見出し画像

淡々と、時に微笑みながら、裁かれない殺人をする大人たち

内閣府が毎年実施している「国民生活基礎調査」が今年は中止となったそうです。調査員が対象者を訪問して調査しているという古い手法だったのも驚きますが、仕方ないと言えるでしょう。

実は、2020年は5年に1度の国勢調査の年でもあります。こちらは9月中旬以降で予定通り実施するようです。

ところで、国民生活基礎調査の2019年版の結果も公開されていました。今回は、公開された「2019年国民生活基礎調査」の中かから個人的に注目したい事実について触れたいと思います。

健康票の中に「悩みやストレスの原因」について聞いたものがあります。その中に「いじめ・セクハラ」という項目に注目しました。2019年とともに15年前の2004年の実績も比較対象としました。

いじめというと学生・若者の問題と捉えがちですが、15年前と比較すると今や男女ともむしろ中年以降、特に50代が一番「いじめ・セクハラ」で悩んでることがわかります。

画像1

全体的に中高年の職場いじめ被害が増えたと言えます。女性もセクハラが増えたというより、15年前30後半の層がそのまま「いじめられ世代」として拡大している感じ。大人になっても、否、大人の方がいじめが多いという現実が浮き彫りになります。逆に、いじめで悩む12~14歳の中学生は減っています。

こう見ると、子どものいじめ問題に関して、大人が偉そうなことなんてとても言える立場じゃないのですよ。

さらに言えば、職場いじめは陰湿かつ狡猾になっています。

暴力とか暴言とか明らかに証拠が残り、パワハラ認定されるいじめなんて今はしません。やりがいある仕事を与えず、社内で孤立させ、関係性の切り離しと言われる証拠に残らない方法を取ります。

人間は社会的な生き物です。職場という集団において「自分は何の役にも立っていなんじゃないか」と思うと、精神的に不安定になり、自己肯定感が下がります。自ら何かをやろうとしても、それらをことごとく否定され、何もさせられない状況が続くと、もはや頑張ってもどうにもならないのだという気持ちにさせられます。それを「学習性無力感」といいます。

そうなると、大抵はじわじわと心が死んでいきます。心理的な拷問であり、心の殺人です。やる側はそれを満面の笑みでやっています。対象の心が死んでいくのを「しめしめ」といった感情で眺めます。

驚くべきことには、企業の人事部には、そうした「社員の心の殺し方」のマニュアルを持っているところもあります。もちろん、「殺し方」とは書いていませんが、要するに、リストラのために不要な社員を自主退職に追い込む方法です。なぜなら、これらの退職マニュアルを専門にコンサルする会社も存在するからです。

僕に言わせれば、殺人マニュアルだし、それを実行する者は殺し屋です。

かつては、企業によっては「追い出し部屋」というところに追いやって、辞めさせるというパターンがありました。あれもマニュアルにあることです。「追い出し部屋」については、裁判沙汰(企業の敗訴)になって社会問題化した時もありました。検索すれば事例はたくさん出てきます。

1999年に放送されたテレビドラマ「彼女たちの時代」にもそんな「追い出し部屋」が描写されていました。

大手不動産会社のエリートだった啓介(椎名桔平)は本社の花形部署から関連の子会社に出向させられます。その後子会社は倒産し、再び元の会社に戻るが、リストラ対象者が自主退社するための部署「人間開発室」行きを命じられます。彼はそこで地獄のような毎日を送るはめになります。

そこは、窓もなく、パソコンもなく、まるで刑務所の懲罰独房のような小さな部屋で、一日中「何もしてはいけない」と命じられるのです。絶望で狂いそうになる精神状態の中で、啓介は誰かが壁に削った文字を発見します。彼はそれを鉛筆でなぞって文字を浮かびあがらせます。

そこに書いてあった言葉は以下の通りです。

私の次にこの部屋へ来た人へ
ここに来て1ヶ月もう限界です。
なにもしないで じっとしていることが、
人間にとってこんなに辛いとは思わなかった。
もう どうでも良くなりました。
この部屋から逃げ出すことが出来れば、
もう何もかもどうでもよくなりました。 
悪いことは言わない。ここに来た方。
会社はあなたを辞めさせることしか考えていない。
しかもあなたから辞めるのを待っている。
ここにいる1ヶ月間 いろんなことを考えました。
なぜ 私はここに居るんだろう。
なぜ 私は何もしてはいけないんだろう。
会社はなぜ 私を選んだんだろう。
ここを出たら私はどうなるんだろう。
家族はどうなるんだろう。
親はどう思うんだろう。
そもそも 私って何なんだろう。
私は何のために生まれてきたんだろう。
何のために生きているのだろう。
人間が生きてゆくってどういうことなんだろう。
そんなことを考えました。
答えはわかりません。
私の次にこの部屋に来た人に。
出来れば 出来れば あなたと話がしたかった。
どんな話でもいい。
私はあなたと話がしたかった。

この言葉を、絞り出すような声で朗読し、嗚咽する椎名桔平の演技には、鳥肌が立ちました。

ドラマだから勿論多少の誇張はあるでしょう。しかし、90年代の「追い出し部屋」の実態はこんなものだったようです。当時はネットもまだ普及していなかった時代です。SNSで告発するという手段はありませんでした。

