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在宅勤務から考える”規律”と”管理”

コロナウイルスの影響で、GMOインターネットさんが日本国内にいる全従業員の9割にあたる約4000人を在宅勤務にする方針を決めた、という報道がでたのは先月末の話。そして今日期間は未定という続報がでました。

これで在宅勤務制度の導入に弾みがつく、との見方もあるそうで関連するサービスを手掛ける各社の株価も上がっているとの報道もでていましたね。

日本国内で初めて感染者が確認された16日以降でみると、テレワークのシステムを手がける銘柄の株価はサイボウズ、ブイキューブが9%、アセンテックは8%上昇した。この間の日経平均株価が2%下落する中で逆行高となっている。

昨年からの大型台風の一件もあり、企業としては仕方なくというか迫られての推進になると思いますが、きっかけはともあれ働き方の選択肢が増えることはいいことだと思っています。

その”在宅勤務”で必ず焦点が当たるのが”勤務状況の把握・管理”ではないでしょうか。先行して始めている企業の方も、ご講演をされると必ず聞かれると話されていました。先日でていた味の素さんの取り組みの記事にも下記のような

「直接顔を合わせなければできないという仕事はない、と会社が振り切ったんですね。一見マネジメントが難しいと思われがちですが、PCのログと勤務システムがひもづいていればそれも可能。WEB会議など補う方法はいくらでもあるのですから」

ログインしていれば働いている?

この記事で紹介されている様々な取り組みはとても素晴らしいもので、いますぐ他の企業にも真似して欲しいのですが、”PCのログと勤務システムが紐づいている”という箇所を読んで思い出したことがあります。

各個人に裁量を持たせた働き方を推奨するとある大手の企業でも、様々な議論の結果”PCにログインしているかどうかで働いているかを把握する”というやり方で決着した、という話が数年前にありました。そう、画面の前にいるかどうかで働いているかを判断するということです。

でも、オフィスにいるとそんなことないですよね。同僚と廊下で話していたり、タバコ休憩をとる人がいたり、反対に画面の前にいても仕事に関係ないサイトを閲覧していたりする人もいたり。でも、オフィスにいるだけで”仕事をしている”と判断されるのです。

一方で在宅勤務になると目が届かないところにいるからという理由で、ログインが判断基準になる。なんだか不思議な現象ですよね。

”規律”を求めるのか、管理をするのか

その根底にあるのが「性悪説」と言われています。日本の企業は「管理しないとサボると思う」性悪説が主流。そして労働基準法が時間を軸として定められているため、限られた時間の中で最大限働いてもらう必要があるので、管理が必要とされています。

一方で海外の企業に多いのが成果主義。時間の管理ではなく、自分の”仕事”がちゃんとできているかどうか、その結果でしか判断されません。性善説が多いのかと思いきや、実際はそうでもないのかなと思っています。ただ、外資や海外の企業に聞くとよく出てくる言葉があります。それが<Discipline>と<Autonomy>です。

Discipineには訓練やしつけ、という意味もありますが話していると”規律”という意味が強いのかなと思います。そしてそのさきにあるのが Autonomyの意味は自律、です。何をすべきか自分で理解しコントロールできる、つまりは自分で責任をとることができるというのが根底にある、または必要とされるのです。反対に管理、は管理する人に責任があるので個々人には問われません。

ではいきなり日本で、今から<Discipline>と<Autonomy>を個々人に求めるのかというと、それは違うと思っています。ただ、在宅勤務のあり方に関しても、これから進んでいくに当たってそれぞれの企業において、そして個々人においてしっくりくる方法を試す必要がくるのではないでしょうか。

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