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「女性リーダー」が、シンプルに「リーダー」となる日まで

2024年に入って、注目度の高い大きな組織で、矢継ぎ早に女性の次期トップ就任ニュースが相次いだ。例えば、日本航空次期社長であり、日本共産党の新委員長だ。

このような女性の躍進により、伝統的に男性の縄張りと目されていた政治経済の分野で、いろいろなタイプの女性がリーダーを務めることを喜ばしく思う。男女関わらず優秀な人材が引っ張ることで日本の国力が増すのであれば、リーダー人材の選択肢を人口の半分に限ることは賢明ではない。

実は、時代は準備ができている。多くの女性は男性と遜色ない高学歴を誇り、社会に出た女性は、出産・子育てに直面するまでは、ほぼ負のバイアスを感じずに働ける。昭和とは異なり、出産後のキャリアアップについても、会社、社会、家庭の全てにおいて、だいぶ理解と環境が整ってきた。

ところが、令和となっても、大きな組織の管理職や経営幹部の顔ぶれは、まだまだ男性が多くを占めている。女性の社会進出が過渡期なので仕方がない面はあるが、特に若い世代にとっては、ジェンダー中立な身の周りの環境と、リーダー層のジェンダー・アンバランスに大きな違和感を覚えることだろう。

したがい、まず人数は少ないとはいえ、女性経営者や政治家が目に見える形で増えることは、この違和感解消に役立つ。私もできる―と自信を促す効果があり、正のスパイラルを生む呼び水となるだろう。

女性リーダーが増えれば、おのずとその中にも多様性が生まれる。男性リーダーの多様性は当たり前に受け入れられるが、女性トップは人数が少ないため、「女性経営者は、こうでなくては」という呪縛が強い。私の知るIT企業の女性社長も、就任後にスタイリストからとても趣味と合わないピンクのスーツを薦められ、閉口したそうだ。

また、呪縛は女性リーダー自身の中にも存在する。必要以上に気負ったり、常に世の中の女性全てを代弁しなければならない圧力を感じたりしてしまう。女性リーダーの多様性を増やすことは、このような呪縛を解く力がある。

その一方で、女性リーダーの成功には、男性とは異なる構造的な逆風があり得ることにも留意したい。まず、「ガラスの崖」と呼ばれる現象に注意が必要だ。組織が危機に陥った時にあえて女性を前面に押し出し、「お手並み拝見」-うまくいけばいいものの、失敗すればどこか「やっぱり女性は・・・」と批判する。職場のジェンダー平等で日本に先んじる米国でも、議論に上がる傾向だ。

また、つい最近の政治家の不用意な発言でも見られるように、非公式な場で、公的な立場にある女性の容姿や服装についてあげつらう節が残る。したたかな女性トップは、この注目を捉えてファッションを武器とするだろう。しかし、そうであっても、男性にはない影の苦労が伴うことを忘れてはならない。

女性リーダーが男性と同じように当たり前になる日、わざわざ「女性」という冠を付けることが不要になる日が、本当に違和感のなくなる日なのだろう。

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