装いは、身を助ける。 ←→ 装いを考えない日本人は沈む。
日経未来面と日経のnote「comemo」の連動企画で、求められたテーマが「会えない時代になぜ装う」。
へー、面白そうなテーマ〜、なぜ装うか教えてよー、と思ったが、求められたのはそんなテーマについての感想じゃなくて、書かなきゃいけないんだけど、聞いた瞬間にいくつも思い出したことがあったので、それを書いていきたい。
装う、と言っても、僕が化粧をするわけじゃないので、基本、服、外見のデザインについてと思ってください。
あとこのテーマの前提が「会えない時代」。って言っても、完全に会わないわけじゃない。だって政府がGO TOとかやっちゃってるんだから、外で会ってんじゃん。
以前より会わない。テレワークで画面越しに会う。ま、直接会うのが減るってことだとして進める。
まず思い出したのは「木村さんの奥さん」のことだ。
僕が尊敬する高校の後輩で、サンタバーバラで研究者として働くOくんと言う人がいる。西海岸で働いているから尊敬しているのではない。本当に人のために尽くすから尊敬している。
彼は日本に帰ってくると、昔家庭教師をしていた教え子、木村君(ご両親と同居)の家に泊まっていて、そこでいつも「Oくんお帰りなさい」のご飯会が開かれる。尊敬するOくんが東京の両親と呼び、慕う木村君のご両親。どんな人物なんだろうと思って、ご飯食べに行きつつ、そのお人柄を見に行った。さすがの雰囲気で、ああ、こう言う大人になりたいものだと思って感銘を受けていたのだが、そのテーブルで、木村さんの奥さんがおっしゃったエピソードを、この「装う」のテーマを聞いてまず思い出した。
木村さんの奥さんは、アクセサリーのデザインをされている。(イメージしやすくするためにお年を書くと、60歳後半、かな)
そのデザインの仕方はユニークで、石をたくさん用意して、いくつもお客さんに選んでもらって、それをネックレスに仕立てていく。
ある日、お友達の娘さんがこられたそう。なのだが、その娘さんは長らく何かの病気を患っていて、入院したり病院にいたりすることが多いらしい。
木村さんの奥さんは、その子と話しながら、石を選んでもらって、ネックレスにして、渡す。彼女は、そのネックレスをして病院に戻った。
そうすると。何が起こったかと言うと。
彼女が変わった。自分の好きな色の、好きな石を身につけていることで、より自分らしくある。そして、そのせいか、またはそのアクセサリーが理由かで、周りの反応が変わる。「素敵ね」とか「似合ってるね」とか声をかけられて、ますます自分自身が変わる。
石には力がある。
そして、アクセサリーにも力があるのだ。
身につけている人の日常が、人生が変わっていく。
続いて思い出したのが、ここでずっと連載している「一言切り抜きfrom日経」の過去記事のコレ。
コシノジュンコさんの去年の交遊抄から。
これをきっかけに装いについて、いくつかの記事をまとめて書いた。
その中に引用した、人前に立つときは白のスーツで、と決めてらっしゃるエステー鈴木社長の話もここに切り出しておこう。
装いで、自分を変えられる。周りも変えられる。
会っても、会わなくても、会う量が減っても、このことは本質で変わらないだろう。だってアクセサリーなんて、何千年も人類は使っている。力をもらうために。何かを変えるために。
一方。こんなエピソードも思い出した。
それも昔、一言切り抜きのこのコーナーに書いたことだが、この文脈にぴったりなので、再掲する。
ここから切り出したいのは、このエピソード。少し上記リンクの過去記事に書き足しながら書こう。
あれは、東京学芸大学で行われた、産学連携の推進の会議で、講演を依頼された時。僕が話した後のQ&Aコーナーで、全然脈略がないけど、こんなことを聞かれた。
「今日はみんな(=聴衆)はスーツで来ていますが、(あなたは)なぜスーツで来られなかったのですか?」
ちなみに僕のその日の格好は、この写真と同じ。
Tシャツにパーカー、その上にジャケットを羽織るといういつもの格好。一方、聴衆50人はほぼスーツ。紺かグレー。5人くらい来られていた女性は、ちゃんと華やかだったけど、男性はまあよくあるこんな感じ。
はっきり言ってどうでもいい質問だと思ったけど、ふと思いついて、こう聞き返してみた。
「逆に質問ですが、なぜみなさんはスーツで来たんですか?」
と、そしたら。
「えーっと、なんででしたっけ、、」と周りに聞く始末。そして、周りも、事務局も、「なんとなくの慣習で、、」と。教育の現場がこれで、ほんと呆れました。
本当は僕がその場で言えばよかったなあと思ったのは
「産学連携という異業種とコラボしようとされている方々が、理由もなく同質化していては、コラボなんてできないですよ。」と。
「ラフな格好が多い、シリコンバレーの起業家みたいな人を生みたいと、教育現場や大学は思ってるでしょう?なのに、何の目立ちもしない服装で、しかも意味もなくスーツを毎日着てるなんて、はっきりいっておかしい。」と。
何も考えずに、スーツを着ている。「私は、周りとおんなじで目立たないようにしています。人畜無害なので、安全ですよー」というメッセージを発しているのだろう。無意識だろうけど、そう言うことだ。「無個性で、他から目立たず、普通のことをして、つつがない人間ですー。どうぞよろしく」と。
この変化の時代、たくさんの違和感が世の中にあって、その課題を解決して、より良い世の中をみんなで作って行かなきゃいけない。そんな時代に、この姿勢は致命傷だなと思う。
装いは、何かのきっかけになる。
装いは、世の中の動きを掴むための、1つの情報のソースである。
装いは、アイコンにできる。
装いは、メッセージである。
装いは、力になる。
装いは、自分も周りも動かせる。
装いは、武器になる。
その辺のことを、普段から考えられる人と、僕は付き合っていきたい。
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