅すぎるでしょう。

何事にも助走は必要だと思っています。


おわりに

さて、ここまでを振り返ると、職務経歴書はただ過去の仕事を並べた書類では無いと分かります。「どの企業に在籍し、どのようなプロジェクトに関わったか」という情報を体系的に整理することは大切です。しかし、職務経歴の整理は、単なる履歴以上の意味を持ちます。

職務経歴書は、辞めて新しい会社に移るときに書くのではありません。これまで何をやってきたかを振り返り、これから何をやっていきたいのかを考えるために書くのです。

もちろん、職務経歴書に書く内容は夢とか希望ではありません。そんな職務経歴書を提出されたら、面接官が困る。業務を通して実現した具体的な成果(数字)、習得した技術・手法など実績です。自分のスキルや価値を「見える化」していく作業に近いかもしれません。

ちなみに、こうした作業には時間と手間がかかります。年末年始の2日間ほど当てて職務経歴書を更新します。ダメな1年は本当に書くことが無いので「俺の1年何だったんだ…」と絶望的な気分になります。

ただ、一度習慣化してしまえば、自分のキャリアの道が開けるような感覚を持ちます。次にどんなプロジェクトに挑戦したいか、あるいは次に転職するならどんな条件を重視したいかなど、自分の軸が見えてきます。

今回は日経COMEMOの企画、あなたの心に響いた「#心に残る上司の言葉」に乗っかって執筆しました。

それにしても副社長、「そのためにも経験値を積んで、スキルを伸ばして、職務経歴書は毎年更新しいや」って言ったこと覚えてるかな。覚えてないだろうな~。


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松本健太郎
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