「周囲から否定されても自分を貫いて成功した」という英雄譚は、賞味期限切れじゃないかと思ったお話。
スウェーデン発スタートアップ『Spotify』の軌跡追う本が出版された。
正直、そんな話よりも「フォートナイトの乱」の方がいまものすごい注目の話ではあるが、Epic Games vs Apple の闘いは、Spotify vs Appleの闘いでもあるので、この本を読んだ上で眺めるとまた違って見える。
その本はスベン・カールソン、ヨーナス・レイヨンフーフブッド『Spotify(スポティファイ)』(池上明子訳、ダイヤモンド社)。2人の著者はスウェーデンの日刊経済紙「ダーゲンス・インダストリ」で活躍する経済記者。ニュース取材を通じて接点があった2人が取材を広げて、今や世界最大の音楽ストリーミングサービスを展開するスポティファイというスタートアップ企業の歩みを追いかけた。取材対象は約70人、全20章、400ページを超える力作ノンフィクションだ。
「スウェーデンのひとりの若者が、誰も想像しなかった世界最大の音楽ストリーミングサービスを構築した感動のノンフィクション」と冒頭でうたう。音楽配信ビジネスに興味がある向きはもちろん、IT(情報技術)系スタートアップの青春物語としても、波瀾(はらん)万丈のビジネスストーリーとしても、興味深い読み物だ。
実は、最近Spotifyについて、あーでもないこーでもないと色々と考えていました。それは、最近弊社で始めたポッドキャスト番組についての悩み。
本日時点で、もう17話まで来た『MOTION GALLERY CROSSING』。
ミニシアターエイド基金(濱口竜介監督・深田晃司監督)や、ブックストアエイド基金(阿久津隆さん・内沼晋太郎さん)を皮切りに、いとうせいこうさん、鈴木涼美さんにもご出演いただくなど、とても豪華な番組になってきた・・・!構成なども日々みんなで練って色々と変えたりとチャレンジしているんだけど、これからもっともっと多くの人にこの番組を聞いて頂き、楽しんでもらえるために、今どこのサービスをメインプラットフォームにしようかと悩んでいます。
(詳しい人がいたらおしえてください!!!!!!)
そこで、AppleのPodcastなのか、Spotifyなのか。まだまだ日本では黎明期である音声マーケットの中で、どのプラットフォームを中心に展開していくのがいいんだろうかという悩みは、企業のビジョンやこれまでの歴史、代表が考えている事、そして彼らが見据えている音声メディアの未来などを読み取って、AppleとSpotifyのどちらにしようかを考えるのがよかろう。それがこの本を手にとった理由でした。
読んだ結論としては、秘密主義と言われるダニエル・エクだからなのか、そういうことが読み取れる本ではなく、今M&Aなどを繰り返すなどSpotifyがかなり力を入れているはずのPODCASTについてはほぼ触れられておらず、なんの参考にはならず、悩みがむしろ深まる結果に・・・。なので僕の悩みは結局結論は持ち越しになってしまったけど、本とは関係ないところでSpotifyに新しい発見があった。それは、楽曲と音声番組を自由に組み合わせたプレイリストを作ることがひっそりと出来るようになっている・・・!ITUNESとPODCASTでアプリを分けているAPPLEでは実現しない、このラジオ感満載の番組づくりが出来るようになるなんて夢見たい!と感激したので、SPOTIFYでは、ポッドキャスト番組のテーマに合わせた楽曲とセットを組んだプレイリストをこれからどんどん作っていきます。是非フォローして聞いてほしい!
第一弾は「TOKYO REWIND」
特集『東京ラブストーリー2020から考えるバブル世代とミレニアル世代』のラジオと音楽をまとめたプレイリストです。7-8月の特集では、フジテレビの清水一幸プロデューサーと、社会学者の鈴木涼美さんにお話をお伺いしました。「東京を描くこと」「東京を考えること」にまつわるラジオ本編のお話に加え、そんな東京の変遷を描いた魅力的な音楽をまとめ、プレイリストにしています。東京のいままでとこれからを、ぜひ感じてみてください!
