見出し画像

平成の「変革」不発は、令和に生きるか?

「変革(トランスフォーメーション)」という言葉は、それを聞かない日はないほどビジネス界での人気キーワードだ。しかし、経営コンサルタントとして企業経営陣と接する中、この概念が表面的に使われていたり、漸進的な「改善」を飾り立てた言い換えにすぎなかったりする例も多い。

本来、企業の自己変革とは、世の中や需要の大きな変化に合わせて、自社も今までのなりわいを大胆に変えること-まるでさなぎがチョウになるように、DNAを残しながらも、元の自分と決別することを意味するはずだ。

日本企業において、なぜ変革の成功例がこれほど少ないのかを探る経済教室のシリーズを興味深く読んだ。平成30年間で、日米企業の時価総額の伸びには顕著な差がある。米国企業は新陳代謝も激しいながら、実は100年以上の歴史を誇る長寿プレーヤーの数は日本を上回り、その多くは自己変革によって大きく成長を続けていることがわかる。長寿企業は日本だけの十八番ではないのだ。

では、なぜ日本企業の「変革」は上滑りするのか?

この記事では、平成の時代に次々に起こった外的な危機-ITバブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災-を受けて、日本の経営者がリスク回避的になったと説く。さらに超低金利政策が敗者に優しいぬるま湯環境を作った結果、自らの本質的な課題に取り組むような気概がそがれたという側面も指摘されている。

この分析に加え、二つの視点を加えたい。まず、変革の動機には、世界を俯瞰(ふかん)する大局観が必要だ。しかし、グローバルに操業する大手企業でも、日本企業の経営陣は勝手知ったる日本市場にことさら多くのマインドシェアを割くことが多い。すなわち、ホームマーケットバイアスが非常に強く、海外事業の経営は信頼できる(と思われる)「青目」幹部にお任せ―となりがちだ。これではどうしても、視野が日本に狭まってしまう。成熟市場の中でも殊に変化の緩慢な日本から、変革の必要性を訴える危機感は生まれにくい。

次に、経営陣の継承パターンにも問題がありそうだ。多くの企業では内部人材が珍重され、社長の座は生え抜きの世代交代とともに、バトンのように渡されていく。もちろん社内を知り尽くした内部人材が幹部となることにメリットは多い。その反面、先輩へのしがらみは強く、大胆な施策は打ちにくくなってしまう。なるべく事なく任期を終えて、次の世代にバトンを引き継ぎたいというバイアスが働くからだ。

平成「変革」上滑りの背後にあるこのような原因を考えると、令和の時代に日本企業が自己変革を成し遂げて大きく飛躍するための処方箋が見えてくる。

まず、企業統治の在り方を見直したい。取締役会に多様性があり、執行陣は海外・日本のバランスを取っているか?社長やCEOは、コーチ役である取締役会に報告しながら大局的な視点で戦略を考えられているだろうか?CEO継承プランは短絡的に伝統を踏襲せず、外部人材を含めすべての可能性を検討しているだろうか?

その上で経営陣には、四半期に追いかけられる短期業績の管理から離れ、長期視点で自らの立ち位置と世界の大きな流れを考える時間が必要だ。中期経営計画立案は、本来その良い機会であるべきだろう。コンサルタントの力を借りるとしても、最後は自分事として「変革」のなぜと目指すビジョンを内外に説明することが望まれる。

経営記事では、平成日本企業の失敗を「縮小均衡」に陥った結果と分析する。短期かつ内向き視点のままでは、縮小均衡の傾向は止まらない。30年間の習い性を払しょくすることはたやすくはないだろう。しかし、日本企業に限らず、誰にとっても「変革」は大きな努力を必要とする。令和の時代、日本企業が大きく成長するためには、癖をよく鏡で見つめ直し、長期かつ外向き視点を身に付けなければならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?