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2021年の抱負を考えるにあたって(2020年の振り返り)

あっという間に2020年の年末を迎えている。今年は、ほぼ3月頃からCOVID-19(新型コロナウイルス)の影響によって、それまでとは大きく生活や仕事のあり方が変化し、その後10ヶ月間それが継続しているという状態であった。

例年であれば節目になるような、夏休みとか、あるいはクリスマスパーティーや忘年会などといった恒例行事がほぼできなかったこともあり、なんだかメリハリがないままに、長かったような短かったような不思議な感覚でこの一年を過ごしたというのが自分の実感だ。

新しい年を迎えるにあたって新年の抱負を考えるのも恒例行事の一つではあるのだが、それに際して注意しておきたいと思ったことがあるので、自戒のためにもここに書き留めておきたいと思う。

COVID-19の影響によって私たちの生活や仕事は、直接対面するリアルないしオフラインという形態から、通信を介して人と向き合うオンラインの割合が急激に大きくなった。昨年の今頃であれば、zoomや Teamsに代表されるオンライン会議を使っているのはスタートアップなど一部の会社や海外とやりとりをするような一部の部署に限られていたと思うのだが、今や誰でもが自分からオンライン会議を主催することは、もはや当たり前な状態になっている。仕事だけでなく、ちょっとした習い事や、プライベートな集まりの代替手段としてもこうした方法が取り入れられるのが珍しくなくなった。

そのほかにも、今年の生活が生み出した変化は様々にあり、その流れに乗った商品やサービスが売れた1年でもあった。

こうしたことは、COVID-19の流行が収まるまでの一過性のことであって、今期待されているワクチンが普及することによりこの問題が解消し、2019年までのような生活やビジネスの環境が戻るという考え方、あるいは願望も、多くの人や会社が持っているのだと思う。上記の記事の最後のコメントにもそれが表れている。

たしかに、元通りになるべき部分は多々ある。しかし、一方で忘れたくないのは、このオンラインでのコミュニケーションが普及することによって、私たちが、2019年までにはなかったもう一つの選択肢を手にしたという事実である。

例えば、授業がオンライン化することによって教室の中ではおとなしかった子供が、オンライン授業では積極的に発言をするようになったという話がある。あるいは、これまで産休や育休といった形で、一時的にせよ完全に仕事から離れざるを得なかったお母さんたちが、部分的にでもオンラインで仕事をできる、そういう可能性に気がついた一年でもあったと思う。

こうした、デジタルないしオンラインというもう一つの選択肢が、技術的には前々から存在してはいたものの、社会に認知される形で生まれたのが2020年であった、ということは心に留めておきたい。

2021年以降の生活や仕事を考える上で、この新たな選択肢を今後COVID-19の収束とともになくしてしまうのでは、せっかく2020年を私たちが耐えた意味がなくなってしまう気がしている。これは、元の状態に戻ることができるようになった時にでも、残しておくべき積極的な価値ではないだろうか。この点は、新年の抱負、そしてそれ以降の私たちの生活や仕事のあり方を考える上で、忘れたくない一面である。

こうした選択肢が生まれることによって、例えば地方都市にいながら都会の企業でリモートで働くといったことも考えられるようになる。そうすると、地方に雇用が生まれる(厳密にいえば、地方にいても都会で雇用される機会が生まれる)ことになる。こうして、必ずしも東京に住まなければならないということでもなくなれば、例えば介護離職で、地方に住む両親の面倒を見るために仕事を辞めざるを得なかったケースでも、今後はリモートで部分的にでも働き続けられるという選択肢も生まれてくる。

それを考えると、例えば「リストラかどうか」という視点で議論になったタニタや電通が導入を始めた、退職社員に業務委託として仕事を発注するスタイルにも、積極的な価値がうまれる一面がある、とも捉えられる。介護で親の面倒を見ながら、フルタイムは難しくても業務委託で仕事を続けられるのであれば、仕事を辞めるか続けるか、というゼロイチ以外の選択肢が生まれることになる。