https://open.spotify.com/playlist/33FT2hdCh8VtnwrdEmx7MC?si=L81a3BStS2SVZGeyxcTPEg
と、当初の個人的な目的は果たせなかった書籍『Spotify』だけども、読んでみてとても不完全燃焼な感じを受けた理由を更に考えてみたときに行き当たったのが、起業家の英雄譚がテンプレ化しすぎ問題だったので、今日はそれについて思い込みたっぷりで書いてみたいと思う。
音楽業界という壁
スウェーデンという小国で生まれたスタートアップが、いかにして音楽ストリーミング界の覇者となったのか。それを淡々と書かれてある本書。もしかしたら原書はドラマティックに書かれているはずの本かもしれないけども、翻訳の問題なのか、めっちゃ淡々に綴られている印象。
既にSpotifyのない生活、いや、正確にいうと、ストリーミングで音楽が配信されていない生活など想像できないけども、この本を読んでいくと、このストリーミング(しかも無料プラン有り)で音楽を聴くような世界が一般化するまでにどれほどのハードルがあり、そして格闘があり、当時は唾棄される考えだったかを気付かされる。言われてみれば、ipodにダウンロードした音楽を詰め込んで持ち歩いていた頃がもう遠い昔のようだし、その前なんてCDプレイヤーとCDバッグみたいなのを持ち歩いていたなあと、昔の事を思いだしてきた。
音楽の違法コピーが広がっていた中、技術者でもある創業者ダニエル・エクの合法的な無料の配信プラットフォームをつくるというビジョンをぶれずに実現していくことで、今や音楽サービスのグローバル・スタンダードになったSpotify。
スウェーデンという、ITスタートアップの中心地シリコンバレーから遠く離れたところで生まれ育ったダニエル・エクとその会社が、ローカルサービスで終わらずに、それこそシリコンバレーの著名なVCから出資を得て、グローバル・サービスに成長していった過程はとても凄い話であり、興味深かった。
特に、サービスを世界展開する上で大きな障壁となったアメリカのメジャーレーベルを筆頭とした音楽業界をも最終的には切り崩し、今のストリーミング全盛時代をつくり上げていくまでの過程が、英雄譚として綴られている。
それは、さながら、合理的なエンジニア VS 既得権益にしがみつくレコード会社の様な構図で描かれている。合理的にものを考え、科学的アプローチによって未来の音楽と音楽ファンをつくろうとしているダニエル・エクと、古い考え方と利権にしがみつきアーティストの未来を顧みないレコード会社といった感じ。
だけど、この物語構造って起業家モノのテンプレだなあという既視感が半端ない。スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ、そして最近出版されたNETFLIXのリード・ヘイスティングスの物語もその代表でしょう。
古臭くてスノッブな守旧派を、知恵と若さでなぎ倒し自分のビジョンを証明する彼らの”物語”には、確かにこれまでもうそれはワクワクしたものでした。
だけども、そんな英雄譚が国内外問わず起業家をスター的存在に引き上げて以降、もうだいたいどんな成功者の話も、
「向こう見ずな若者が、社会の固定観念を疑い、周囲から出る杭として打たれながらも自分を貫き、成功して見返す」
というテンプレにすべて押し込まれている気がする。有名アスリートをモデルにしたカッコいいCMも大体そんな感じ。でもそんなテンプレ・ストーリーが溢れすぎてしまい、このテンプレがめっちゃ安っぽくなってきたと思う。そもそも、そんな周囲から否定されるかな・・・?とか。ちょっと軽い気分で否定的な事言われたり、もしくは単にめっちゃ親切に心配されるがゆえに老婆心で反対される、みたいな大して「壁」になっていないエピソードをもとに「周りに否定された!でも俺はやる!」みたいな陶酔だったり、もしくは本人はそこまで思ってないのに周囲がそういう物語に無理やり押し込めている物語が最近多い気がしてならない・・・。なんか、イノベーションを起こした物語をテンプレで伝えようとする態度がすでイノベーティブじゃないというモヤモヤ。
脱線するけど、ザッカーバーグを描いた『ソーシャル・ネットワーク』は個人的にはそのテンプレ押し込み感が強くて、見た当時「???」が並んだ映画でした。
