いつの時代もいる「手斧おばさん」の狂気
起業家もそうだが、案外大きな会社の偉い人でも間違えていることがあって、それが「良い商品を作れば売れるはず」という思い込み。
だから、メーカーはまず商品開発を一生懸命やるのだが、当然「悪い商品は売れない」のだから、半分は合っているが、「良い商品ならば売れる」というのは完全に間違い。
商品がよくても結果として売れなくて消えていった商品や会社は山ほどある。
商売的には「売れる商品こそ良い商品」なのだ。
良い商品を作ることも大事だが、「売れる」ために何をしたかがもっと重要ってこと。
バドワイザーというビールがある。
日本ではあまりパッとしないが、世界第三位のビール生産量を誇る。
このビールのメーカーは、アンハイザー・ブッシュ社だが、エーベルハルト・アンハイザーという資本家とその養子で製造者でもあるアドルファス・ブッシュの名前を足して社名にしたもの。1852年創業なので南北戦争前、日本は江戸時代の頃だ。
当時、ビールは地産地消商品で、地元で作り、地元だけでしか売れないものだった。なぜならその頃は冷蔵庫もないし、保管もできない。物流体制も整ってないから。
そこで、ブッシュが最初に手掛けたのは「良い商品を作る」ことではなく(もちろんそれも同時並行でやったが)、ビール会社なのに冷蔵庫を作ったこと。それと、それの物流ネットワーク(鉄道の冷蔵車両)を作ったことがすごい。
冷蔵庫を作れば、大量生産と保存ができ、それらを運搬する体制を整えれば売上は格段に増える。その視点の凄さよ。
ただ、ビールを作る会社が冷蔵庫を作るのは莫大なコストもかかるし、大変。でも、ブッシュはそれを成し遂げて、事実彼のビールは売上を大幅に拡大した。
さらに、低温殺菌技術も開発した。本来、牛乳のために作られたと思われていたこの技術も、もとはといえばビールのために作られたものである。
「ビール会社だから良いビールを作らないといけない」じゃなくて、この視点の切り替えはとても重要なこと。ひとつの視点からしか物事を見ていないと到底思いつかない。
次は、冷蔵の樽で売っものをものを瓶詰のカタチで売り出した。これも彼が最初。これで酒場だけではなく、自宅でも持ち帰って飲めるようになった。当然また需要が高まる。
とはいえ、ブッシュも順風満帆ではなかった。アメリカでは1920年から全米で禁酒法が施行されたが、実はそれ以前から禁酒法がある州もあり、禁酒運動も盛んな地域もあった。
理由は、キリスト教的に飲酒は堕落であり罪であり、人間の健康にも道徳的にも害だから。
なんか今のポリコレ全体主義者と似たような挙動。道徳的に、倫理的に正しくないし、それは社会にも人間にも害をなすから排除、撲滅しなければならないという思想なのである。
そして、登場したのが「手斧おばさん」と言われる普通の主婦のおばさん、キャリー・ネイション。
彼女は、同志を引き連れ酒場に赴き、バーテンダーに悪態をつき、客に説教をし、それだけではなく、持ってきた手斧で店を破壊した。讃美歌を歌いながら。
怖すぎるだろ
酒をひそかに飲んでいたとされる当時のマッキンリー大統領が暗殺された時、「報い」だとその暗殺自体を賞賛したという。
狂ってるだろ
当然、酒場の破壊活動は犯罪なので逮捕されるが、ちっともやめない。1900-1910年の間に30回逮捕され、有罪となっている。
自分の正しさのためには誰かの建物を破壊してもいい、従わない者は死んで当然だって思想。これも現代のどこかの界隈と一緒。
ブッシュとは違い、視野が狭いというか、視点の多重化ができていない者の所業。
これほどの異常者ではないにしろ、禁酒運動は全米各地で広がりをみせ、やがて工場経営の資本家がそれに乗っかる。
なぜなら、労働者が昼休みにビールを飲んでロクに働きもしない、夜深酒をして遅刻してくる、なんてことが横行していたためだ。酒を禁止すれば真面目に働くだろうとという魂胆。
世の主婦たちも、もらった給料を酒に使われると文句をいい、その運動に加担していく。
そうした運動が先に広がる中でブッシュは亡くなるのだが、彼の死後1914年からの第一次大戦でドイツが敵国になったことから、さらにビールへの風当たりが強くなる。
それでもまだビールを作れるうちはいいが、完全に製造禁止まて至るとお手上げである。そのまま大戦後の1920年の禁酒法につながる。
何が問題かというと、こうした禁酒活動家たちが自分たちの正しさを押し付けたあげく起きたのは、ビール工場は閉鎖され、失業者が増え、ビール以外でもブッシュ社が委託していたビール瓶製造や印刷屋、物流の人達まで多くが職を奪われた。
そもそも禁酒法が制定されても酒が飲まれなくなることはなく、アルカポネに代表されるギャングに流れて、ギャングの金儲けになった他、警官が見逃す代わりに賄賂を受け取るという腐敗がはびこり、貧乏な人たちは劣悪な密造酒を飲んで次々と死んだ。社会に何の役に立ってないどころかむしろ害悪でしかない。
1933年に禁酒法はなくなるが、その大きなきっかけが1929年の世界恐慌である。
バンバン倒産し、失業者があふれ、何が起きたかといえば政府の税収が激減した。そこで、雇用の促進とともに、酒税を得られるアルコール飲料が見直され、復活したわけだ。
道徳とか倫理とかで世の中の動きを変えようとすることが、結局は世の中を殺すことになる。それどころか、道徳によって何かを禁止すれば、皮肉にも非道徳的な極悪人が一番得をすることになる。
道徳や倫理を振りかざして自分こそが正しいと思い込む者に限って、自分が外道の行いをし、非道の輩を喜ばせるだけの存在になる。歴史上何度も起きたこと。
社会は人が自己の楽しみのために使うお金で回っている。それがなくなれば、人も死ぬが、国も死ぬ。
勘違いしないでいただきたいのは、税収があるから国があるのではない。税収とは、何より民が普通に楽しく暮らせて行ける日常が先にあって得られるものであり、それを奪えば税収もなくなるということである。
103万円の壁撤廃で「財源が~」「行政サービスが~」とか言ってる輩は、まるで社会のメカニズムがわかっていないのだろう。
ところで、日本にバドワイザー・ジャパン社があったときに流行したバドワイザーロゴをあしらったコスチュームを着たバドガールというものがありました。