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AI時代には、ぶっきらぼう接客の価値が再発見される

AI時代に人の仕事はどうなる

以下の記事で、筒井康隆さんの「アノミー都市」という短編小説が紹介されています。

AIが社会のすべてを管理する未来に、人々が無気力に生きている様相を描いた作品です。昨年から世界を席巻しているジェネレーティブAIは、これまでのAIのような単純作業だけでなく、コミュニケーションやクリエイティビティなど「人間にしかできないはず」と思われていた分野にも進出してきており、高収入の人の仕事さえも奪う可能性が出てきています。

この記事は、パワハラこそがAIの本質であると指摘しています。

「何度やりなおしをさせても文句を言わない」という特性こそ、アウトプットの質を云々する前に、圧倒的に人間を超えています。パワハラOKなのです。これこそ、AIの本質です。

AIは完璧な接客を演出できるだろう

日本全国に普及しているチェーンの飲食店は、接客はマニュアル化され対応も完璧です。客の気分を害するようなことはいっさいないし、客はいつでも気持ちよく食事をすることができます。単価の安いチェーン店なのにそこまで腰を低くしなくても……と感じることさえ多々あります。

そしてこういうチェーン飲食店の接客こそが、まさにAIの得意なコミュニケーションでしょう。デフレ時代に「お客さまは神様」が常態化してしまった日本では、モンスタークレーマーやカスタマーハラスメントといった困ったトラブルがいまも頻出していますが、こういうトラブルメーカーたちに対応するのもAIの仕事になっていくのかもしれません。何をやらせても愚直に実行し、同じことをしつこく何度も何度も文句を言っても、疲れることなく笑顔で返事を返してくるのです。

しかし接客の完璧なチェーン店には、欠点がひとつあります。クセのある個人店で見られるような、スリリングな楽しみがないということです。店と客のあいだのコミュニケーションが滑らかすぎるからです。上記の記事で稲田俊輔さんが、人気テレビドラマ「孤独のグルメ」について興味深い指摘をしています。このドラマは実在する飲食店を、松重豊演じる架空の人物井之頭五郎が訪問し料理を楽しむという趣向です。街になじんだ飲食店のたたずまいや料理などはとてもリアルに描かれているが、一点だけリアルではない点があると稲田さんは言うのです。

お店の方々が、妙に愛想が良すぎる。常連客たちも然り。地域に根ざした個人店は、実際はもっと淡々としていることがほとんどだと思います。あんなに常に満面の笑みをたたえ、覗き込まんばかりに目と目を合わせ、フレンドリーかつざっくばらんに、そしてやたら饒舌に接客するなんて、現実にはそうそうありません。

常連が多く歴史の長い大衆食堂や大衆酒場は、たしかに素っ気ない接客の店が少なくありません。そこまで愛想を良くしなくても、客がやってくるからでしょう。

大衆食堂の接客は怖くてスリリング

一見の客にとっては、この接客がスリリングです。注文の方法など独自のルールがあるのではないか、食べる順序など間違っていないかなど、おっかなびっくりで料理に向き合うことになるのです。無事に食べ終えて会計まで完了すると、ほっとひと安心。刺激的な冒険を完了させたような気持ちになります。

大衆食堂や大衆酒場では、コミュニケーションがまったく滑らかではありません。店がどういう対応に出てくるのかさえ予測できません。逆にその予測できなさやコミュニケーション不全が、個人店の面白さでもあるのです。

極論を承知でいえば、それは「相手が自分をどう思ってくれているかわからない」という恋愛初期の駆け引きそのものである、とも言えるでしょう。

こういう大衆食堂のぶっきら棒な接客こそが、実は最も「人間的」と言えるのかもしれません。ぶっきら棒な接客は、予測不可能です。店主の性格や気質によって多様なパターンがあり、個性がきわめて強い。客の側の楽しみかたも、店主の個性の強さを面白がり、予測不可能な接客にどう対処するのかというところにスリリングな面白さを感じるのです。

これは人間の魂の荒々しい衝突なのです。こういう世界こそが、実はAIに奪われないひとつの方向性なのかもしれません。

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