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バックパッカーとは誰だったのか?

先日、友人と話していたら「最近、日本のまちづくりに関わっている人は、元バックパッカーじゃないですか?」との指摘がありました。かつてヒッピー文化の流れからバックパッカーが生まれ、新しいコミュニティへ発展したこともあるでしょうが、現代のまちづくりでも、そういう「タイプ」が脈々と続いているだろうか?と考えました。

極めて実際的なことを言えば、いつでもどこでも寝れるタイプがバックパッカーの体質としてあり、それはまちづくりにも向いているかもしれないと思います。そこで、まずバックパッカーなるものを再考してみたいと考えました。バックパッカーはその活動の傾向からいって(貧困国での旅を除けば)「歩く財布」でないのは確かです。

ぼく自身、バックパッカーであったことはない。

まず、ぼく自身について言うならば、バックパッカーと称したことはありません。大学生の頃から、いわゆるバックパックと呼ばれるリュックをもって旅行したことがないです。常にスーツケースです。

その頃の欧州への学生旅行の常として、電車が乗り放題のユーレルパスを使い、予定もたてずに電車内やユースホステルで泊まる・・・という旅を2ケ月くらいはやりました。しかし、実際、旅の途中で知り合うバックパッカーと名乗る人たちの行動パターンは、少なくても半年から1年は世界各国を放浪しており、まず旅の時間の長さが圧倒的に違いました。

欧州の若者であれば、1年間程度の履歴書での空白は問題とならず、他方、日本の若者の場合は「規定路線を外れた人」とのカテゴリーに入るのでした。

「既定路線を外れる」とは社会への反抗でもあり、日本の大企業の世界を拒否する姿勢がみえました。もちろん、新卒重視の雇用を優先する日本の大企業は元バックパッカーに冷たいです。したがってバックパッカーは日本に戻ると、小規模の観光業や輸出入業、あるいは外資系企業、本国では大企業だけど日本法人は小企業に勤めるパターンを多くみました。

一言でいえば、バックパッカーはメインストリームにのらない、と決めた人たち。そういう認識が強かったです。

バックパッカーはシェアに慣れている。

やや大げさな表現ながら、バックパッカーに畏敬の念を抱くこともありました。どこでも寝れ、何でも食べる、あのバイタリティーはぼくにはないなあ、と。とにかく究極まで節約して日々を過ごす姿はたくましく思えました。

ぼく自身のなかでバックパッカーへの見方が変わっていったのは、イタリアで生活するようになってからです。世界各国を旅しているバックパッカーと話して、人には2つのタイプがあると気づきます。それなりに数をおさえた場所で深く文化を知ろうとするタイプ、たくさんの数の場所を知ることを重視するタイプ、この2つです。

そして、多くの場所を知ることは、ある土地の文化体系を知るにはあまり役立たないとも分かります。逆に、バックパッカーはある土地についてよく知るのは不得意だが、バックパッカーの文化や生態を知るには良いわけです。

そして、この生態を知るとは、その生態に慣れていることでもあるので、場所を問わず、「人と空間をシェアする」「ある場のノウハウを他に転用させる」のが得意でもあろうと思います。

インターネットがバックパッカーの行動パターンを変える。

バックパッカーはインターネット登場以前と以降で大きく行動パターンを変えます。

もともと団体旅行を主体とする旅行とは相対する位置にあるものとしての個人旅行、それをより突き詰めた位置にバックパッカーの旅がありました。ホステルなどを拠点に、その土地やこれからの旅先の情報交換を行います。予定を事前に決めないでフレキシブルに行動できるのは、このようなインフラも貢献しています。そして、街の中心にあるホテルでの宿泊では経験できないローカルの生活に触れる、との点も魅力でした。

インターネットは、情報収集の選択肢を増やしました。PCが主体のときはネットカフェが、スマホが普及した以降は場所と時を選ばすに、情報がとれるようになります。直接、人から聞いた情報も裏がとれるようになりました。 またローカルの人に道で尋ねることなく、移動も容易にできます。

またエアビーによって普通の家に泊まれるようになりました。ローカルの日常生活との接点は更に拡大したのです。ということで、バックパッカーライフの利点が変わってきます。ぼくがホステルを泊まり歩いている人と話す限り、バックパッカー同士の雑談による異文化交流が魅力のなかで占める割合は相変わらず高いようです。

「バックパッカー的なるもの」とまちづくり

要するに、インターネット以降において、「バックパッカー的なるもの」とそれ以外にある敷居がとても低くなったと言えます。あえてバックパッカーと言わずとも、バックパッカーと同じような経験ができるのです。

事前に決めたスケジュールに縛られない、その時にみつけたチャンスを即断で活かせる。そうすると、「人と空間をシェアする」「ある場のノウハウを他に転用させる」のが得意というバックパッカー的なるものの特性の活用が自ずと発揮されるようになります。

また、メインストリームにのりたくない傾向は今もあり、それが地方のまちに移り住むとのカタチに表れ、冒頭で書いた「最近、日本のまちづくりに関わっている人は、元バックパッカーじゃないですか?」との指摘に繋がってくるのかもしれません。

知らない人とコミュニケーションをとることを厭わない、あるコミュニティで上手くいかなかったとしても解決策は「別の土地に移る」と思うに無理がない、との点もあげられるでしょう。これが「軽みのある」まちづくり、言葉を換えれば、オープンなコミュニティをつくっていくにプラスになるでしょう。

旧いクローズドなコミュニティの視点からすると「腰が定まらない人」と見られることもありますが、流動性のあるオープンなコミュニティが現代に求められているものだとの認識にたてば、非難の対象になりません。

旅の概念やイメージの変化とローカルコミュニティの関係は、議論されるに相応しいテーマだと思います。

写真©Ken Anzai





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