見出し画像

おつかれさまです。uni'que若宮です。

日経COMEMO主催で、「アートシンキングの学校」という連続イベントをプロデュースしているのですが、先日その第一回がありました。

もともとは4月開校予定だったのですが、コロナ禍で順延となり、最終的にオンラインイベントに。基本有料のイベントながら200名を越える方にお申込いただき、当日も同時接続数で150名以上、参加者のみなさんとのやり取りもとても活発だったのですが時間が足りずお答えできなかった質問があるので「放課後」編としてCOMEMO上でお答えしたいと思います。

ご参加された方のレポートはこちら↓


Q1:ロジカル思考は熱量が少ないってほんと??

「アートシンキング」は出発点だと思いますが、無意識のうちにそれ目的化してしまっているように感じます。
また、ロジカルシンキングが熱量が少ない、という若宮さんの図は違和感を覚えました。
私は科学者なのでロジカルシンキングをするのが仕事ですが、自分の感性・発想・個性、たぶんそれが「いびつさ」なのだとおもいますが、それを形にする「手法」としてロジカルシンキングが必要です。
おそらく大事なことは「○○シンキング」は関係なく、「いびつさ」を常識というヤスリやカンナで丸められることなく形にすることなのでは、と思います。

トークセッションでこちらの図を示したので、それに対してのご意見だと思います。

スクリーンショット 2020-07-10 12.28.48

まず、レクチャーでもお話したように僕はアート思考がデザイン思考やロジカル思考に「勝っている」とかいうことは全く思っていません。ロジカル思考は課題を解決するために重要ですし、多くの人に届けるために今もなおとてもパワフルなツールです。

この方のご質問に関しては2点ありまして、1点目はロジカル思考とロジックはちがうものだ、ということです。「ロジック」はもともと「ロゴス」という言葉から来ていて、wikipediaによると、

ロゴス(logos)とは、古典ギリシア語の λόγος の音写で、
言葉、言語、話、真理、真実、理性、 概念、意味、論理、命題、事実、説明、理由、定義、理論、思想、議論、論証、整合、言論、言表、発言、説教、教義、教説、演説、普遍、不変、構造、質問、伝達、文字、文、口、声、ダイモーン、イデア、名声、理法(法則)、原因、根拠、秩序、原理、自然、物質、本性、事柄そのもの、人間精神、思考内容、思考能力、知性、分別、弁別、神、熱意、計算、比例、尺度、比率、類比、算定、考慮などの意味[1][2][3]。
転じて「論理的に語られたもの」「語りうるもの」という意味で用いられることもある。

「ロジック」というのは広義には知性そのものですから、それが必要なことは(アートをつくるためにすら)疑いようがないと思います。一方「ロジカル思考」というのは「思考のフレームワークの一つ」です。

ロジカル思考の最も強力なツールは「MECE」ですが、MECEに分類する時に「個人的な体感」から行う人はいません。分け方がそれぞれになってしまうとMECEというのがそもそも成り立たないからです。ですから、ロジカル思考の分析は「客観的」で「冷静」であり、熱狂してMECEする、ようなことはあまり起こらない。「情報」のレイヤのみで熱量が少ない、という意味です。

僕は本当のサイエンスは、それまでの常識をぶち破り発見を打ち立てることだと思っているので、ある種アート思考的だと思っています。一方サイエンスでも、すでに見えている分節や「定説」を「普遍・不変の真理」だと思ってしまうとロジカル思考の弊害に陥ってしまうこともあります。量子力学なんて、古典物理学の分節からすると理解できませんよね。科学的本質を掴むためには「他分」を乗り越えるジャンプが必要だと思いますが、それがしばしば「宗教戦争」のような争いを生むのは科学がロジカル思考のみに回収できない証左だと思います。


Q2:アート思考はデザイン思考の一部??

アート思考はデザイン思考のフローにおけるクリエイション、アイディアの素養を指すのかなと思うのですが、どうなんでしょうか? 体系的な〇〇思考とは同列ではないのかなと感じました。

デザイン思考とアート思考のちがいについてはよく質問をいただきます。

アート思考というと「感性」みたいな話になりがちですし、デザインとアートがそもそも混同されがちなのですが、僕はデザイン思考のクリエイションとアート思考のクリエイションは出発点がそもそもちがうと考えています。デザイン思考やデザインは基本的にクライアントワークであり「課題解決」です。ですので、デザイン思考のプロトタイプは「潜在ユーザーのニーズをカタチにする」ことであって、自分起点ではありません。こうちがいを説明するとデザイン思考を否定するのか、と言われることもあるのですが、前述のように用途がちがうだけでどちらがよいというようなことはありません

また、「体系的な〇〇思考」ではない、という部分についてはYesでありNoという感じでしょうか。デザイン思考もメソッド化はされていますが、how-to通りにやればできる、というものではありません。デザイン思考のエスノグラフィやプロトタイピングにはある種のセンスが必要で、それを磨く訓練をしない限り本来の力は出ないのです(デザイン思考が批判されているのはこういう訓練をしない人が形だけ真似して失敗するケースがあまりにも多いからだと思っています)

アートシンキングにテクニックはあるのでしょうか?

