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未来を夢見る東京、過去に固執する大阪

人々の「活動量」が減っている。
情報技術の進展で時代速度が加速するのに対して、少子高齢化とIT依存が高まることで、人々の動きが鈍り、都市・地域の停滞を肌で感じる。

人が動いて仕事をすると、「熱」が発生する。
ひとりの動きが誰かを刺激し、その人も動きだし、場における熱が広がる。あたかもブラウン運動のように、次々と反響しあって、エネルギーを生み出す。しかし人の動きがとまると、場は冷えてしまう。

失われた20年から、さらに日本は10年を失う。
東京は「前へ前へ。進歩を成長を」を標榜して夢を見て、未来に依存する。一方、大阪は秀吉、天下の台所、北前船、大大阪、1970年大阪万博など過去の「栄光」にこだわる。「これから、必ずこうなる」と未来を志向する東京、「かつて、これでうまくいった」と過去に依存する大阪は、ともに現状を直視しない。過去、現在、未来の時間軸が繋がらない。

未来は「現在」に埋めこまれている。過去から現在の流れを見つめ、現状における「変化」を読み解くと、未来が見える。しかし現状を直視しないので、現実が掴めない。だから未来が見えてこない。

技術の進歩はこれまで以上に「加速度」が増していく。
技術は人々の生活、人と人との関係、都市・地域、教育、仕事、社会をとてつもない速度で変えている。にもかかわらず、そうした現実を直視しない人が圧倒的に多い。ビジネスの世界では市場の潮流と、過去につくられた制度や仕組みが合わなくなって、「適合不全」となり、多くの問題を引きおこす。一方、現実と合っていないのに、無理やり合わそうとする「過剰適合」もおこっている。現在は「適合不全」であり、「過剰適合」の時代である。

「技術と社会をつなぐのは“カルチャー(文化)”、多様な“カルチャー(文化)”の融合が大切」と語ったのはコペンハーゲンのインタラクション(相互作用)デザイン研究所のシモーナ・マスキCEO。よく「文化」という言葉がいろいろな場面で使われる。文化を伝統芸能や美術のことだと考える人が多いが、そもそも文化(カルチャー)とはカルチベイト(cultivate)が語源で、耕作、栽培、洗練、醸成を意味する。土地を耕して、種をまき、収穫する。毎年、それを繰り返す。先人から基本を学び、自らの知見と融合した手順・方法で、何度も何度も描き、芸術作品をうみだしつづけるプロセス・方法こそが文化である。

文化は人と人とが承継して、繰り返すことで生まれる。
ひとりの天才や、すぐれた技術者、アーティスト、ミュージシャンが現れても、それだけではイノベーションは起きない。イノベーションが成立するには、新たな技術、サービス、ビジネスモデルを考えて実行できるイノベーターと、それを理解し受け入れて応援する人、ささえる人たちが必要である。そのためには文化をうみ育てる土壌を整備しなおし、風土を洗練させなければならない。

新たな、異なるモノ、コト、姿、ナレッジを柔軟かつスピーディーに受け入れ、混じりあわせるという土壌と考動様式というスタイルをもった都市・地域、企業が、イノベーションを生み、次につないでいくという文化を育むのだ。いま世の中で、社会で何が起こっているのかを掴み、本質を発掘し、再編集し、再定義をおこなって、再起動させて、新たな価値をうみだしていかないと、もっと大変なことになる。


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