越境ワーキングは、それに救われるのではなく、活用しよう
今回のコメモのお題はこれです。
・・・越境ワーキング、なんだそれ?
と、耳なれぬ言葉に面食らった私は、すかさずググっては見たものの、あまりそれらしい記事はヒットせず。
説明を読んでみると『こうして海を越えて働く「越境ワーキング」で救われるのはどのような人材か』とありました。その他の説明も総合すると「国境を越えてリモートで仕事をする=越境ワーキング」であり、これを新しいムーブメントとして捉えたときの可能性を論ぜよ、という題意を読み取れました。
どうも筆者は、こういう問いかけをされると、捻ねた角度からものを言いたくなってしまいます。
第一に、リモートワークという仕事の仕方は、ずっと昔からある、ということです。新型コロナによりとても一般的になったのは確かですが、ZOOMもFacetimeもSkypeもコロナ以前からありましたし、なんなら電話はそのはるか昔からあります。個人が発信することを可能にするSNSやWeb媒体も、去年一昨年にぽっと出てきたものではありません。つまり国境をまたいだ、仕事関連のコミュニケーションの方法は、コロナに関係なく存在し、つまり越境ワーキングという仕事の仕方はことさら最近成立したことではない、ということです。
この論法でいくと、越境ワーキングにより救われる人材、がいるのであれば、ずっと前から彼ら彼女らは救われていたはずだ、という理屈になります。
しかし、そうは言っても「通勤しなくてはだめ」「リモートでOK」というような社会的な合意がないと、そちらへ舵切りするのは難しい、という考え方もあるでしょう。
これは越境する先の仕事パートナーや、同僚・上司などのスタンスや、所属する組織・コミュニティの規範に、越境ワーキングできるかどうかが左右される、ということに起因します。
また、環境がリモートを許容しても、越境ということになると「リモートで仕事が完結するのか」ということも課題になってきます。
筆者は最近、初対面に近い顧客候補の方と相互理解を深める必要があり、緊急事態宣言発出中は(リモートにしなければならないので)あえてミーティングを開催せず、解除後(また発出されるまでの間に)対面でお目にかかった、ということがありました。
ビジネスにおいて非常に重要な資源である時間を犠牲にしたのは、リモートでは、全身のボディランゲージがわからず、声は機械を通した解像度の低いものとなり、空気を読んだコミュニケーションもできず、共有している空気を温めることもできないからです。筆者個人の感覚かもしれませんが、どうしてもラポールを築かなければならないようなコミュニケーションに、少なくとも今のリモート環境ではちょっと不安を感じるのです。
そう考えると、ビジネスの現場では、このような人同士の関係構築が重要となる場面がままあり、リモートだけでコミュニケーションが完結できるという仕事は、そう多くはないのではないか、と思われます。独力できる規模のプログラミングやクリエイティブ制作などはこれに含まれるでしょう。日本の気心知れた仲間と組んで、滞在国の物資を輸出販売する、というような仕事も、もしかしたらリモートで完結できるかもしれません。
捻くれた物言いの第二は、いずれにしろ越境ワーキングできるかどうかは、「駐妻」のような人物のプロファイルではなく、どんな種類の仕事を、どんな仲間としているか、ということが鍵になってくるのではないか、ということです。つまり議論の対象となるべきは「人材」像ではなく「仕事」像なのではないか、ということですね。
上であげた例で言えば
・自分の成果物は自分一人で作れる
・日本サイドのカウンターパートナーも基本一人か少数であり、ラポール形成の必要がない
・日本サイドのオペレーションを自分でやる必要がない
などの条件により、国境間を移動する必要がない仕事、ということですね。考えていったら他にもあるかもしれません。
・・・と、この調子で行くと、何も答えられそうにないので、ここらでお題に立ち返って「越境ワーキングが救う人材」像をあえて言葉にすると、
・上に記したような、越境リモート完結し得るような仕事を、自分で創り出せたり、引き寄せたりできる人材
・すでに走っている仕事を越境ワーキングに合わせたオペレーションに自力で補正できる人材
なのではないか、と思います。
リモートは働き方の一つであり、リモートが一般的になったことは、連続的に社会に起きる変化の一つに過ぎない、と思います。
リモートが働き方に加わったことを、選択肢が増えたことであると歓迎し、変化を自分の仕事にうまい形でアダプトできる、というのが越境ワーキングがうまく行くことの構造であり、そういう意味で上に記した人材は越境ワーキングにより「救われる」のではなく、それを「活用できる」人材、という方が的確な感じがします。
捻くれた物言いの第三として、この『「救う」のではなく「活用する」なのではないか』という点を挙げておきます。
最後に。
筆者はここのところ、寝不足に無縁です。その理由は週の半分くらいはリモートワークするようになり、早朝に起きて出勤する、という習慣から解放されたからです。
考えてみれば、新型コロナが発生するまでは、とても長い間、8時くらいに出社して結構な頻度で深夜に飲み帰る日々を続けてきた身。日付が変わって帰宅した翌朝5時半に起きる、というのでは、そりゃ寝不足にもなるわけです。
翻って現在、9時がその日最初にミーティング始まりであれば、なんなら8時に起きてもなんとかなります。蓄積してきた寝不足を、ここ1年間でまとめて解消しているような感じもします。
そして、これは多分、筆者のみならず、幸運なことにリモートワーク環境を享受できる人であれば、大なり小なり実感されていることと思います。
国境ではなく県境の話にはなりますが、そして若干不謹慎な物言いになるかもしれませんが、越境ワーキングが救った一番大きなコトは、通勤時間の犠牲になっていた睡眠の回復、なのかもしれません。