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「ジョブ型雇用」で失われるものをどう補うか


こんにちは。弁護士の堀田です。

春闘も始まり、ますます光が当たる「ジョブ型雇用」。

ただ、前にも少しふれたように、この「ジョブ型雇用」の概念は、やや曖昧に使われているように思います。

私の理解では、「職務をあらかじめ特定し、これに限定して労働契約を締結する」ことであり、この「労働契約の締結」の点が法的には極めて重要なポイントとなります。

今、様々な企業が導入している「ジョブ型雇用」が上記の労働契約の締結までを含めた意味での「ジョブ型雇用」であるかは疑問がありますが、この(本来の)意味での「ジョブ型雇用」を進めていくことは、特定の企業だけが導入するということでうまくワークするわけではないでしょう。

「ジョブ型雇用」で失うものを補填できるか

日本の様々な社会システムは、これまで「メンバーシップ型雇用」と呼ばれる日本型雇用を前提として構築されてきたものが多く存在しており、メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用に転換を図る場合には、これによって失われるものや変わっていけなければならないものがあります。
① 雇用保障
ジョブ型雇用では、従事する職務が労働契約によって限定されているため、企業は広くジョブローテーションをする権利を持っていません。その代わり、その職務に対する能力が不足している場合や、整理解雇の場合には、解雇をできるだけ回避して他の部署に配置転換させる義務が軽減されると解されています。
このことから、雇用保障が弱まるとされます(もちろん、「絶対に解雇できる」というわけでないことには注意が必要です。)。
ただし、ここでの「雇用保障」は、「“当該企業の下での”雇用保障」です。ジョブ型雇用の下では、専門的なポータブルスキルを有しており、また賃金も「職務内容」に応じた賃金となるため転職によって賃金が低下することはないことととなり、「”労働市場全体での”雇用保障」が図られる“はず”ということになります。
したがって、労働市場を機能させることが重要となります。

② 生活給的給付
メンバーシップ型雇用のもとでは、職能給制度の年功的運用もそうですが、様々な生活給的意味合いの手当が支給されていました。その中でも、住宅手当、家族手当のような手当は仕事との関連性が低く「メンバーシップ」であったからこそ合理性があったといえます。
ジョブ型雇用により流動性が高まっていくとすると、企業にとってはそのような生活給の意味合いが強い手当を支給する合理性が失われることとなります。
しかし、これらの手当は生活、子育て、教育等に事実上大きく寄与しており、端的にこれを無くすとなった場合、公的給付も踏まえた支給を検討する必要があるでしょう。

③ キャリア形成・人的投資
メンバーシップ型雇用の下では、企業が広範な人事権を持ち、個人のキャリア観に関わらず広くジョブローテーションを行うことができたことから、キャリア形成は他律的です(代わりに雇用保障が厚いわけです。)。また、長期間その会社で働くので、人的投資も企業が行うことに合理性があります。
ジョブ型雇用が進むと、そうした人事権を持たないので、個人は自らその会社内でステップアップするか、他社でステップアップするかといったこと考えていく必要があります。結果、キャリア形成は自律的になります。
そうすると、「人的投資は誰が行うのか?」という問題になります。
これは企業かもしれませんし、個人自身かもしれません。あるいは、大学含めた国かもしれません。いずれにせよ、人的投資が減少してしまうと、労働市場全体がやせ細っていくことになります。

④ 労使交渉
また、ジョブ型雇用の下では、いわば「仕事」に賃金がつくことになります。そうすると、これまでのように企業内組合が賃金交渉を行うことが適切であるかということになり、だれが「労働者の利益代表か」という問題を提起します。
ここでは、産業別の組合が労使交渉の主体になってくることが考えられます。

ジョブ型雇用を長期的な成長につなげるための全体的な議論を

私自身は、ジョブ型雇用が進むことは、多様な人材の雇用機会を創出する可能性もあり、肯定的です。
ただ、特定の企業が「人事制度を変える」というだけでこれを進めたとしても、上記のように「失われるもの」の補填も併せて社会システム全体で考えなければ、長期的にみれば日本全体の競争力は低下してしまう可能性があるのではないでしょうか。

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