という質問もいただいたのですが、「体系」や「テクニック」だけではいけない、というのはアート思考に関してはさらにそうで、「やり方」は勿論あるのですが、瞑想がやり方を知ればそれでいいというものではないように、「実践によって体質改善する」ことが大事です。大事なのは「体系」や「知識」ではなくそれを日々血肉化していくことなのです。


Q3:ロジック重視のビジネスの現場でアート思考を活かせるの??

そのいびつさを、仕事で提案で聞いてもらう、コツなどありますか?
ビジネスマンとして社会を巻き込むためには、アート→ロジカルの、ある種翻訳作業のようなことが必要になるようにも思います。
そのフローの中で、いびつさのようなことが削られてしまうリスクもあるかと思うのですが、その辺りで何かコツなどがあれば、ご教示いただけますと幸いです。

こちらもとても多く頂く質問です。アート思考で「自分起点」になったとしても、企業だと通らないし、潰されてしまうじゃないか、と。

これはその通りで、著書に書いている通り、僕は究極的にいうとこれからの組織は異質性を内包し「身体システム」化していく必要があると思っているのですが、とはいえ「頭システム」のところが多いのが現状です。

だからこそ、アート思考だけでなく、デザイン思考、ロジカル思考が必要なのです。

スクリーンショット 2020-07-10 12.33.50

「思考スイッチ」とよんでいますが、僕は「アート思考至上主義」とかでは全く無く、フェーズやタイミングによって思考を切り替えることが大事だと思っています。アート思考で自分起点で考えたあと、そのよさを分かってもらったり、広げていく時にはデザイン思考、ロジカル思考を使うのです。

よくアート思考を「自分が好きなバンドのCDをプレゼントする」というのに喩えますが、それだけだと「は?これなに?」っていうだけで終わっちゃうんですね。相手に好きになってもらうためには、相手が好きなバンドに近い曲をチョイスしてまず聞いてもらうとか、相手の事を考えて潜在ニーズにあてる工夫も必要です。

社内だけではなく、冒頭でご紹介した参加者の方も書いていただいている通り、資本主義市場でもこのジレンマがあります。

顧客に好かれるために、自分らしさを捨てて、好かれる態度を取ろうとすると、魅力が半減してしまうというパラドックスがあるので、なかなか難しいところです。


起業家はみんなそうですが、最初はほとんどの人に否定されます。しかしそこで、「わからんやつが馬鹿だ」といっていても何にもならないわけで、手をかえ品を変え、社会に響くポイントをさがして(ピボット)、最終的には多くの人に届けられるスケーラブルな形(プロダクト・マーケット・フィット)にしていくわけです。ただ、大事なのはここで「自分」を忘れないこと。相手に届けることは相手に阿ることではありません。「当てに行く」ことをしているうちに自分を失い、「誰でもいい人」になってしまうことが多いので、むしろ企業の中でこそアート思考に立ち戻る(初心)のを意識的にする必要があるのです。

スクリーンショット 2020-07-10 13.12.57

アートシンキングはエゴであるべきでしょうか?

という質問もいただいたのですが、エゴではあるものの、エゴだけで終わるとただの自慰行為です。「自分」は「起点」ではあるものの、出発点にすぎません。実は日本のアーティストは反対に「起点」しかない罠にハマっているケースも多いので、「思考スイッチ」はアーティストにも重要だと考えています。


Q4:「アート」と「シンキング」ってそもそもつながるの?

なんか、そもそもアートとシンキングはあんまり繋がらなくて、アート×エモーショニングな感じがしてきました!良い意味でそもそもシンキングじゃないというか…

これについては、↓こちらの記事でも書いているのですが、

あくまで便宜的なというか、ビジネスにおける「ロジカル思考」と「デザイン思考」との対比で使っている言葉づかいです。

また、よくある誤解として参加者の方が書いているように、

美術に関わることをずっと続けてきた私としてはここで言われる「アート」というのが芸術表現そのものを指してる訳ではないことに、やっと気がつきました。

「アート思考」はアート的な創造性を取り入れよう、ということで「アート作品」をつくることではないんですね。アート思考ワークショップとアートワークショップはちがうわけで、ビジネスパーソンよ、絵がうまくなろう!なんていうことでは全然ないのです。ただアートに触れることやアートをつくってみることからは「正解がそもそもない」ということを体感できるので、「アートシンキングの学校」では「アートとの出会い」を大事にしています。