このように、元通りの生活に戻れるということを望み、そこに希望を見出すことは非常に大切なことではあるけれど、だからといって2020年に得た教訓や可能性を無かったことにするのでは余りにももったいない。

また、このような状況は全世界的に起きている中で、COVID-19との共存をいわゆる「ニューノーマル=新しい日常」として捉え、次の時代の生活や仕事のあり方を模索する動きが各地で起きている、ということも忘れてはいけないだろう。

例えば、毎年1月初めにラスベガスで開催されていた CES は、今年は”All Digital"、つまりオンラインで開催をすることになっている。ここに例年出展していた日本企業が、今回のオンラインでの開催においては出展を取り止める企業が少なからずあるのだという。

こうした動きが日本のみならず世界的にも大きな潮流になっているのであればそれでも良いのかもしれないが、せっかく新しいスタイルが取り入れられる時であるから、新しい試みをするには一番良い機会であるのに、と思う。失敗を過度に恐れる日本人や日本企業の特質からすると、こうした機会には参画しにくいのかもしれない。しかし、何が「成功」であるかもわからず誰にも経験がない未知数な初回において、仮にそれが「失敗」であったとしても、ここで経験を積んだ企業や人が次の道筋をいち早く見つけ、次の成功を手にするのではないだろうか。この初動における経験値の差は、先行者利益として、なかなか埋まらないものになる恐れも高い。

その意味で、私たちは新しい試みに対して降りてはいけないのが、今というタイミングではないかと思う。例えば、ワクチン開発にしても、世界中の製薬企業が競って開発を進めているがこの開発競争に何らかの形で成功した企業であれば、ワクチンの代金として大きなお金が入ってくることもそうだが、それ以上に、そのお金と経験や人材・ノウハウを生かして次に未知なるウイルスができた時のワクチンの開発体制を2020年の教訓から得て、未来のビジネスにつなげていくことになるのではないか。その意味で、ワクチンの開発競争から降りてしまえば、資金面もさることながら、ノウハウや人材が手に入らなくなり、大きく後塵を拝してしまうことになるのではないかという懸念を持っている。ワクチン開発については一例でしかなく、他の産業についても、同じことが言える。

COVID-19の影響は急激に広がったが、回復の動きは、ワクチンの接種によってそれがもたらされるのだとしても、緩やかで局地的なところから始まっていくものと考えている。ワクチンが仮に医薬品として完璧なものだとしても、その前途は簡単なものではないだろうと思う。

その意味で、今後1年といった短い期間の中で元に戻ると考えるのは早計であると思うし、今の状況が、少なくても部分的には長い時間続いていくのだと考えておくべきだろう。そうであるならば、COVID-19も変異するかもしれないが、私たちの意識や社会のあり方もその間に変わっていくと考えておかなければならない。何もせずに元に戻るのを待つ、というのでは新しい時代に対応して変わっていく世界の社会や人々に取り残されてしまうということが気になるところだ。IATAの需要予測は、個人的には、とてもいい線を突いているのではないかと見ている。これは単に国際線の需要回復というだけでなく、経済が復調するまでにかかる時間とも読み取れる。もちろん、国際間の人の移動が2019年までと同じであるかどうかは、議論の余地はあるとは思うが。

過去の歴史を見ても、その期間や犠牲者数は様々であるが、おさまらなかった伝染病の世界的大流行というのは存在しない。そうであれば、このCOVID-19も必ずいつか収束する。ただし、それがいつになるかは、誰にもわからない。そうであるならば、悲観的に予測し楽観的に対処する、という原則に従って、この問題は長期的にあるものという前提で考え、その間をいかに有効に有意義に過ごすか、と考えることが、建設的であり精神的にも負担が少ないものになるのではないだろうか。

2019年までのような日々が復活することを望む、それを前提に新年の抱負を考える、裏を返せば2020年を否定的にしか捉えない、ということに、ともすれば陥りがちではないかと思うが、そうではなく、長期的な視点で今後の私たちや私たちの社会のあり方を考えながら、今後の抱負を持ちたいということを、自戒を込めて書き残しておきたい。

明けない夜はない、のだから。

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