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学生時代に国語が得意な人が作家になるのか

僕は43歳で初めて著者デビューした遅咲きのビジネス書作家である。
コロナ禍で通勤時間がなくなり、本を書きたいなと思ったタイミングで、目の前にあったKindle出版というツールで本を書きだしたことで、あれよあれよという間に出した本は次のように2年間で商業出版4冊、電子出版16冊にもなった。

そんな僕がよく聞かれる質問がこれだ。

「学生時代は国語ができたんですか?」

そこで今日は、僕の学生時代の国語について少しお話していこうと思う。


01 受験科目における国語の位置づけ

さて僕が学生時代、僕が学習についてどう考えていたかだが、まさに下のNIKKEIの記事にある栄藤さんの意見に近しかった。

数学も英語も国語も理科も社会も、とにかく与えられる科目は全て灘高校や東京大学に入るためにやっているだけに過ぎなかった。

数学や物理では延々と解法を暗記し、英語も語学の奥深さや味わいではなくテクニックばかりを追い求めていたし、そのために多大な時間を費やしていた。

だが、受験生の時間は有限である。
数学や英語に時間を取られた分、当然別の教科にしわ寄せがくる。

そしてそのしわ寄せをもっとも受けたのが、何を隠そう「国語」だったのである。

では、どのくらいしわ寄せを受けたのか。

ハッキリと言おう。僕の国語の自主的な勉強時間はほぼ0時間である。

草野球をやっているサラリーマンのように、練習0で試合(模試)ばかり受けてはフツーの成績を取り続けていた。

02 国語に力を入れなかった理由

どうして国語を勉強しなかったのか。
それは他の科目と比較して、再現性があまりにも低いと感じたからだ。

文系レベルであれば、数学は微分や積分の仕方を学べば色んな問題に応用できるし、物理はエネルギー保存の法則を学べばそれだけでセンター試験のその単元くらいなら対応できる。

英語も、たくさんある構文を覚えれば覚えるほど、試験で「お、この構文こないだ覚えたやつだ!」とほくそ笑むことができる。

だが、国語はそうした「公式」や「構文」、「単元」といったものがない。せいぜい「現代文(説明文/物語文)」「古文」「漢文」という分類くらいなものである。

何かを覚えることで、劇的に成績が上がるということはない。

特に現代文の公式なんか、せいぜい
・「しかし」の後ろは逆説だ。
・「すなわち」の後ろは詳細の説明だ。
という、接続詞の役割で文章の構造を把握するくらいしかないのではないか。

実際、受験生時代は模試などを通して山ほど国語の問題を解いてきたが、「これを学んでおいてよかった!」と思ったことが1回もないのだ。

それだけ「パターン化ができない科目」だということなのだろう。

03 実際の国語の成績

そのような状況で、僕の国語の状況はどうだったのか。

はじめの頃は現代文がズタボロだったのだが、やはり模試を解けば解くほど、点数が上がっていった。

センター試験だと180~190/200、東大模試だと80/120くらいだったように記憶している。

パターン化できないものの、実践の中で「点数の取り方」を学んでいった結果だと思う。

実はあることに気づいたことが、現代文の点数の大幅上昇につながったのだ。

04 僕が気づいたこと

僕ははじめのズタボロだったとき、次のような感じだった。

問)以下の傍線部Aの文章はどういうことか、分かりやすく説明せよ。

彼の文体は緻密な構造と奥行きのある抽象性を有し、多義的な語彙の選択が文学的鑑賞においては高度な認知的負荷を要するものであった。

という問題があったならば、「緻密な構造」「奥行きのある抽象性」「多義的な語彙の選択」「高度な認知的負荷」という言葉がどういうことなのかを自分の言葉で頑張って説明しては減点をくらっていたのだ。

ところがある日、減点だらけの自分の解答用紙と実際の解答を見比べて、「なんだ、一生懸命考えて解答を書いたのに、正答は問題文中の言葉しか使ってないじゃん」と気づいたのである。

ー 国語でいい点を取るには、考えてはいけない ー

信じられないかもしれないが、これが本質だった。

自分の言葉で考えて解答を書ける人ほど、評価されない世界だった。

文章のどこを切り取って解答用紙に書き写すか。点数を取るための国語はただそれだけの「作業」だった。それに気づいてから一切の勉強をやめた。だって、どうせ文章中に書いてあるんだから。

パターン化できないと言いながら、国語はたった1つのパターンですべてが解決できるということを知った瞬間だった。

今までは、問題が求めていることとまったく逆で、一生懸命自分の言葉を練って練って、問題文の文章中にない言葉を一生懸命作り上げて解答することで、自ら減点されにいっていた。

それに気づいたときに、問題の解答はちゃんと本文中に書いてあるんだという真理を知り、それから一気に国語の点数が上がったのだった。

とはいえ、これは「作家の資質があったから国語ができた」ということではない。

むしろ逆で、国語の本質が「どれだけ難解な問いであったとしても、答えはすべて問題文の中に書いてあるんだ」ということに気づけたことで、作家として文章を書くときに次の2つを激しく意識するようになったのだ。

・文章を読み解けば、言いたいことは必ずそこに入っていること
・自分が文章を書くときには、読者が読み解くのに苦労するような言い回しはできるだけ避けること

この2つが文章を書くときのキモだと感覚的に理解できたからこそ、僕は良い文章を書けるようになれたのだと思う。

05 まとめ

ここまで書いてきて、僕は「国語ができたから(=文章が読めたから/書けたから)作家になった」のではないなと改めて思う。

国語で点数が取れない…と悩んだその先で、「なんだ、文章って意味が分からないフレーズでも、ちゃんと中に答えが書いてあるんだ」という単純明快な真理に触れたことで、あるべき文章の姿にたどり着けた。

加えて、そこから「意味が分からないフレーズ」をできるだけ排除するように心がけるようになった。

こうして、会社員時代を通じて普段からそうした文章を書くようになり、それがたまたま作家として耐えうる文章だった…ということだろう。

そう考えると、学生時代の国語の出来/不出来など、本当に取るに足らないことである。18歳までの受験時期にこの真理に到達したか、していないかの差だけなのだ。

だから安心してほしい。

十数年、もしくは何十年前の国語の点数というしょうもない呪縛にとらわれて、「学生時代国語が苦手だったから自分は作家になれない」と思っている人たち全員に、この文章が届きますように。

06 参考

もし作家デビューしたければ、次の書籍を一度手に取ってもらえれば、視界が一気に開けます。ぜひ!


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