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期待を超える?予想を超える?クリエイターの仕事について

みなさまお盆はいかがおすごしでしょうか。メタバースクリエイターズwaka00です。

今日はクリエイターの仕事と「期待」と「予想」のちがいについて書いてみます。


クリエイターの仕事の面白さと「期待」と「予想」

先週末、メタバースクリエイターズから新しいコンテンツを出しました。

これはVRChat用のコンテンツで、お気に入りのアバターと一緒に暮らせる、という画期的なシステムです。(VRChatで遊んだことのない人にはあまり伝わらないかもですが…)

とてもうれしいことに、リリース直後から非常にアツい反響をいただいています。

初日から日本では数百リツイートされ、いいねは1,000超えの大反響。

海外でも数百RT、1,000近いいいねと日本に迫る勢いで反響をいただいています。

6月に出したAvatownさんとのコラボ『The Avatar Studio』もすでに40万Visitsを超えているなど、今年度にメタバースクリエーターズから出したコンテンツはグローバルなヒット連発!なのです。


で、そうした成果を出しながら改めて確信を深めているのは、クリエイターが心からつくりたいものや自分も欲しい!と本当に思える企画がヒットするということです。


よく「プロダクトアウトか?マーケットインか?」という話があります。これは事業や市場のフェーズにもよるのですが、ニーズや顧客視点を欠いたものはマスターベーションになってしまうことも確かにあります。

しかし、初期のフェーズにおいてはやはり、つくり手自身が本当に欲しい、と思える「愛」が大事であり、その熱量がニーズそのものを生み出す、という気がします。


アップルの共同創業者スティーブ・ウォズニアックは、

人々はあなたが愛していない製品を愛することはない。あなたがそれを愛していなければ、彼らはきっとそれを感じ、そのことを嗅ぎつける

という言葉を残しています。アート思考的にも最初の熱量は既存の価値観をぶち抜くために重要であり、そうした熱量によってクリエイターの創造性が爆発し、それぞれの「汁」が溢れ出ている時にやっぱりいいものができるのだなあと。


「期待」はスカラー/量、「予想」はベクトル/質

で、本題の「期待」と「予想」です。

仕事をする時に「期待を超える仕事をしよう」とよく言われます。

しかしクリエイターに関しては、「期待」を超えるというより「予想」を超える(あるいは「想像」を超える)仕事に出会う時があって、そういう瞬間に出会えた時にこそ、クリエイターと一緒に仕事をしている醍醐味を強く感じます。


こちらの図のように、「期待」というのは基本的に量的なものだと僕は考えています。「期待値設定」とか「期待値コントロール」という言葉があるように、期待とはバーであり、一軸のスカラー量です。

他方、「予想」というのはベクトル的で、質的な成分を持ちます。同じ強度でもそれぞれ違う方向を向いていろんな方向性を持てるわけです。


言葉の使い方としても、「期待を超える」「予想を超える」はどちらも良い意味で使われます。

一方で、「期待を裏切る」はネガティブな意味ですが、「予想を裏切る」は必ずしもネガティブな意味ではありません


むしろ「予想を裏切る」ものは面白い!と感じ、好奇心が刺激されます。こういう「面白い!」と出会うことこそクリエイターと仕事をする醍醐味なわけですが、「期待」の方は、期待通りに行っても・期待が裏切られても「面白い」とは感じにくいですよね。


イノベーションの裏切り

新規事業を長くやってきて、僕は「イノベーションとは基本的に予想を裏切るもの」だと考えています。

なぜなら「予想」とは基本的に、既存の価値軸の中やその延長で考えることだからです。価値の革新であるイノベーションはそれを裏切る。


アートでも例えば、マティスのフォービズムやピカソのキュビズムは当時の美の基準や価値観を裏切り、それまでにない美の形を提示しました。日本では千利休の楽茶碗もそうですね。これらはそれまでの美しさの基準とは異なる価値を提示したので、当時はある意味で「斜め上」が来たな…という感じがしたと思います。

「予想」を裏切る価値は、すぐに理解できたり誰もが「いいね」と言えるものではないかもしれません。実際のところ、こうした作品は当時の人々の「期待」を裏切り、価値が低いものとして酷評されることもありました。しかし、こうした「予想の裏切り」や「分からなさこそ」がイノベーションの必要条件だと僕は考えています。


また、「予想」というのは「予め想像」する、と書きますが、「想像」というのは個別的でユニークなものです。

【想像力】
身体に媒介されている限りでの精神の働き全般をいい、特に美的現象に関係する想像力は、物質 = 身体の刺戟を受けて活性化され、より幅広く創造的に考える精神の働きである。精神が身体の影響を遮して、純粋に思考しようとするとき、その思考は抽象的・一般的・論理的な性格を帯びる。それに対して、身体との関係に即して思考するとき、その思考は具体的・具象的であり、経験の抵抗との相刺のなかで展開されてゆく。
思考である限り、一般的であり論理的であることに変わりはないが、具体的であることによって、想像力の思考のもつ一般性や論理性は独特なものとなる。(美学辞典)

佐々木健一『美学辞典』より。強調は引用者による

ここには想像力の特徴として、「具体的・具象的」であり「独特」であると言われています。「独特」とは「ユニーク」ということであり、それぞれに異なる個性を持つ、ということです。こうしたあり方こそクリエイターのイマジネーションであり、クリエーションではないでしょうか。


個別的な「予想」や「想像」に対して、「期待」とはたとえば偏差値やテストの点数のように一般的な一つの軸を前提としたものかもしれません。「期待」は「抽象的・一般的・論理的」な思考に向かい、それを追い求めすぎるとユニークさからは遠ざかってしまうかもしれない。

(既存の価値軸に依拠した「期待」による評価はこうしたジレンマを内在しています。たとえばダイバーシティに関しても、↓こちらの記事のように「期待下回る」と言われたりするのは、もしかするとそもそもの「期待」の軸や成果評価が旧態依然としているせいで価値を観測できていない、みたいなこともあるのではないでしょうか)



「クリエイター」がまさに「創造主」という名で呼ばれうるのは、「期待」ではなく「予想」や「想像」を超え、裏切る仕事をした時ではないでしょうか。

メタバースクリエイターズでは、クリエイターが「予想」や「想像」を超え、むしろどんどん「裏切る」仕事をしてもらうにはどうしたらいいかを考え、トライアルを続けています。人々の「予想」や「想像」に収まらないものをどうアクセラレートしていくか?それこそ僕らのミッションであり、それを楽しみながら経営していけたらいいなと思っています。


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