先進国と新興国の五輪は重さが異なる
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先進国と新興国の五輪は重さが異なる

やっぱり暑かった東京の夏

開催前から危惧され、対策は万全だと言いつつも具体策が提示されてこなかった東京五輪の暑さ対策は、大方の予想通り選手に負担を強いることになっている。ロシアのアーチェリー選手が熱中症に倒れ、選手からも夕方以降の開催にするなどの対処を求める声があがっている。この時期の開催になった理由は、さまざまな議論が巻き起こっているが、どれも推察の域を出ていない。ただ、さまざまな関係者の思惑が入り混じった結果が現状である。

新興国の存在感と五輪格差

さまざまな大人の事情が入り混じる五輪開催であるため、何をやるにも一筋縄ではいかない。ロンドン五輪以降、新興国の存在感の上昇とともに五輪の格差も問題になっている。

新興国の存在感の上昇として象徴的だったのが、リオ五輪だ。五輪の開催地は、基本的に先進国が選ばれる。そのような中、新興国のブラジルが選ばれることで、これからは経済成長目覚ましい新興国が主役に躍り出るのではないかという予想も出ていた。

しかし、東京以降の3大会はパリ、ロサンゼルス、ブリスベンであり、新興国の五輪というムードは落ち込んできている。

また、ベント・フライフヨルグ、ダニエル・ルンらオックスフォード大学の三人が2020年9月に発表した論文「テールへの回帰―なぜオリンピックは破綻するのか(Regression to the Tail: Why the Olympics Blow Up)」では、五輪には経済浮揚効果があるか疑わしく、経済を考えるならばやらないほうが良いという報告まで出ている。

アスリートのハレの舞台という意味では、五輪の果たす意義は大きい。しかし、人々がスポーツを楽しむには、豊かさと平和が確保されていなくては難しい。難民選手団のように五輪では配慮された枠もある。しかし、それによって途上国や政情不安定な国でも、だれもがスポーツを楽しめるかというと別問題だ。

東洋大学の金田英子准教授は、先進国と途上国の間では五輪のメダル取得に明確な差があるとし、途上国における五輪参加を3つのパターンにまとめている

今日のオリンピックでは、途上国の選手参加パターンとして、参加選
手が自分の国で練習し出場する場合
海外で長年生活をし、母国を知らずしてオリンピックのときのみ国籍を利用して参加する場合、そして国籍そのものを他国にかえて出場するといった 3 パターンが考えられる。

国籍そのものを他国にかえて出場したケースとして、日本でもなじみ深いのが、芸人のねこひろし氏だろう。カンボジアに国籍を変えてリオ五輪のカンボジア代表として出場を果たしている。

このような行為の是非は置いておいて、なぜ自国の代表選手を国籍を変えたとはいえ見ず知らずの外国人に任せられるのか。それは、途上国や新興国における五輪の位置づけにも原因があるだろう。

新興国で根付かない五輪文化

2021年のロンドン五輪のとき、私は研究でインドネシアに滞在していた。それまで、五輪は世界的なイベントなので、インドネシアでも大々的に盛り上がっているだろうと考えていた。しかし、インドネシアでは全くと言ってよいほど、五輪は話題にならず、注目されていなかった。それもそのはずで、ロンドン五輪にはインドネシアンの選手は22名しか参加していないのだ。参考までに、日本の参加人数は293名である。同国はリオ五輪と東京五輪では同数の28名が参加している。リオ五輪も、ロンドン五輪同様にインドネシアではそこまで盛り上がることはなかった。

50種目ある五輪競技で、世界大会に出ることができるほど選手層が厚く、経済的なゆとりがある国はまだまだ限定的だ。スポーツを楽しむことができるほどの経済的なゆとりがないと、五輪はそもそも成り立たない。そういう意味では、五輪と資本主義が切っても切れない関係にあるのは仕方がないことなのだろう。

5年前のリオ五輪では、経済成長著しい新興国が新たな開催地として主流になるのではないかという期待もあった。しかし、現状では勢いのある新興国であっても、五輪の競技が活性化してはいない。東京五輪とリオ五輪の出場者数が多い順に見てみると、古くからスポーツの盛んな国が中心となって、顔ぶれにも変化がほとんどないことがわかる。

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新興国の名前があがってこないことについて、判断を下すには材料がたりない。まだスポーツ選手の強化まで時間がかかるためなのか、それとも、そもそも国際スポーツ大会を主催することで国威を知らしめようという考え方自体が古くなっているのかもしれない。

米国での開会式の視聴者数もソウル五輪以降で最低とNBCが公表している。NBCは、視聴者数の減少について「この5年間で(アカデミー賞授賞式やグラミー賞授賞式など)アワードショーの視聴者数は68~72%減っている」と、五輪開会式に限った問題ではないと強調している。

価値観が多様化するなかで、五輪に対する求心力も変化しているのかもしれない。そして、変化の最先端に位置する新興国では、変化の影響を最も強く受けているのだろう。

変化の激しい現代の世の中で、五輪もその存在意義を問い直す時期に来ているのかもしれない。

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大分大学経済学部の講師をしています。採用や育成などのタレントマネジメント、地方創生・地方発起業などの話題を取り上げていきます。※日経電子版キーオピニオンリーダー ※多様な意見を尊重したく、コメント返信は原則控えています。質問はTwitter(@IkariOita)へお願いします。