働ける人が減る未来は「仕事を取り戻すこと」で開ける
日本に暮らす我々は、いまから20年後、2040年にどんな大きな変化を実感しているのでしょうか。
私は、働くことの意義や重要性が、今よりも大きく高まっていることを予想します。
働ける人が劇的に減少する
出生者数が伸びない中で寿命だけは伸び続け、働ける人の数は減少し、社会全体の中で働く人の割合はどんどん低下していきます。
1995年の国勢調査では8726万人に達した生産年齢人口が、2040年には中位推計でも6000万人を割り込むことが想定されています。働ける人が、ピークから30%以上も減ることになります。
もちろん、女性の社会進出率の増加や定年の後ろ倒しにより、労働力の低下に多少の抵抗はできるにせよ、増え続ける高齢者を支える社会全体の負荷は、確実に年々高まっていきます。遠くない未来に、問題は本格的に顕在化してくるでしょう。
我々が取るべき選択
社会保障を必要とする人が沢山いるのに、それを支える働ける人が少ないという危機的な未来は、確実に近づいてきています。
我々には、どのような選択肢が残されているのでしょうか。
1. 海外に門戸を開く
私が社内で所属するチームには、ネパール人、マレーシア人、インドネシア人、ベトナム人、中国人、スイス人、日本人がいます。7カ国の仲間と協働していることになります。
誰にとっても英語は母国語でないのですが、会話は全員が一定習得している英語になってしまいます。多少のストレスはありますが、それでも、協力しながら仕事を進めることはできています。
最初は英語がしゃべれなかった日本人も、しばらくすると慣れてきますので、言葉自体は大きな壁にはならないと感じています。
日本社会において多国籍な仲間と共に働く本当の難しさは、社内でインターナショナルなチームを作れているのが、コミュニケーションが組織内に閉じているソフトウェア開発に限られているという事実から明らかにできます。
社外とのやり取りが発生する職種では、混成チームは今のところ上手く行っていないのです。
歴史・文化的に民族主義の色濃い社会が、外国人に対して寛容な社会へと、そう簡単に変化できるとは思えていません。
そうなると、外国人労働者を受け入れられる領域は限られるため、減り続ける労働力を受けとめられる程に、人を招くことは難しいと感じています。
2. テクノロジーで労働を代替する
オックスフォード大学などの調査結果では、人工知能の活用によって、今後10〜20年の間に約半数の仕事が消える可能性があると発表されました。
人工知能が指数関数的に進化しているのは事実ですが、何でも解決できるわけではなく、適切なデータが大量に整備されていない領域では、問題解決は期待できません。
もちろん、自動的に適切なデータが収集できる画像処理の領域での活用は進んでいます。目で見て判断をする仕事、例えばレントゲン画像の識別や、製品の検品では、コンピュータは人間より高い精度で、仕事をこなすことができることでしょう。
しかし、自分の周囲の仕事を見渡した時に、データが整備されている領域は少ないのです。どの会社にもある営業職一つとっても、全てのプロセスや結果がデータ化されているわけではないですし、そもそも営業活動に必要な情報が何か、完全に定義されているわけでもありません。
曖昧性の中で、人が柔軟に判断をしながら、遂行している仕事の範囲はまだまだ大きく、20年で大規模な労働力の減少を担える程の技術発展を期待するのは、楽観的に過ぎるかもしれません。
期待はしても良いかもしれませんが、本命とするには心許ない選択肢です。
3. 仕事を取り戻す
これまでに失ってきた仕事を3つ観点から取り戻していくことで、労働力の減少によって巻き起こる問題を解決できる可能性があります。
一つ目は仕事の意義です。
働く人が貴重になる時代に、人材獲得競争は激しくなり、企業はもっともっと人を大切にしなければ成り立たなくなっていきます。
組織が内在する理不尽さや不条理さを排除し、一人ひとりの人生に対して有益な仕事を提供する環境の整備が、今よりも求められるようになるはずです。
もちろん理解はできないが、将来につながる仕事も沢山あります。理由がわからないといって、全てが無駄だとは言いません。
しかし、どれだけ考え抜いても、本当にやる意味を一つも見出せない仕事が存在している状況に出くわすこともあります。
給料や昇進のために、目をつぶって、盲目的に生きる必要はなくなります。
自分自身もそうですし、一緒に働いている仲間を見てもそうですが、一人ひとり、異なる強みや弱み、特性を持っています。ジェネラリストが向いている人もいれば、専門職が向いている人もいます。
自分の特性に合致して、もっともっと価値を創出できる働き方を実現できるはずです。
二つ目は仕事の成果です。
日本における自営業率は、長期間の減少傾向にありまして、現状では1割程度です。残りの9割の人は、組織に所属して仕事をしています。
我々は組織で本領を発揮できているのでしょうか。
20世紀初頭のフランスの農学者マクシミリアン・リンゲルマンは、人は組織において、手を抜くのか抜かないのかを実験しています。
1人対1人が、全力を出しあって綱引きをした際の力を基準に、これが2人対2人、3人対3人と人が増えるにつれ、力がどの程度変化するかという「綱引き実験」です。
実験結果では、2人の場合の1人あたりの力は93%、3人の場合は85%、もっと増えて8人になると49%と半分以下になります。工夫して一人ひとりが全力で取り組む4人チームに対して、一般的な8人のチームだと負けてしまうことになります。
普通に働いていると責任が分散し、自分がやらなくても誰かがやるだろうと考え、どうしても手抜きが起きてしまいます。
大事なことは、全力でチームワークといった精神論ではなく、各人の違いを明らかにし、強みを活かし、明確な役割とそれに伴う責任を担っていくことです。
手抜き問題を解決するだけでも、生産性は大きく改善でき、働く人数が減っても、より大きな成果を生み出すことができる可能性が残っています。
三つ目は海外の仕事です。
高齢者に対する社会保障が増加傾向にある中で、生産年齢人口の中でも、非正規雇用などで生活が不安定になってしまうケースが増加しています。
この現象は、企業が生産の最適化による利益の最大化を狙い、代替性の高い労働を、より賃金の安い海外へ移転することで発生しています。
我々は、働き、人の役に立つことで、人生を豊かにすることができます。
しかし、現状の日本では働く機会が全ての人に一律に提供される社会ではなくなってしまっているのです。
その結果、不幸を感じる人が増えるだけでなく、社会保障もより多く必要になり、税率を上げざる得なくなります。
利益を上げるために行った最適調達が、巡り巡って自分たちの首を締めるというパラドックスです。
この問題がすでに顕在化しているのが米国です。トランプ大統領が掲げる保護貿易への舵取りは、米国だけの問題でなく、日本でも全く同じ問題を抱えているのです。
近い将来には、我々のお尻にも火が付き、海外に移転した生産を日本に取り戻す選択を迫られる日が来るでしょう。
以上、「海外に門戸を開く」、「テクノロジーで労働を代替する」、「仕事を取り戻す」の3つの考察をしてみました。
日本の特性や実現可能性から「仕事を取り戻す」以外に道はなく、2040年、仕事は誰にとっても、もっと充実したものになっていることを予想します。