バリアフリーは長期的に見ればなくなる概念【日経COMEMO_投稿募集(遅刻組)】
バリアフリーは時代の流れ
マイノリティーへの配慮は、全世界的な流れであり、社会活動における守るべき良識となってきている。それは、LGBTやSOGIへの取り組み、障害者雇用の推進、職場のバリアフリー化など、現代のビジネス環境のいたるところで確認ができる。日本においては、人口減少と少子高齢化における労働人口増への期待を込めて「一億総活躍社会」という文脈で語られることが多い。しかし、欧米を中心として、マイノリティーへの配慮は人権を尊重しようという世界的な価値観の変化の一文脈として考えられる。言わば、マイノリティーに対する世界の常識をアップデートしようという動きだ。
常識をアップデートするという立場に立ってみたとき、障害者を含めたマイノリティが生き生きと働くには、どのような施策や支援を企業はすべきだろうか。日経COMEMOでは、「環境を整えれば、障害はなくなるのか?」という問題提起で投稿を募集している。
社会課題はシンプルな因果関係で考えない方が良い
日経COMEMOの記事でも取り上げられているように、「環境を整えることで、障害はなくなる」という考え方は実際に存在するし、ある程度の効果も期待できる。
その一方で、私たちは日々の生活や歴史の中から、「環境を整えただけでは、人々の意識はそう簡単に変わらないし、社会も変革しない」ということも知っている。それでは、意識や社会の変革はどのようにけん引ができるのだろうか。それには、変化という結果を導き出すための因果関係のロジックを理解することが大切だろう。
社会科学において、因果関係というのは重要な概念だ。好ましい結果を導くのに、主要な影響を与える要素を明らかにすることは、社会科学を学び、調査や研究をするうえで基礎となる。そして、社会科学に含まれる学問領域は、この因果関係の基本構造に大きな影響を与えている。
例えば、社会学では基本的に「結果は社会の在り方によって規定される」というスタンスをとることが多い。このスタンスだと、私たちの意識や社会の在り方を決めるのは環境などの外部要因による影響が大きいとされる。日経COMEMOの問題提起の在り方は、このスタンスに近しい。反対に、心理学では基本的に「人々の意識は個人特性によって左右され、社会の在り方は個人の総和として現れる」と考える。どのような環境であっても社交的な人間は社交的であり、閉鎖的な人間は閉鎖的な人間であって、個人の本質は簡単に変化しない。ここであげた例は、わかりやすくするために極端にしているので、実際のスタンスにはもう少しバランスがとられる。
しかし、社会を変えようという活動には、その論者の基本スタンスがどのような社会科学の知見に立脚しているのかで決まることが多い。たとえ、大学などで専門的に学んでいないとしても、情報収集や知識の入手元や影響を受けた周囲のコミュニティで基本スタンスは変わってくる。
つまり、社会学的な考え方をする人は「環境を整えれば、障害はなくなる」と考え、心理学的な考え方をする人は「個人の障害者に対する印象を改めることで、障害はなくなる」と考えやすい。経済学的な考え方をする場合は、「予算配分や経済的な支援が、障害をなくすための重要な要素だ」と考えるだろう。教育学では、「学校教育が、障害をなくすための重要な要素だ」という論が有力となり得る。そして、定量や定性データを収集し、分析をしてみると、そのどれもが正しいという結果が出てくることが多い。
このことは、私たちに1つのスタンスに固執せず、有効とされるスタンスを積極採用することの大切さを教えてくれる。同じ結果が期待できるのであれば、「環境要因」「個人要因」「経済要因」「教育要因」などの様々なスタンスからの知見を活用することが、実践者として求められている。求めている結果をビジョンと言い換えると、ビジョンのために有効なスタンスをいくつも組み合わせで実行していくのは、俗に「ビジョナリー・リーダーシップ」と呼ばれる意思決定と行動特性の特徴と近くなる。
バリアフリーは常識になる
多様なスタンス努力し続けることで、バリアフリーに対する世界の常識をアップデートすることは可能だろう。このことは、過去の人類史が教えてくれている。そして、世界の常識を変えるには200年も300年も必要なものではなく、100年以内でなされることが多い。
例えば、アメリカ合衆国憲法修正13条で奴隷制度が廃止されたのは1865年だ。それから、全世界で「奴隷制度は悪だ」という共通認識が形成されるに至るのに100年も必要としていない。それ以前の人類史では、「奴隷制度は悪だ」という概念は存在しなかった。奴隷制度に対する共通認識も、法改正やキング牧師による伝説的な演説と活動だけではなく、政治的要因、経済的要因、教育的要因など、多様な要因が相互作用しながら、新しい常識を作り上げることに寄与した。
情報通信の科学技術が発展した現代では、150年前よりも、変化スピードは速くなるだろう。バリアフリーだけではなく、常識のアップデートは様々なところで起きている。例えば、1990年代の主要なコミュニケーションツールだった「電話」「FAX」「メール」も既に過去のものとなり、生産性の低いツールとなっている。「メッセンジャー」「SNS」「ビデオ会議」がより生産性の高いツールとして、新しい常識に置き換わってきている。
障害の有無が雇用の困難さに及ぼす影響は、まもなく無くなり、過去の問題となる日もそう遠くない。アスリートの世界も、健常者よりもハンディキャップを持った選手の方が好成績を出す時代もまもなく来ると予見されている。
バリアフリーが遅かれ早かれ新しい常識となるのであれば、私たちがすべきことは今から積極的に準備し、共に働いていくためのノウハウをいち早く身に着けることだろう。「果たして、本当にわが社にとって必要なのか検証しなくては判断できない」という時間をかけても、高確率で来るとわかっている社会変化は待ってくれない。変化のスピードが早い現代のビジネス環境において、変化に対する慎重で堅実な姿勢が、どれだけ日本の国際競争力を失わせてきたのか、私たちは失われた平成の30年間で学んできたはずだ。