日本文化が相対的に存在感を増す?ーーヴェネツィアでの展覧会 「ホモ・ファーベル」で思ったこと。
ヴェネツィアはオーバーツーリズムの代表的観光地の一つです。この夏から観光客への入島税の適用が発表されています。久しぶりに、そのヴェネツィアにでかけてきました。
アートのビエンナーレが4月23日からスタートしたのもありますが、トップの写真にあるリアルト橋であれ、どこであれ、観光客であふれていました。サンマルコ寺院の入り口は長蛇の列です。ため息橋を撮影する人たちで、その手前の橋の上は大混雑です。
街を歩いていると、さまざまな言語が聞こえてきます。欧州人だけでなく米国人と思われる人も多くいました。かつて多勢だった中国人観光客は見当たらず、当然のようにいた大型客船やロシアの豪華クルーザーも停泊していません。
今回のぼくの訪問は、クラフトの祭典である”Homo Faber(ラテン語:ツールを使うことで、自ら置かれた運命や環境がコントロール可能との概念)”を見学するためです。時計や宝飾のカルティエが代表的企業にある、スイスのコングロマリット、リシュモンのオーナーがもつミケランジェロ財団が主催のイベントです。
2018年が初回、2020年の開催予定だった2回目がパンデミックで今年に延期になったのです。さまざまな地域からの工芸に分類される作品が、島の大部分が教会施設になっている(サンマルコ広場対岸の斜めに位置する)サン・ジョルジョ・マッジョーレ島全体の屋内外を使って展示されています。手作業の実演もあります。
この展覧会を眺めながら、ぼくが思ったことをここに書いておきます。
美という領域が真空地帯になっていないか?
まず、「美というフィールドが真空地帯になっていたのを、着実に埋め始めているのがクラフトではないか?」と思いました。どういうことでしょうか?
ファインアートは欧州の近代にできた概念ですが、それにより工芸とされる領域(用を足す領域・装飾美術)が切り離されました。そして前世紀、米国で活躍したフランス人アーティスト、マルセル・デュシャン(1887-1968)以降、アートはコンセプトを第一義におくことになり、美は二義的な位置になったのです。むろん、美を軽視するわけではないのですが、第一にはこない。だから「美しいだけでもねえ」との批評がアート空間では行きわたってきたのです。
したがってアートフェアに行けば、「その作品のコンセプトが新しいか」「アート史にどう貢献するか」といった観点から、作品の質が議論されます。
それではイマドキ、何処で視覚的な美をおっぴらに語れるかといえば、自然の景観などを別にすると、実はクラフト領域なのではないかと今回、思ったのです。ここでは「美しいね!」と率直に言える。だいたいが、こういう条件自体が窮屈で面倒な話なのは、さておいて・・・。
「美しい!」は通俗的とされてきたのか?
Homo Faberの展示のなかで、とても評判の良い作品があります。小さな器の形状のものを膨大に並べた作品です。ぼくは拙著『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 100の講義』のなかでHomo Faberを紹介しています。ミケランジェロ財団のディレクターにインタビューした内容も書いています。そこで、今年のイベント全体の雰囲気を確認する必要があったのですが、加えて、以下の作品を実際に見たかったのです。
一枚目の写真がズームアップ、二枚目の写真がズームアウト。セラミックのアートの可能性を探っているぼくにとって、用途のはっきりしていそうな形状のものが集合体としてまったく新しい世界観をつくっている作品は、実に刺激的です。
そして「美しい」。
そこでふと思いました。美しいとの表現は、通俗的なものと見なされ過ぎているのかもしれない。ファインアートからは二流扱いされようが、日常生活に定着してきた工芸や装飾美術は通俗的であるからこそ、人の感じる美に忠実であろうとしてきたのでしょう。
だから、あえて極端な言い方をすれば、アートが「美に距離をおいた」ためにできていた空き地において、クラフトが存在感を増しているように見えます。ファインアートのギャラリーには受け入れられないとしても、インテリアのセレクトショップに並び、お洒落なデザイン雑誌には紹介される領域が現代のクラフトの一風景なのです。
また、このファインアートとの境をギリギリまで攻めるロジックを鍛え続けているのがラグジュリー領域でもあります。
日本のデザインが妙にしっくりする理由は?
今回のHomo Faberには日本の国際交流基金が協力しています。そのため、何となく「日本風かな?」と思うデザインが目につきます。そこで、ぼく自身の変化に気がつきました。
例えば、かつて、花を題材とした作品群(ここの作品は色々な国の人のものですが、日本の人の手によるものもあります)を高く評価してこなかったにも関わらず、今回、良いと思ったのです。前述の表現に沿えば、ぼくの見方はファインアート寄りにあり、かつ「海外における日本の伝統文化表現」には意識的に距離をおいてきました。少なくても、ぼくが関わるべき領域ではないと考えてきました。ビジネスとして市場を作るには、あまりに特殊だし、ぼくは自分の活動分野としてローカリゼーションを主舞台としてきました。
それが会場を回りながら、これまで日本に一緒に出掛けた欧州人たちが「これぞ、日本の美だ!」と賞賛していた数々のシーンを思い出したのです。あの時は、彼らなりの外交辞令もあるし、外国人からのオリエンタリズムとの色眼鏡だと判断していたのですが、今は彼らのあの気持ちが素直によく分かると思ったのです。
ぼくは2020年2月初めを最後に日本に出かけていません。2年半、日本の空気に直接触れていません。1990年春からイタリアに住み始めて、これだけ長く日本の地を踏まないのは初めてです。もちろんZoomでは頻繁に日本の人とは話すし、日本の動画も見ています。それでも物理的に長く離れていた結果として、ぼくは海外における日本文化の表現に対し、より好感をもつ心理状態になっている可能性があります。自分自身では想像していなかった変化です。
日本文化の表現が相対的に存在感を増すかもしれない
この見出しには、あまり喜ばしくない背景が隠れています。
一つは、東ヨーロッパで生じている大きな不幸に欧州の人々が心を痛めている現在、日本文化の表現がもつ「静けさ」に癒される、ということがあります。「静的」な特徴は市場を大きく動かすパワーにはならないため、ぼくは個人的な趣味とは別に、上記のように意識的に距離をおいてきました。しかし、「静けさ」がより貴重になりつつあるとすると、日本文化の表現の需要はあがる予感があります。
二つ目は、世界が分断されていくなかで、欧州と米国の西洋文化を中心した軸に日本が与している限り、その枠内でのバリエーションの一つになります。この30年間、グローバルなレベルで文化バリエーションが拡大していくなかで、日本の文化は他のエスニック文化のなかにどんどんと埋もれてきました。それぞれの国のデザイナーも欧州などの学校で学び、デザインの技量においては国ごとの差は少なくなってきました。
そういうなか、文化相対主義においては、日本のような経済的に豊かな国の文化は微妙な位置を占めてきたのです。しかし、民主主義・自由経済圏のなかに限定すると、文化バリエーションの幅は圧倒的に狭くなります。
上記の記事は、ドイツの対外政策の転換を話題にしています。中国偏重からの離脱の試みとして、日本との関係強化に向かっている姿勢を示すために、シュルツ首相はアジアの初訪問国に日本を選んだと解説しています。選択肢が減ったがゆえに優先順位があがったのです。
人類の誰にとってまったく嬉しくない厳しいなか、前述のような事情で、日本の文化ポジションの「転回」があり得ることは認識しておいた方が良いです。
そう思いながら会場を後にして、ヴェネツィア本島にヴァポレットで戻ったのでした。