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「無意識の偏見」とファシリテーション

「無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)」という言葉をご存知でしょうか?ぼくは2年ほど前にこの言葉を知り、学んでいます。今日はこの言葉と、「ファシリテーション」の関係について書きたいと思います。

無意識の偏見とは?

「無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)」とは、文字通り、無意識に偏見をもったり、思い込んでしまったりすることです。

こんな話があったとします。

ある男が、自分の息子を「車」に乗せて、自ら運転をしていた。残念なことに、その「車」はダンプカーと激突して、大破したしまった
   
救急車で搬送中に、運転していた父親は死亡。
息子は意識不明の重体。
あまりに悲惨な事故だった。
  
救急病院の手術室で、運びこまれてきた後者の顔を見た外科医は息を呑む。
そして、つぎのような意味のことを口にした。
  
「自分はこの手術はできない、なぜならこの怪我人は自分の息子だから」

これはいったいどういうことか?

(『人はなぜ物語を求めるのか』千野帽子 より)

さて、どういうことだと思いますか?多くの人は、この話を聞いて混乱します。

「だって、父親は亡くなってしまったんじゃないの?」
「外科医の息子ってどういうこと?」
「父親が2人いるっていうこと?」

ぼくも、こんなふうに初めは考えました。

そう、この外科医が男性だと無意識に思い込んでいたのです。ここでの「外科医」は「女性」だったのです。

「無意識の偏見」が社会に及ぼす影響

このような「無意識の偏見」は、さまざまな場所で現れます。

たとえば職場で、「つい事務的な仕事は女性に頼んでしまう」とか「育児をしている女性社員には、出張や遅い時間に仕事がある案件は頼みづらい」といったこととがあるとします。

これは女性に対する「無意識の偏見」によるものだと考えられます。それによって、女性の活躍や昇進が阻まれてしまっているのです。

日経新聞の「社長100人アンケート」によれば、女性管理職を増やす上での課題について、「性別による無意識の偏見」(50.7%)の回答がありました。

東京海上ホールディングスの小宮暁社長は「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)を正しく理解して対処することが必要。研修を実施し、過去からの育成環境の違いで生じている経験・機会の差を解消する」としています。

こうした思い込みが、女性や外国籍の方、障がいのある方の活躍を阻んでいるとされています。

「無意識の偏見」がファシリテーションに及ぼす影響

この「無意識の偏見」は、ワークショップや会議におけるファシリテーションにも影響を与えます。

ファシリテーターや、ワークショップや会議の場において、その場にいる人たちに問いかけたり、活動をうながしたりします。そのとき、相手をどのように見立てているかがファシリテーターの振る舞いを決めていきます。

たとえば、こんなシーンがあったとします。

ワークショップ中に、ものすごく難しい顔で腕組みをし、俯いている男性がいます。

ファシリテーターの頭には、「この人、ワークの進みがいまいちだな…」「もしかして怒っているのかな?」「ワーク内容に不満があるのかも?」といった思いが頭をよぎります。

それで不安になって「大丈夫ですか?」と、声をかけようかどうしようか逡巡していたその時、男性はやおらペンをとって付箋にアイデアをたくさん書き始めました。

実はその男性、怒っているのではなく、必死に考えていたのです。

こんなふうに、自分の見立てと、参加者の感情にズレがあることは、よくあります。

参加者のふるまいをよく観察し、心情や思考を推察することはファシリテーターに必要なスキルの一つです。そのスキルを伸ばしつつ、「無意識の思い込み」と付き合うには、どうすればいいのでしょうか?

他者の気持ちを考察する

子どもとのワークショップでこんなシーンがあったとします。

ワークショップで他の子どもたちがワイワイ作業をしているとき、壁の方に立ち尽くして、ぼーっとしている子がいます。

ファシリテーターの頭には「この子、ワークに集中できてないな…」「もしかして、退屈してるのかな?」「何かこの子が夢中になれるように手助けしていあげなきゃ」といった思いがよぎります。

そこでその子に「何か手伝おうか?」「一緒にやってみる?」と声をかけました。するとその子は黙って首を振り、また壁のそばにたってぼーっとしています。

さて、この子はこのとき何を感じ、考えていたのでしょうか。

ファシリテーションにおける観察の技術を磨くとき、こうした参加者のふるまいについて、さまざまな見立て方を議論することが有効です。

ぼく自身も、ワークショップ実施後に、仲間のファシリテーターと一緒に「あの時あの子は何を考えていたんだろう?」とさまざまな見立てを交換してきました。45分の短いワークショップのふりかえりに、2時間費やしたこともありました。

さきほどの例でいえば、壁に立っていた子の気持ちをさまざまな視点で推察していきます。

「私は、あの子は退屈しているように感じた」
「いや、でもよくみると、じっと他の子のことを見てたよね」
「もしかして、自分がつくるのではなく、観ることを楽しんでいたんじゃないかな?」
「楽しんでいたのかどうかはわからないね。でも、観ることのほうが、つくることより大事だったんだと思う」
「でも、本当はつくりたかったんじゃない?」
「もしかしたら、家に帰ってからつくりだすかもね」

こんなふうに、です。

ワークショップでファシリテーションをするときも、準備をするときも、ふりかえるときも、参加者のきもちに「なってみる」ことで質を上げていくことができます。

「他者視点の取得」の重要性

こうした「参加者/他者のきもちになってみること」自体に、大きな学びの効果があります。

メンフィス大学教授のAlex P. Lidseyらは、いわゆる「ダイバーシティ研修」の効果を測定し「他者視点の取得」と「目標設定」の有用性を明らかにしました。(『The Impact of Method, Motivation, and Empathy on Diversity Training Effectiveness』)



他者視点取得とは、ある経験をした他者の心理的状態を推察し、検討する活動を指します。この活動をした参加者の8ヶ月後の状態を収集したところ、ダイバーシティを推進する行動に対して、モチベーションを増加させ、他者理解に対してポジティブな変容がなされていたことがわかっています。

ダイバーシティを推進するうえでも、ファシリテーションを学ぶうえでも、「他者視点の取得」を目指した対話やシミュレーションは、効果の高い活動であると言えるでしょう。

「無意識の偏見」と付き合い続ける

「無意識の偏見」は排除できるものではない、と、ぼくは考えています。一つの偏見に囚われてしまい、それを絶対視して行動することが問題なのであり、バイアスそれ自体が悪いものではないのだと思っています。

対話や経験のふりかえりを通じて、誤解を恐れずにいえば「偏見のバリエーション」をふやすことが必要なのではないでしょうか。

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