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変革を妨げるのは「変わったら困る人」ではなく「今困っていない人」

恐るべき「今困ってないからまあいいか」の呪力


今年もこの時期がやってきました。年に一度の恐怖イベント。このイベントは、年を重ねるごとに恐怖が増します。本来寿命を延ばすためのものですが、フィナーレでは寿命が縮む思いがします。さて、これなーんだ。答えは健康診断です。体の不調というのは冬に出やすいもの、ということで、毎年冬の一番寒い時期に受けるようにしているのです。

今年の結果は、というと、コレステロールが異常値でした。もともと高くなりやすい体質ではあります。そこに、コロナ禍で外出することが少なくなって、運動不足が拍車をかけたのでしょう。ちょうどかかりつけのクリニックが「内分泌内科」なので、そこで診てもらうことにしました。おじいちゃん先生の優しい指導を受け、目下生活習慣の改善に取り組んでいます。

さて、その先生によると、この脂質異常というのは放置されがちな病気だそうです。予約時に過去数年分の結果を持ってくるよう言われたのですが、それでその人がどのくらい放置していたかがわかるというわけです。中には、脂質異常だけは毎年基準を超えているからOK! という大変危険な自己診断を下している人もいるとのこと。別の検査項目で診断に来て、脂質異常もですね、と指摘するとそのようなビックリ回答が返ってくるというのです。

なぜこのようなことが起こるのでしょうか。私も心当たりがない、わけではありません。それは「今困っていないから」でしょう。改善したほうがいいのはわかっているのです。改善しないと将来困る、ということも。でも、今はお腹が痛くなるわけでも、二日酔いが酷くなるわけでもありません。まあいいか。ということで放置し、結果何も起こらない、困ったことはない、という状況が続くと、「まあいいか」の呪力はどんどんパワーアップしてしまいます。

職場の改革を阻む「今困ってないからまあいいや」


この「今困ってないからまあいいや」は、ビジネスの現場でも問題になります。例えば、文書の管理はGoogleドライブのようなクラウド上でやったほうがいいよね、という若手IT部員の提案があったとします。インターネット上で管理できれば、出先でスマホからチェックできたり、社外の人との共有もしやすくなります。各自自分のパソコンや、社内の共有フォルダーに保存しておくより、色々な意味で便利です。

これには反対派もでてくるでしょう。セキュリティー担当は、何かあったら責任を取らされるから、と抵抗するかもしれません。今のシステムを提供しているベンダーが、実は友達の会社だった、などという先輩担当者がいたりするかもしれません。要は、社内には、いまのシステムが「変わったら困る人」が何人かいるわけです。

しかし、そうした反対派は、実はそれほど厄介な存在ではありません。目に見える存在ですし、対処方法が明らかだからです。セキュリティー担当者には安全性を説けばいいでしょう。実際、Google以上に堅牢な社内ネットワークはそうないはずです。友達の会社に仕事を融通している担当者は、それが明るみに出るとなると抵抗できないでしょう。このように声をあげて反対する人たちは、得てして多数派ではありません。いずれにせよ、トップがやるべし、と決断を下せば、推進派と反対派の争いにはファイナルアンサーが突きつけられます。

一方で対処が難しいのが、別に反対ではないけど、「今困っていないからまあいいや」という人たちです。文書のクラウド保存は便利だろうし、そうしたほうがいいのはよくわかる。でも別に、今のやりかたでも特に困ってはいないので、積極的に賛成はしない。まあ切り替えが面倒だから、強いて言えば反対。こうした人たちは組織の中で圧倒的な多数派であり、反対派と違ってはっきりとそれとはわかりません

「コンプレイセンシー」こそがDXの最大の敵

何より厄介なのが、こうした人たちには、反対者を相手にしたときのように、理を説いても効果がないということです。移行することのメリットも、移行しないことのデメリットも、この人たちはよく解っています。そのうえで、今特に困ってはいないからまあいいや、と緩やかな抵抗を示しているのです。健康診断の指示を無視して脂質異常を放置している人に、メリットやデメリットを説いても仕方ありません。それと同です。

対策がないと手をこまねいているうちに、反対派はこの緩やかな現状肯定組を、自分たち側に取り込むことができてしまいます。アンケートなどの結果を見せて、ほら大多数が望んでいないです、と立ち振る舞ったりするのです。この緩やかな抵抗は、トップが決断しても続くことがあります。システムが変わっても、並走させている社内ネットワークに保存を続けたり、自分のパソコンにだけ保存するようにしたり。すると、反対派はそこで息を吹き返します。ほら、みんなこんな変更は望んでいないんですよ、と。

