ウイーン図書館

科学という誠実さ(2):プラハとウイーンを訪ねて

 最近、プラハとウイーンに訪問する機会あった。前稿に記載したように、いずれの都市も人類の知が一大発展した場所であるが、そこに「共通のあるもの」を見た気がした。
 プラハの旧市街、カレル橋にほど近い場所に「クレメンティヌム」という歴史的な建物がひっそりと訪問者を待ち受けている。前稿で書いたように、プラハは、占星術と天文学の区別がまだ明らかでなかった16世紀に、ケプラーが惑星の運動に関するケプラーの法則を見つけた場所なのである。特に、この「クレメンティヌム」という施設は、このケプラーの伝統を引きついで天文観測が精緻に行われた場所で、天体観測の道具類が多数残されている。
 しかし、天体観測具以上に、訪問者の目を引くのが、美しいバロック様式の歴史的な図書館である。高い天井まで貴重な本が並べられたこの図書館は、その当時の知識や情報をここに集積した場所だったのであろう。しかし、その場に行ってみたときに、空間のデザインや天井のフレスコ画から感じられるオーラは、単なる情報の集積地のものではない。むしろ、そこには知識や知性に関する強い尊敬が感じられる空間なのである。
 場所は変わり、ウイーンのやはり旧市街の中心部の王宮の一部に、オーストリア図書館「プルンクザール」がある。この図書館は、プラハの図書館よりも規模はさらに大きい上に、天井画を含めて、やはり知への深い尊敬が感じられる場所である。ここは図書館の内部まで入室して見学できるので、ますます強い印象を残す。ここの天井画には、湿度計を持つ科学者が描かれるなど、精緻な観測や計測に対する尊敬がより明示的に示されている。
 プラハとウイーンの旧市街の中心部にある美しい歴史的な「図書館」に共通に見たもの。それは、過去の人類の知や情報に関するリスペクトであった。
 
 ここに現代の我々が戒めるべきことがある。データが大量に集められる世の中になったからこそ、我々はますます誠実さが求められる。そして、誠実さは、安易にわかりやすいストーリーや解釈にとびつくのとは異なる。いやむしろ真逆である。
 むしろ知の誠実さは、過去の人類が積み上げてきた知恵やデータへの尊敬(リスペクト)と不可分である。というのも、過去の情報やデータは、我々の独善を戒める最も強力なツールだからである。
 私は、研究者として長年、対象を観測、計測し、そしてデータを解釈してきた。その中で私は、何度も大きな発見かもしれないストーリー(仮説)を思いつき、これを信じたいという思いに駆られたことがある。しかし多くの場合、過去のデータを冷静に見ていくと、自分に都合の良いストーリーでは説明できないデータが見つかる。もちろん、データの方が、間違っている可能性もある。ここで自分に都合の良い仮説が正しくあってほしいという恣意的な思いにとらわれると、都合の悪いデータを無視したくなる誘惑に駆られる。
 しかし、ここが重要である。都合のよいデータだけを取りあげて、ストーリーを正当化しないことが科学的に誠実な態度なのである。
 このようにデータを使って、仮説に反する事象を見出し、仮説を見極めていくことを、ウイーン大学の科学哲学者のカール・ポパーは「反証」(Falsification)と呼ぶ。この「反証」を行うと、折角の仮説やストーリーは否定される。過去にデータを遡っていくと、折角の「発見」は、無残にも否定されていく可能性はどんどん高まる。
 しかし、これに耐えるのが、科学的な誠実さの核心である。だから、誠実な知の探求者は、過去の事実やデータを愛する。それが、自己の独善を避ける唯一の方法だからである。
 
 我々の前には、このような誠実さが特に求められる事象がますます多くなっている。そして、現代のこれらの事象とデータは、政策決定とも直結する。例えば、異常気象にともなう水害リスクであり、地震にともなう被害や発電所の事故リスクであり、消費税や緩和の判断と経済との関係であり、クローバル化と格差の関係である。
 これらの社会に関する事象は、政治やイデオロギーと結びつけられてしまうために、最初の結論ありきの恣意的なストーリーの議論が多いのが実情である。SNSなどの少ない言葉で拡散させる媒体は、ますます、このようなストーリーに飛びつく傾向を助長する。
 だからこそ、我々の前にある、客観的なデータ、さらには、過去に遡ってデータで仮説の反証を試みることが重要である。ここに必要なのが、知的な誠実さと過去の貴重な経験をデータ化したことに対する尊敬である。我々人類に、これらのデータへの尊敬が失われるとき、天文学と占星術の区別は消え、科学と手品の区別は消える。
 プラハとウイーンの図書館で、そんな時空を超えた、過去の知へのリスペクトを強く感じた。しかし、そこにこそ未来の人類の希望がある気がした。

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