メタバースに対峙するとき、「妄想力」と「倫理観」をあわせもつ必要性

最近、VR(バーチャルリアリティ)やXR(エクステンデットリアリティ/クロスリアリティ)、メタバースといったキーワードと仕事で付き合うことが増えてきました。さまざまな企業がメタバースの世界で事業をしようと企てるなか、ぼくも事業開発をファシリテートする機会が増えてきました。ここで意識すべきことに気づいたので、今日はその話を書きます。

先に結論を書きます。メタバースでの事業を考えるとき、一つは一人一人がワクワクした妄想を楽しむこと。そしてもう一つは、その妄想の世界が実現してしまったときに倫理的な正しさがあるのかをヒリヒリしながら考えること。

XR・VR・MR・AR・・・いったいなんのこと?

ここで、自分自身の整理のためにVR、XR、メタバースなどの違いを記述しておきます。ぼくも最初のころはまったくよくわからなかったので。なので詳しい方は読み飛ばしてください。

どうやらXR(エクステンデットリアリティ/クロスリアリティ)とは、VR(バーチャルリアリティ)、MR(ミックスドリアリティ)、AR(オーギュメンテッドリアリティ)などを総称したもののようです。

ゴーグル型のデバイスやスマホを通じて、仮想空間のなかに没入してしまうのがVR、現実空間と重ね合わせるのがMR、現実空間にデジタル情報を呼び出せるのがARということになりそうです。(こう書くと、ARとMRはよく似た概念なのでは?と思います)

それで、メタバースって…?

それに対して「メタバース」は、仮想空間のなかで自分のアバターを存在させ、情報を交換するだけでなく、デジタル資産をやりとりする経済活動もできるようになる、そのような世界を言い表すもののようです。NFTの登場によって、デジタル作品が唯一無二のものとして売買できるようになったことから、この仮想世界のなかでデジタル上にしか存在しないアート作品が高額で取引されるようなことも起きています。

ちなみに、ヘッドセットがなくても、スマホやタブレットでも「メタバース」空間にアクセスすることができます。VRじゃなきゃだめ、ということはないようです。

なにより、日経新聞のこちらの記事がわかりやすかったのでぜひご参照ください。

さまざまな企業がメタバース市場に参入せんとする

さて、XRとメタバースの登場によって全く新しい世界が開かれているなか、市場はさまざまな動きを見せています。

VRによって全く別の仮想世界に没入でき、AR・MRによって現実世界に重ねわせることができ、さらにデジタル情報を唯一無二のものとして売買することもできる。

このような世界のなかで何ができるのか、いま多種多様な企業がこの「メタバース」の市場に参入しようと、新規事業部のなかでリサーチ担当者を立て、調査、企画をしています。

「妄想力」と「倫理観」を同時に掻き立てること

こうしたなかで、ぼくもメタバースの世界での事業・商品開発のプロジェクトに携わることも増えてきました。ワークショップを通じて合意形成をしていくなかで、とあることに気がつきました。

トップのクリエイターや技術者が天才的な発明をして市場を席巻していくことが暗に期待されていると思います。しかし、本当に大切なことは、私たち一人一人の小さな妄想力と倫理観です

このメタバースの世界でどんなことができるのかを妄想し、試し、手に馴染ませていく。このような妄想と実験によって、メタバースの世界が人々の暮らしに馴染むものになっていくでしょう。

同時に、このメタバースの世界には多くの危険も潜んでいると言えるでしょう。アバターなどをもちいて仮想の自分になれてしまうため、人種やジェンダーを超えられる一方、差別が助長される懸念もあります。NFTに対する法整備も追いついていないため、犯罪の温床になる危険もあるそうです。

「こんなことできたら面白そう」というワクワクした妄想とともに「でもそれって倫理的にやっていいのだろうか」というヒリヒリした感覚を常に持ち合わせることが、このメタバース黎明期における商品・事業開発では必要となるでしょう。ぼくもまた、こうした事業のファシリテーションにおいて、妄想と倫理観を同時に掻き立てる術を、身につけなければならないと感じています。


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