「触発」ということ。

今回、とても面白かったのが、頂いた感想に極端な賛否があったこと。

アート思考のとても分かりやすい解説をしていただき、理解を深めることができました。
2年目社員として、今の会社に疑問に思うことが多かったですが、別解をもらえた気分になりました
「○○思考」と聞くと、少し難しく感じていました。しかし、学生の私でも自分なりに噛み砕き、理解することができました。個性や偏愛といったこだわりをどのように社会と結びつけることができるか、考えるきっかけになりました。

などの感想を頂いた一方で、

正直全然ピンとこなかったです。

という方もいらっしゃる。


アート思考には「触発」という概念があり、それはデザインやロジックのようにみんなを同じ方向に連れて行くものではなくて、バラバラに動かすエネルギーです。

感想のちがいは、その人自身の「身体」のちがいに起因していると思うのですが、そのそも僕のアート思考レクチャーやパフォーマンスに「わかるわかる!」という風に納得してほしいわけではないのです。

「いや、そうじゃない!」と憤ったり「全然わかんない」とおもったり「いや、わかるけどさー、そうはいかないじゃんね…」とモヤモヤする。それでいいのです。

アート作品や映画でも、「いやー面白かった!」とすぐにわかるエンタメではないんだけど、むしろなんだかよくわからないんだけど身体に残る作品ってありますよね。ずーっとどこかに引っかかって残っていて、徐々に身体で培養されていくようなそういうアートこそ僕は好きなのですが、「触発」というのはそんな「葛藤」のエネルギーを埋め込むことだとおもっています。今回のmizhenの作品も、ストーリーがあって面白い!っていうものじゃないけど、なにか身体に残るようなものだと思うんですね。

非常に新鮮なセッションでした。目の前で映画が展開しているような不思議な調和というか。表現の可能性を見せて頂きありがとうございます。


そしてもう一点、「分からなかった」という方が結構たくさんいたのも今回のアンケートの特徴で、


五感から得られる抽象的な感情や考えを発見して、それを言語化または表現などを通して自分の中で理解し、消費していくことがアートシンキングのやりかたかなと理解した。ただ、この世の中で五感をフルに働かせて敏感に感じ取る力が自分にとって鈍くなっている気がする。そもそもそれをどうやって磨いていくか、さらにその感じたものをどのように実際のビジネスに生かすかがよく分からなかった
全体的に時間制限があるからかと思いますが、ざっくりした内容で、アートシンキングの考え方をどのように使っていけるか分からなかった
一方で「シンキング」「学校」と言っているので、じゃあこの体験をどう活かすか?となるとどうなんでしょうね。具体的な代案が今はないですが。私は現代アート鑑賞オタクなので「アート意味分からん」などと言ってる人らの頭をどうやわらかくするか奮闘中。

実は、著書を『ハウ・トゥ〜』という名前にしていたり、イベントタイトルに『学校』とつけているのは、ちょっとしたいたずらというか、あえてやっているところがあります。

そういう名前だと「答え」を教えてくれそうな気がするじゃないですか。そうすると「答えを知りたい方」に見てもらえる。でも、「答え」を期待して行ってみると「実は答えなんてないんだぞ」ということを見せられる。で、モヤモヤする。アート思考的にはそれこそがやりたいことなのです。

むしろ仕事に活用できるテクニックや効率のためのハックばかりになっている現代だから、こそ「これ仕事に活かせるの???」ということが重要なのです。こちらのnoteにまとめていただいていることがまさになのですが、

仕事で最も活用しづらいのがアート思考。そして、現代人に最も不足しているのもアート思考

なのですね。ただ、「活用しづらい」からといって意味がないわけではないのです。「短期的効果」が見えづらいけれども、ビタミンを取らないとやがて病気になってしまうように、中長期的に仕事に効いてくる。


ですので、頂いたご意見を次回の改善に生かして次はもっと「分かりやすい」イベントにするぞ!なんてことは申し訳ないのですが全くなくって、次はむしろもっとカオスになるかもしれません笑。 そもそも2時間のイベントで浅く「分かったつもり」になるのが最も危険です。イベントはあくまで入口であり、モヤモヤを含めて気になった方はぜひ本をじっくり読んでいただいたり、更に沢山のアートに触れてみていただけたらと思います。


次回は僕の長年敬愛する現代アーティスト、高嶺格さんをお招きするんですが、もうなんかバナーからしてあれです。

画像4

まだ募集は開始していないのですが、高嶺さんとのセッションは本当に楽しみ。ぜひご参加いただけたらと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?