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STUフィクションと未来:設定と物語

こんにちは、新城です。フィクションの価値が見直されてきています。2019年フランス軍が4〜5人のSF作家を起用したというニュースを覚えておられる方も多いと思います。WIREDでも、未来を語るフィクションを作るという動きが特集されていました。このフィクションというものについて考えてみたいと思います。

未来のプロトタイピング

ここ十年ほどですっかり定着した「プロトタイピング」という考え方があります。製品やサービスの、目指すべき最終形の中心となる機能を含めた最小限の動きをするしくみを、まずは作ってみる。その機能が提供する効果に価値があるという仮説を検証するために、最も少ないコストで実現できるしくみを作り、実際に動かしてみて、その効果を検証し、改良を加えながら、製品として形作っていく。とても重要な考えですし、実際にスタートアップだけではなく大手企業までもがビジネスの現場で広く導入されるほどに浸透しています。

さらに、ここ数年、ビジョンのプロトタイピングも大切だという考えも定着してきました。よく言われることですが、日本のロボットの理想像のひとつに鉄腕アトムやドラえもんがあるのは、それらの物語がビジョンとして認められ、受け入れられているからではないでしょうか。

ビジョンとは、未来像です。現在に生きる僕たちは、頭の中で想い描くことによって、未来をかいま見ることができます。が、当然のことながら、現在から未来までは、一本道ではありません。様々な選択の積み重ねによって枝分かれする無数の可能性の中にあります。

バタフライ・エフェクト

バタフライ効果という言葉をご存知の方も多いかと思います。ある場所での蝶の羽ばたきが、遠く離れた場所の天候を左右するという内容で、1972年にマサチューセッツ工科大学の気象学者が発表した講演のタイトル『予測可能性ーブラジルの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』に由来する言葉と言われています。ある意味でロマンチックにも捉えられる言葉であり、様々な物語の骨子にも組み込まれています。『バタフライ・エフェクト』という同名の映画は、過去の選択を幾度かやり直すことによって、数多くの未来の可能性を体験していく主人公の物語。大切な人を守ることのできる未来を実現するために、いつのどの選択をやり直すべきなのか、という切ない物語でした。

ある小さな選択によって人生が大きく変わっていくというような物語は、1970年代以前から無数に作られており、未来が様々な可能性に枝分かれしていることは、皆さんがご自身の人生を通して体験されている通りだと思います。このように、日々というか時々刻々と更新され続ける時間軸の最先端である現在、その現在の積み重ねによって近づいてくる、おぼろげな可能性のひとつが、未来です。先の映画が示唆するものとして、目指すべき未来像があれば、その未来像に合致した方向に進んでいるかどうかを判断できる、ということがあるのだと思います。

僕たちが新しいサービスや事業を生み出そうとすることは、未だ到来していない世界、つまり未来を作ろうとすることに他ならないのです。

問いのための未来像

さらに、進むべき未来象を描くことで、僕たち自身が世界と向き合い、その関係性を深く省みるきっかけを生み出してくれるフィクションもあります。スペキュラティブデザインと呼ばれるものです。

進むべき未来像を描く上で、現在の価値基準に立脚して、さらなる発展型を描くことは、積み上げ型の進歩です。一方で、現在の価値基準を揺るがすような未来像は、拠り所となっているものをことごとく破壊してしまうかもしれない怖さもあります。より深いレイヤーでの問いを突きつけられるフィクションほど、その怖さは大きなものとなります。

しかし、というか、だからこそ、そこには、大きな進化の可能性を見出すことができるのだと思います。積み上げ型の進歩ではなく、革新的な進化です。

どのような未来を作りたいですか?

向かうべき場所を明確にせずに、そこに向かって進むことはできません。積み上げ型の未来像でも、問いを提示する未来像でも、そこには、自分自身が大切にする価値基準に立脚した、現在とは異なる生活が描かれます。自分が求める未来像が、そこにあります。

未来とは、未だ実現していない状況を意味します。その状況は、端的なキーワードや標語で語りきることは難しく、鉄腕アトムやドラえもんほどの長大なものではなくとも、なんらかの物語的な要素を持つものとして受け止めることで、より具体として想い描くことができるようになります。

それを描くことは、進むべき場所の旗印となります。可能な限り具体的に、到達したい未来のライフスタイルを描くことが、実現すべき未来を共有する上で、とても役に立ちます。

マンガミライハッカソン

2019年に、東アジア文化都市2019豊島実行委員会/豊島区/文化庁が主催する文化庁東アジア文化都市のプロジェクト「国際マンガ・アニメ祭 Reiwa Toshima(以下IMART)」の一貫として開催された「マンガミライハッカソン」という未来を漫画で描くというハッカソンに、テクノロジーインプットトークのゲストとして参加させていただきました。漫画家になりたかった僕としては、とてもとてもワクワクする機会でした。

漫画や小説や映画などの物語は、そこで生きる人の目線で世界が描かれます。研究やビジネスの現場で描かれる未来は、どちらかというと、より設定に寄ったものになります。エネルギー基盤であったり、情報流通基盤であったり、物流配送網であったり、食糧生産基盤であったり、そういった社会基盤に対する未来像が語られることが多くなりがちです。それは、社会的インパクトの大きな技術的および社会的革新を仕組みとして描くからに他なりません。これは、物語を支える基礎設定として、とても魅力的で興味深いものであることは間違いありません。僕は、これが大好きです。しかし、設定はどこか絵空事というか、リアリティを伴う形で伝えることが難しい場合があります。そこで、物語の出番です。その世界設定にもとづき、その世界で生きる等身大の人物の生活が描かれていく。

3つのフィクション

この物語を描くことの価値が、再び注目される時代になったのだと、改めて思うのです。カンブリアナイトでも、この物語については、ここ数年、熱い思いを語り合ってきました。サイエンス・フィクション、テクノロジー・フィクション、ユーズドテクノロジー・フィクションという3つのフィクション。それについては、次の記事でまた書いてみたいと思います。お付き合いいただけたら嬉しいです。



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