みんなで、デジタル教科書を、デジタル・トランスフォーメーションしてみよう!
「デジタル教科書」って、言葉を変に思わないのですか?
私は、やや人と思考回路が異なるのだろうか?理由は、以下のデジタル教科書の記事に、かなりの違和感を覚えたからである。
もちろん、文章に間違いもないし、文部科学省が行なっていることも理解できる。でも、「デジタル教科書」って、「紙の教科書」を、タブレットやパソコンなどデジタル・デバイスに載せ替えることなのでしょうか?
もちろん、デジタル・デバイスに教科書を移行することで、デジタルならでは表現力が活用できて、図やアニメなど、今までにない表示方法は活用できる。
ここで、重要なのは、教科書とは、「紙」の「本」に印刷して配布する形態を使った形式で、「紙」の良さと、「本」の良さを活用している。これから、考えるデジタル教科書は、本来は、デジタル・デバイスの良さを考慮して、再定義すべきなのではないだろうか。
デジタル教科書、改め「デジタル・わらばん紙」を定義しよう
上記のデジタル教科書の記事に、以下のように、デジタル教科書の定義があります。
上記の定義には、デジタルの良さはあまり触れられていない。
例えば、デジタル・メディアの特徴である、双方向性については、活用していない。今での許可書は、印刷物だったので、生徒は別にノートを持参して、教科書とノートの2冊を持参していた。しかし、デジタル教科書、改め「デジタル・わらばん紙」では、生徒が、この教材に書き込めば、ノートは不要だ。
黒板も、デジタル化できれば、この「デジタル・わらばん紙」に連動することができて、生徒はもっと先生の言葉に注目できるだろう。
先生の宿題、つまり「わらばん紙」の機能も、このデジタル・メディアには組み込めるはずだ。検定教材に関係する、宿題を、先生がこの「デジタル・わらばん紙」に、転送すれば、生徒は同じデバイスに宿題を行う。そして、デジタル・メディアは、ネットワークに接続可能であれば、先生は、生徒が宿題が終われば、すぐに確認することだって、可能なのである。
デジタル・トランスフォーメーションが重要
実は、この「デジタル教科書」という言葉は、教科書のデジタル化にしかすぎない。日本は、教育においても、一層強化しないといけないのであれば、きちんと「教科書」をデジタル・トランスフォーメーションして、「デジタル・わらばん紙」のような、新しい定義が必要なのではないだろうか。
ちなみに、私の最大のこの記事の違和感は、このデジタル教科書の取り組みは、数年前に、「本の自炊」という、紙の書籍をスキャンして、デジタル化している取り組みに近い感じを覚えたからである。実は、それなら、今でも行えることであり、「文科省24年度導入」と、国を巻き込む大きな話題ではないのではないだろう。
きちんと「教科書」のデジタル・トランスフォーメーションを、「教育」の専門家、「デジタル」の専門家の双方の意見を交えて、行なっても良いのではないだろうか。
少なくとも、国の教育は、もっとみんなで、アイディアを出しても良いのだろう。みんなで、「デジタル教科書」を創造することは、本当にこの国の教育の将来を考えることにつながるはずだ。