しかし、2000年を過ぎても、2010年代も、こうした事例は続きます。さすがに2020年にはもうないだろう、と思ったら、2020年6月に山口県の職員に対する「追い出し部屋」がニュースにもなっていました。いつまでも終わらないこの馬鹿げたパワハラ。いえ、パワハラではない。裁かれない殺人です。

これが個人としてのパワハラなら対処のしようもあるでしょう。部署を変わるなり、そのパワハラ・職場いじめ野郎と離れれば解決する可能性が高い。しかし、「退職をさせるための組織ぐるみの職場いじめ」はそうはいかない。


人間をいじめるのは人間だし、人間を殺すのも人間なのです。勘違いしてはいけないのは、個人的な問題によるいじめと違い、組織によるいじめの場合、それを命じられていじめている人間は、普通の善良な人であるということです。

家に帰れば、妻と子ども達の前で、良き父親であるかもしれません。そんな人間が、一方では、会社の命令により、人間の心を次々と殺していく仕事を淡々とこなしていたりします。第二次大戦時ナチスドイツのアイヒマンのように。

直接いじめをする上司だけの問題でもありません。傍観者も同じです。客観的にどう見ても職場いじめだと頭では理解していても、それを止めることも、指摘することも、告発することもしません。内心不快なのでしょう。しかし、不快だからこそ、傍観者でありながら、そんな事実は「見ていない」ことにしようとします。そうすることで心の安定を求めるようになります。

あまつさえ、いつまでも対象者が辞めずに頑張ると、「いい加減にしてくれ」と今度は上司とともに積極的にいじめに加担しようとします。そうなると、もはや対象は人間とは思えず、まるで虫けらのように扱っても心は何も感じなくなります。当然、自分の行為は正義だとしか信じられなくなります。満面の笑顔で人が人をいじめるようになるメカニズムとはそういうものです。

学校のいじめ問題でも「いじめはよくない」などとすぐ道徳教育を徹底すればいじめはなくなる等という教育評論家がいますが、とんでもない間違いです。

道徳心があればいじめをしないわけではない。社会規範を学べば、他人をいじめないわけではない。好き嫌いという感情がいじめを起こすのではない。

いじめという行為は人間が行いますが、その原理はあくまで環境という「空気」が人を操っているのです。勿論、いじめる人間に責任がないとはいいません。しかし、直接的にいじめ行為を犯す者だけが悪いのではなく、空気を容認し、確定付けるのは、何もしない傍観者の方です。傍観者も同罪です。

本当は、多数の傍観者のうちのたった一人でもいい。何か異を唱えるだけでも実は空気は一変するのです。「裸の王様」の少年のように。しかし、なかなか「王様は裸だ」と声を発する勇気のある者はそうそういません。


こういうのにどう対抗すればいいか。知りあいの弁護士ともディスカッションしたこともありますが、暴力や暴言と違って録画や録音もできないので非常に難しいです。とはいえ、そうしたいじめに苦しんでいる人が多いのも、たくさんの取材を通じて知っています。その一例は拙著「超ソロ社会」にも書きました。

なんとか良い方法はないかを模索しています。ただ、厚労省のページにも「人間関係の切り離し」は明確にパワハラであると規定されています。「追い出し部屋」のように、いつか摘発対象行為となるでしょう。いつか必ず。そう信じています。


前述したドラマ「彼女たちの時代」の最終回は、主人公深美(深津絵里)の次のようなモノローグで終わります。

多分、人が生きていくのって……面白くないし格好悪いことだらけなんだ。
ドラマチックな出来事なんて、そんなにあるわけじゃない……
小さな小さな日常がずっと延々とつながっているだけなんだ。
でも今、私は思う……同じように悩んでいる人がいる……
同じように答えを出せずにいる人がいる、私だけじゃないんだ……
そう思えただけでよかったと思う。
それにきっと、きっと今こんなふうに
もがいていることは無駄じゃないはずだ。絶対、無駄じゃないはずだ。
そう思えることができたから、たとえ今の自分に何もなくても・・・。
そして、私は少しだけこれからのことが楽しみになってきた。
どんなことがこれから先、私におきるのだろう。
なんだか少しだけ楽しみになってきた。

職場に限らず、学校でもいじめにあっている人はたくさんいることでしょう。誰にも相談できずに悶々と苦しんでいる人もいると思います。

でも、あなたは決して1人ではない。

職場の中で私は孤独だ、なんて思わないでください。職場だけが社会ではありません。すべてが、職場であなたを苦しめるような人間でもありません。

匿名でネットにその苦しみを書き連ねるだけでも、見ず知らずのどこかにいるあなたと同じ気持ちの人とつながるかもしれません。誰かに話をするだけでも救われることもあります。


※ドラマ「彼女たちの時代」は実はなんとVHSしかなく、DVD化されていないようです。DVD化を切に希望しますし、むしろ現代版としてリニューアルして新しくドラマ化してほしいとも思います。


いいなと思ったら応援しよう!

荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。