このような状況を、英語では「コンプレイセンシー」といいます。悪い意味で現状に満足してしまっており、変えたほうがいいと解っていることも、行動を起こして変えることをしない心のあり方です。DXはじめ、組織の変革を本当の意味で阻んでいるのは、実は守旧派の抵抗ではなく、大多数の人が心に抱えるコンプレイセンシーなのです。

2017年のAdvertising Week Asiaで、日本マクドナルド会長のサラ・カサノバさんは、同社復活までの道のりはコンプレイセンシーとの戦いだった、と語りました。今困ってないからまあいいや。日本で長くビジネスを続けているうちに、こうしたコンプレイセンシーの呪いが組織全体に広まってしまった。それが、時代にあったビジネスの変革を阻み、2015年まで続いた同社の不振を招いてしまっていた、ということなのでしょう。

コンプレイセンシーを打ち破ったコロナ

日本では、このようなコンプレイセンシーがより蔓延しやすいように感じます。政治でもビジネスでも、「ステータス・クオ」が長く続くことが多いからです。ステータス・クオとは、「今のままの状態」という意味のラテン語です。英語の中では、「既得権益」のようなネガティブな意味で使われることも多い言葉です。英語圏では、政治では与党が選挙のたびにいったりきたりします。ビジネスでも、雇用の流動性が高いため、1つのポジションを同じ人がやり続けることが日本よりずっと少ないのです。

このこと自体は、トータルでみれば、良いこととも悪いこととも言い切れません。私は外資系企業で長らく働いてきましたが、急激な変化が頻繁に訪れる緊張感にはほとほと疲れ果てました。長期的にビジネスやチームを育む、という視点が持ちづらいという欠点も実感しました。一方で、変化が起こりづらい、ステータス・クオが続きやすいことにも、解りやすい欠点があります。コンプレイセンシーが蔓延しやすいことです

しかしこれは、克服できない欠点ではありません。コロナ禍で、長い間停滞していた社会のDXが一気に進みました。コロナという災難によって、多くの人の心に巣食っていた「困っていないからまあいいや」が、「困ったなどうしよう」に変わっていったのです。ハンコは非合理だと理解していながら、慣れてしまっているし困ってないからまあいいや、と現状を緩やかに肯定していた組織があったとします。感染リスクを押して、メンバーにハンコを押しに出社させなくてはならないとなったら、それは「困ったなどうしよう」となるでしょう。

欧米に比べ大幅に遅れている日本のEVシフトですが、地方では先行しているというデータがあります。ガソリンスタンドの採算があわず、閉鎖する店舗が続出しているからです。近くにガソリンスタンドがなければ、自宅や大型ショッピングモールで充電できるEVは頼りになります。これも「困っていないからまあいいや」が、「困ったなどうしよう」に変わった結果、社会の変化が促進された1つの例ではないでしょうか。

お尻に火がついた状態を、自分たちの力でつくりだす

現状維持がより好まれ、「困っていないからまあいいや」が蔓延しやすい。それが我々の社会です。このようなコンプレイセンシーは、DXのような社会の変革の妨げになります。しかし、それが「困ったなどうしよう」に変わった後のキャッチアップには、目をみはるものがあります。お尻に火がつけば、こんなスピードでできるだ! 都市部の大企業中心ではありますが、コロナでリモートワークが一気に普及した際は、だれもがそう思ったはずです。

願わくば、この「お尻に火がついた」状態を、コロナのような外圧ではなく自分たちの力でつくりだしたいものです。そのために重要なのは、まず自覚することです。本当の意味で変革を妨げるのは、「変わったら困る人」ではなく、「困っていないからまあいいや」という人たちである、ということを。つまり、一部の反対派ではなく、多数の緩やかな現状肯定派である、ということを。

そして、我々の社会では、「困っていないからまあいいや」という状態、コンプレイセンシーが蔓延しやすい、ということを。こうしたことをリーダーが自覚すれば、変革が進まない本当の理由にメスを入れることができます。健康診断で見つかった脂質異常を放置している人を、病院につれていくような厄介な仕事ではあります。単に理を説くだけでは解決しません。しかし、問題の本質を正しく理解していれば、打つ手はあります。

それに加えて重要はのは、コンプレイセンシーに陥ってしまっている当事者が、それをしっかりと自覚することです。変えたほうがいいのはわかるけど、今は困ってないからまあいいや。会社や社会における自分の身の回りに、そう思ってしまっていることはないでしょうか。自分から変えていこう! というアクションを起こすのは難しいですよね。でも、アクションを起こしている人をただ傍観しない、というのも、社会を前進させる大きな一歩です。そのためには、まず自覚すること。偉そうなことを言って恐縮ですが、いまここで、誰より自分自身にこれを言い聞かせています。

おわり

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