居場所を探しても、そこに安心は見つからない

コミュニティとは所属するもの。そう信じて疑わない人が多い。

居場所がないからと不安になったり寂しさを感じる人も多い。

しかし、コミュニティに所属さえすれば安心なんでしょうか?居場所さえあれば、人は幸せになれるんでしょうか?

確かに、かつてはそうだったかもしれませんが、今後はそうはいきません。


社会学者ジグムント・バウマンは、かつての安定した社会をソリッド社会と呼び、現代社会をリキッド社会と表現しました。

地域や職場や家族という強く固いコミュニティの中に、ひとつの分子や部品として組み込まれ、互いに結びついて、結晶体のような強さによって安心を得ていたのがソリッド社会です。しかし、それまで安心を担保してくれた外壁が失われると、個人は不安定な液体の中に投げ出されてしまいます。大型船が沈没してしまった時と同じです。それがリキッド社会です。

ソリッド社会では、確かに不自由な面はありました。行動も一定の枠内という制限があります。しかし、そのかわり、進むべき安全な道が提示されていて、社会が守ってくれていました。

一方、リキッド社会では正反対です。人々は自分の裁量で動き回れる自由を得た反面、常にその選択に対して自己責任を負うことになります。それは、個人による競争社会を招き、それに伴う格差社会を生みやすくします。

これがもうすでに到来している「個人化する社会」の姿です。平成年間に起きた非婚化や離婚の増加は、まさにそういう「選択の自由を個人に付与した」結果だと言えるでしょう。

これからの時代、「所属するコミュニティ」だけに依存するのではなく、「接続するコミュニティ」に目を向けることが肝要です。僕は、この考え方を2017年から推奨しています。


「コミュニティに接続ってどういうこと?」と思うかもしれません。

それについては、こちらに寄稿しました。

また、新刊「結婚滅亡」の中でも詳しく説明しています。


そして、今週末12/1の日曜、東京フォーラムにおいて、まさにこの「接続するコミュニティ」についてお話するために登壇します。

リアルでもたくさんの人とつながっているのに孤独を感じるという人が多いようです。「ここには私の居場所がない」と感じて、言い様のない不安感を感じている人もいるでしょう。

でも、だからって、肉体の居場所を追い求めたとしても、もうそこに安心はありません。

大事なのは、「居場所探し」ではない。

何も提供してくれるはずのない居場所を延々と探し続けても、結局「ここも私の居場所ではない」を繰り返すだけ。それは同様に「ホントの自分」を探しても、どこにもいないというのと同じです。

居場所さえ見つかれば安心だ。

そんな幻想に囚われているうちは、いつまでたっても安心には巡り合えないでしょう。


では、どうすればいいのか?

そんなお話をしますし、その後、みんなで話し合う機会があります。

ぜひご参加ください。

 

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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。