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死ぬこと。生きること。

最近、矢継ぎ早にいろんな方の訃報に触れる。

著名な方やかつて自分がファンだった方が亡くなるのはショックではあるのだが、それ以上に、自分の人生と深く関わりのあった身近な方の死に触れると、大きな喪失感を覚える。

もう会えないこと、もう話ができないこと、もう笑い合えないことは悲しい。特に、事故や笑瓶さんのような突然死の場合では「ついさっきまで元気だったのに…」という思いは拭えないだろう。

人は必ず死ぬ。その意味では平等なものかもしれない。しかし、全員がある一定の年齢になったら死ぬわけではない。いつ死ぬかは人によって異なる。みんなから愛されて、誰からも恨みを買うような人ではない人が早死にしてしまったりすることもある。まだ未来のある子どもが親より先に亡くなってしまう場合もある。

人の死というものを考えてみる。

人は死んだらどこに行くのか?神話的に、宗教的に、哲学的に、いろいろと語られてはいるけれど、誰もそれを見た者はいない。極楽浄土があるのかもしれないし、地獄があるのかもしれない。輪廻転生で生まれ変わるのかもしれないし、死後の世界というところがあるのかもしれない。魂となって、目には見えないけれど近くに存在するのかもしれない。死後は何もない無の世界かもしれない。どれもこれも、それが正しいとも間違っているとも断定はできない。誰も知らないのだから。

人はなぜ死ぬのか?たとえその問いに向き合って考えて、その答えがわかったところで、それでどうにかなるものでもない。遺伝子を残すために自然淘汰で…云々と学者にのたまわれたところで「それがどうした?」という話でしかない。

しかし、確実に、私たちは、いつか死ぬし、身近な親しい人との死に直面する可能性がある。親であれ、配偶者であれ、友達であれ。一切他人と関わりのない人生を送った人でもなければ。

人との出会いは、たとえ一度きりの出会いでも何かの爪痕を残す。それが人とのつながりにおける重要な部分でもある。

その人と関わったからこそ生まれる自分というものが必ずある。Aさんと出会えば、Aさんと出会ったことで生まれた新しい自分ができる。もしその人と出会っていなければ、その自分は自分の中に生まれてこなかった。逆にいえば、その相手と出会ったことによって、その人との交流で生まれた自分自身が必ず内面に宿っているということになる。それは思い出というものではない。その人と触れ合ったことで別の自分が必ず生まれているはずなのだ。

そうやって生まれた自分は、決して今までの自分と絵の具のように混じり合うものではない。そもそも確固たるひとつのアイデンティティなどというものは存在しない。人間はそうやってひとつひとつの色が独立してあり、その色がモザイク状に羅列して存在するものである。隣り合ったモザイクの色が掛け合わさって、遠目には違う色となる場合もあるが、決して混ざったわけではない。

そして、時にその存在している色を自分でも忘れてしまうことがある。でも決して消えてはいない。ふと思い出した時には、その色が大きく光り輝く場合もある。

大事なのは、そうやって生まれた自分の色を、積み重なっていくひとつひとつの色を大切にすることだ。その色を大切にすることがその色を生み出してくれた相手に対する感謝にもなる。

そして、その人と一緒に過ごしたことで生まれた自分というものは、少なくとも自分が生きているという意識のあるうちは自分の中に生き続けているということだ。

逆の見方をすれば、あなたが誰かと関われば、必ずその誰かの中に「あなたによって生まれた彼」がいる。そうやって人の関わりとは、つながりを通じて、自分のちょっとした分身が誰かの中に含まれているようなものなのだ。

死んだ人は関わった人の中で生きている。それは生物学的には生きていることにはならないのかもしれないが、本人の中では生きていることということでよいのではないか。

葬式や法事というものを、若いころは面倒くさいものだと思っていた時期もあった。しかし、通夜などで故人とつながりのある人同士が集まり、「あんなことがあった、こんなことがあった」と思い出話に花を咲かせることは、故人を偲ぶだけではなく、自分の中にいるその人によって生まれた自分をそれぞれが慈しむ機会にもなるのだ。そして、その機会とは亡くなった方が最後にくれたプレゼントでもある。そういう意味で葬式や法事というものは、残された者にとって大事な儀式なのだろう。

AI技術が発達して、人間の思考などを移植することができるようになると、たとえ人間として死んでしまっても、コンピュータの中で生き続け、zoomのように会話をすることもできるようになるかもしれない。

しかし、それは果たして亡くなった人にとっても、残された者にとってもしあわせなことなんだろうか。

むしろ、生きている間に、限られた時間の中で、できるだけその人との関わりを作ることの方がよっぽど重要だろう。互いの中に「新しい自分」を生み出すためにも。生きている間に相手にたくさんの感謝を伝えるためにも。自分が生きるためにも。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。