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地味な現場力が、国力を作る

最近、製造業のクライアントから、現場の基礎体力が落ちているという嘆きを聞くことが多い。当たり前の検証が抜け、当然気付くべきエラーを何重もスルーした末、品質問題にいたって初めて見過ごしに気付くことが、ままあるという。

根本原因は、幾つかありそうだ。最近の日経記事によれば、卒業に甘い「履修主義」を続けた結果、中学生から大学生に至るまで学力が低下しているという。若手技術者のスキルレベルについて発射台が低い原因には、学校教育の地盤沈下がありそうだ。

さらに、仕事において「現場の勘」が伝承されにくくなったという原因もあるだろう。かつては終身雇用の制度に守られて、就職ならぬ「就社」をした末、じっくりと先輩から学んでスキルを育てられた。しかし、雇用の流動性が高まった結果、全体的にこのような機会が減っている。

最後に、世の中の風潮として、目立たないけれども「縁の下の力持ち」として地味に下支えするような仕事に対する敬意が薄れている気がしてならない。成果主義の意図されなかった副作用ではないか? 

品質保証に代表される「守り」の仕事は、得てして減点だけが目立ち、加点され褒められることはまずない。成果主義がもてはやされれば、自然と地味な仕事の魅力は後退してしまう。

しかし、昔は良かったねと、すべて肯定することが正しいとも言えない。メンバーシップ型と呼ばれる日本企業独特の人材育成システムでは、雇用の安定性と引き換えにやる気の低下が起こったり、専門分野が磨かれなかったりという欠点が指摘されている。

実際、熱意をもって仕事に取り組む姿勢をあらわすエンゲージメント指数において、日本の値は非常に低く、139カ国中132位という底辺に沈んでいる。

では、メンバーシップ型と対に置かれるジョブ型雇用ではどうか? 正しくジョブ型雇用ができれば、「縁の下の力持ち」に再び魅力を取り戻し、スキルの伝承を後押しすることができる。少し前の経済教室が説明するように、ジョブ型を成果主義や高い雇用の流動性と直接的に結びつけることは間違いだと思われる。

ジョブ型雇用とは「規定されたジョブに、それを遂行するスキルをもった働き手を当てはめる」と定義される。製造業における品質保証に代表される守りの仕事であれば、そのスキルを常に育て、専門とする人材をあてがう。

守りの仕事とはいえ、十年一日なわけではない。例えば、品質保証を例にとると、新しい処方や環境保護に対応した原材料が次々と登場する現在、知識の更新が今まで以上に必要だ。先端スキルを持つ人材は市場価値も高くなる。

一方、会社にとっては、良い人材が長くいてくれれば、越したことはない。ゆえに、このような人材を正当に評価・処遇するインセンティブが生まれる。良い人材と環境の好循環が回り始めれば、「守り」の仕事に対する本人の働きがいと周りからの敬意が生まれるだろう。

ジョブ雇用とは、簡単な解雇、離職を前提とした不安定な働き方を意味するものではない。腰を据えたスキル養成と、結果としての高いエンゲージメントを可能にするものであって、初めて導入する意味がある。

日本の強みは今も昔も製造業にある。ゆえに、守りの仕事に代表される地味な現場力を惜しみなく培うことこそが、日本経済、雇用主、働く人の「三方良し」を満たすと言えるだろう。


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