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異文化理解は楽しい!

異文化理解は楽しい。なにせ知らないことを知るわけですから、楽しいはずです。

これが異文化理解を促進するにあたり、とても大切な一歩です。

昨日、ビジネスパートナーでもあるマルコ・マッサロット(←彼のプロフィールはリンクトインをみてください)が、欧州大企業のイタリア人社員を相手に日本文化理解コースの講師をつとめました。ぼくはそのアシストをし、自省も込めてそれを痛感しました。

ところどころ、日本人であるぼくが彼の説明を補足したりエピソードを挟みます。コースの最中、参加者同士で話し合うパートは一切ありません。それでも午前9時半から午後6時まで、最後の最後までだれることなく参加者が熱心に、それは楽しそうにマルコの説明を聞いていました。

往々にして、異文化交流は面倒くさいと思われてしまいます。あれをやってはダメ、これの考え方は通じない、と。そして場合によっては嫌な思いもします。

だが、彼のコースは、そうしたネガティブになりがちな壁を、どう気持ちよく乗り越えるかのヒントが提供されている。「これなんだなあ」と思いました

ぼく自身、日本人を相手に異文化理解の仕方をレクチャーすることを何度もやってきたので思うのですが、異文化理解は「静的状況分析と説明」をすることがどうしても多くなります。それは当然で、何十年と時間が経過しても底流にある傾向を知るのが鍵になるからです。

しかし、もう1つの肝は、その静的状況がどのような条件下で変化をするか(あるいはしてきたか)の「動的状況の見方と勘の付け方」を知ることです。頑固と思われる文化的傾向が、ある場面だと効力を失い、それが何度か繰り返されるとその傾向自体が変化をきたす、という具体的な説明があると納得度があがるのです。

日本人の聴衆を相手にしてレクチャーする場合とイタリア人を相手にした場合の大きな違いは何か? それが昨日のコースの質疑応答でも見えました。

一般に、日本人の聴衆は「自分たちと違った文化が存在し、それがどういう差異として表出するか」の経験が圧倒的に乏しいために、異文化そのものの存在に驚きます。そして、そのギャップを乗り越えるために何らかのメソッドに頼ろうとしがちです。

しかしながら、イタリア人の反応をみていると、異なった文化が存在するのは当たり前で、それがメソッドによって解決できるとはつゆほどにも思っていません。

それでも1人の参加者の質問が印象的でした。過去、日本のビジネスパーソンとのつきあいをもった人です。

「異なる文化の人たちとつきあうわけだから、当然、我々は歩み寄る努力をするわけだが、日本の人たちはどの程度に歩み寄ってくれると期待して良いのか?」

こちらを振り向いてくれない相手にはアプローチする気も失せるって、ことですね。




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