折り鶴に込めた願いには、きっと力があるはず

ウクライナの戦禍から避難してきた方の中には、心理的に大きな負担が掛かり、体調を崩してしまっている人が、多くいらっしゃるようです。

本国に残り、過酷な環境に晒されている方々には、さらなる負担が掛かっていることが想定されます。

最近、戦禍のウクライナへ日本から折り鶴を送ろうとしている団体に対する批判コメントを目にしました。

ふと思い出したのは、戦時中の広島を舞台とした「この世界の片隅に」の映画を観に行った時に気づいたことです。自分が全く想定していなかった戦争の過酷な観点です。

「原爆投下を体験して生き残った人たちは、誰かに死ねばいいと思われた事実を、受けとめなければならなかった」

自分が誰かから、本気で死ねばいいと思われたと知ったら、悲しくて、恥ずかしくて、やりきれない気持ちになる。高熱や放射線などによる物理的な損傷だけでなく、精神的な負担の大きさがいか程だったのかを考えると、辛くなりました。

長い間、爆撃の中で生活をしているウクライナの人たちに対して、遠く離れた地に住む誰かが、「鶴を折りながら、幸せや平和を願っていること」を伝えるのには、何らかの意味があるし、そこには救いがあると確信をしています。


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