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欧州で激化するワクチン・ナショナリズム

欧州で浮彫りになるワクチン・ナショナリズム
世界経済の浮沈は新型コロナウイルスの感染抑制状況にあり、その鍵を握るのがワクチン供給の成否にかかっていることは論を待ちません。この点、世界的には感染予防に関し、行動制限からワクチン接種の多寡にキーポイントが移り始めているように見えます。既に欧州ではワクチン・ナショナリズムとも呼ばれる動きが注目を集め始め、また懸念されつつあります。

3月25日の欧州理事会(EU首脳会議)では年初から注目を集めていたワクチン輸出許可制度が加盟国間で合意を得ていることが強調されました、この規制の下、域内で欧州委員会が事前購入合意を結んだ製薬会社が域外へワクチン輸出を行う際には、欧州委員会との合意を履行した上で承認を得る必要があります:


厳密には製薬会社は製造拠点がある加盟国の政府に通知を行った上で許可を得た後、通知を得た加盟国が事前購入合意に照らして障害になるものではないかを欧州委員会に諮り、承認を得る必要があります。つまり、製薬会社からすれば、「製造拠点となる加盟国」と「欧州委員会」の2つにお伺いを立てなければ域外輸出ができません。仮に、この規制に賛同しない加盟国が国内所在の製薬会社から通知を受け、それに許可を出したとしても、欧州委員会が承認しなければワクチンはEUを出ることが出来ないという点も重要です。というのも、本規制に関してはドイツ、フランス、イタリアなどは賛同していますが、(製薬会社が本籍を置く)相手国からの報復を懸念するベルギーやオランダ、アイルランドは消極的と言われています。

例えば、英アストラゼネカ社はオランダに製造工場を持っていますが、オランダ政府が許可しても欧州委員会が承認しなければワクチンは輸出できません。実際、3月初めにはイタリアからオーストラリアへの輸出計画が止められています。域内に存在するワクチンの生殺与奪を欧州委員会が握る状況であり、EUがワクチン・ナショナリズムに動いていると言われるゆえんです:

「EU vs. 英国」のワクチン戦争

欧州委員会がワクチンの輸出規制に執心するのは域内へのワクチン供給が英米に対して大きく劣後しているという状況があるからでしょう。今回の輸出規制の発端も英アストラゼネカ社がEU向けのワクチン供給を大幅に下方修正したことにあるとの指摘があります。実際、3月17日、フォンデアライエン欧州委員長は同社製ワクチン供給予定に関し、1~3月期が当初の9000万回分から3分の1の3000万回分 へ、4~6月期が1億8000万回分から7000万回分へ大幅に減少されるとの見通しを述べています。英国はEUからのワクチンの最大の輸出先にもかかわらず、英国からEUへのワクチン輸出は限定されているというから、欧州委員会が快く思わないのは当然でしょう。「接種率が高い国への輸出が適当なのか」という同委員長の弁は納得できる部分もあります:

ちなみに、欧州委員会は承認にあたって「相互主義」と「比例性」を重視するとしています。「相互主義」とはEUからのワクチン輸出がワクチン生産国向けの場合、当該国からもEUへのワクチン輸出を求めるというもので、やはり今のEUと英国の置かれた状況を念頭に置いていると見られます。「比例性」は、EUからワクチンを輸出する場合、その輸出先のワクチン接種率がEUのワクチン接種率よりも高いかどうかを考慮するという考え方とされます(詳しく知りたい読者は欧州委員会の発表を参考にしてください)。

この点、英国とEUではワクチン接種回数は比較にならないほど英国が優位に立っているわけですが、にもかかわらず英国からEUへの輸出は限定されているという状況があります:

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「相互主義」、「比例性」に照らせば、「もっとワクチンを寄越せ」というのがEUの主張であり、その主張に実効性を持たせるための輸出許可制度という話です。相応に理は通っているように見えます。

「ワクチン・ナショナリズム」は世界経済のリスク
しかし、欧州委員会がやったようなことが、欧州を超え世界中で行われるようになるとワクチン・ナショナリズムないしワクチン保護主義といったフレーズが席巻する物騒な状況が定着することになります。それは結果的にワクチンの抱え込みに繋がり、必要な場所に必要な数量が行き届かないという事態を招きかねないものです。そうなれば間違いなく世界経済の損失です。

既にワクチン戦略の巧拙は為替相場の強弱関係に表れています。4月1日、ユーロ/ポンドが1年2か月ぶりの安値をつけたのはワクチン戦略に勝る英国の金利がユーロ圏のそれを凌駕しているからという面もあるでしょう:

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上述したように、今のところ、EUの主張は理が通っているように見える。欧州委員会によれば、2020年12月以降、EUからのワクチン輸出は7700万回分に達しており、世界最大のワクチン輸出元だそうです。許可制度を通じて差し止められたのも、上述したイタリアからオーストラリアへの輸出1回分だけであり、しかもそれはローマ郊外の工場を治安部隊が検査したところ、イタリア政府・欧州委員会の把握しない2900万回分の余剰ワクチン(ドラギ伊首相の弁)が見つかったことが発端とされています。EUへの供給が遅れているのに製薬会社は隠しているのかという不信感から下された決断という話でした。このワクチンが不正に隠されていた在庫なのか、適切な在庫だったのか筆者には知る由もありませんが、現状のところ、EUが闇雲に輸出規制を執行しているようには見えません。2021年が実質的な英国EU離脱元年であるため、余計にEUと英国の関係が拗れやすくなっているのかもしれません。そうだとすると、ワクチン・ナショナリズムがとりわけ欧州に限定した問題として収まってくれるという希望的観測もなくはないでしょう。

但し、どんな理由があるにせよ、今回、欧州委員会が示した輸出規制のような政策運営は紛れもなく保護主義に類する政策です。歴史に倣えば、相手国の報復を引き起こす可能性が高いと言わざるを得ないでしょう。その対象がワクチンだけではなく、ほかの財やサービスに及ぶ可能性もあります。既にインドも同様のワクチン輸出規制を敷いていますし、そもそもEUの主張は英国や米国が(暗に)輸出規制を敷いているという思いから生まれたものです。未知のウイルス登場を受け、対症療法的な行動規制に終始した2020年とは異なり、2021年にはワクチンがあります。その価値があまりにも大きいことから、世界経済は「ワクチン・ナショナリズム」ないし「ワクチン保護主義」という2020年にはなかった別のリスクを抱え込むようになったようにも見えます。

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04年慶大経卒。JETRO、日本経済研究センター、欧州委員会(EU本部)などを経て08年10月より現職。著書に『欧州リスク: 日本化・円化・日銀化』、『ECB 欧州中央銀行: 組織、戦略から銀行監督まで』。所属学会:日本EU学会。※コメントは個人的見解であり所属組織とは無関係です