骨太でものすごい深い社会批評が詰まった、アメリカのジャーナリズムを舞台にした傑作ドラマ『ニュースルーム』の脚本家としても有名な、アーロン・ソーキン(ダニー・ボイル版の映画「スティーブ・ジョブズ」も脚本している)が『ソーシャル・ネットワーク』の脚本を書いていますが、なんか悪い意味でアーロン・ソーキンの映画になっちゃっていて、ほぼシェイクスピアやオーソン・ウェルズみたいな、上質でウェルメイドな人間ドラマであり前述の英雄譚になっているわけです。でも多分、「みんなをつなげて社会を仲良くさせよう!」みたいなロマンチシズムや、「でも結局サービスで友達を何億人つなげようと、その成功と引き換えに自分個人はどんどん孤独になってしまっているのではないか・・・。」みたいな映画的感傷とは無縁だからこそ、ザッカーバーグがザッカーバーグであり、凄さやヤバさや躍進の理由でもある気がしているのです。ちょうどその時たまたまフランスの映画監督のアルノー・デプレシャンと話す機会があったのでこの違和感を聞いてみたら答えが「古い映画人が自分たちの価値観で描いているから、全然本人を描けてない。やっぱ同時代の作家が映画化しないとだめだね」という回答だったんですが、まさにそのとおりだなあと思った次第。
それ以来、このテンプレ英雄譚に出会うたびに無駄に警戒感を持つようになってしまったわけだけど、この『Spotify』の英雄譚を読むと、このテンプレがもう限界に来ているのではないかと感じるようになった。本『Spotify』は明らかに、ダニエル・エクの物語をこのテンプレ英雄譚に当てはめようとする気概を感じるものの、全然読んでてワクワクしない。。淡々としてちぐはぐな和訳のせいもあるかもしれないけど、理由は、冷静に読むと、張り巡らせたVCやスター起業家とのネットワークを通じた老練な政治家の高度な取引の物語を、向こう見ずな若者の既得権益打破の物語にむりやり押し込めようとして、ちぐはぐになっているからなのではないかと思う。
『Spotify』の壁であり、阻害してくるメジャー・レーベルとの話がまさにそれで、既得権益と悪者にするにはあまりに複雑であり、どっちの言い分も正しいので今いち「倒すべき敵だ!」と感情移入できない・・・。その上、壁の突破の仕方もテクノロジーやゲームチェンジで組み伏せたわけではなく、株を渡したり売上の分配を多く支払ったりしてという打開策である。もちろんそれが悪いとかいいたいわけではなくて、むしろそんな高度な政治をしているんならそこを真正面から描いてくれたらめっちゃ面白い本になるのに、あくまでテンプレ英雄譚であろうとするから、大事なところがこぼれ落ちてしまい、成功の理由が取って付け加えたような感じになってしまっている。非常に残念。
一方で、現実の方の話が興味深いのは、このレコード会社との複雑な「仲間にする契約」の成果で、楽曲が揃い『Spotify』は大成功を掴んだわけだけども、それが『Spotify』のパーパスというか存在を正当化できる唯一の創出価値の足を引っ張っていそうだという事。それは「100万人のクリエイターが同プラットフォームで生計を立てられるようにする」こと。
ミッションステートメントでも
Our mission is to unlock the potential of human creativity—by giving a million creative artists the opportunity to live off their art and billions of fans the opportunity to enjoy and be inspired by it.
と掲げられている。しかし現実は、こちら。
アーティストへの還元が低すぎるとのバッシングの声がどんどん大きくなってきている。
でもそれに大してダニエル・エクは、「めっちゃ還元してるわ!」と逆に怒っているわけだけども、このあまりに噛み合ってない議論って、おそらくアーティストへの還元がとても悪い・後発のAPPLEの方が全然良いという現実と、『Spotify』は前述の契約に沿って大きなお金をレーベルに還元しているわけで、レーベルがそのさきのアーティストにどう還元しているかは知らないよという事なのかなと、この本を読んで邪推している。
もし本当にそれが真因なら、その複雑だったり守秘義務などが沢山あるレコード会社との契約については話せないなかで、胴元焼け太りではないことを証明しなくてはいけないという、なかなかストレスフルな状態にいることになる。
これこそ、とってもドラマチックな気がするし、めっちゃめっちゃ勉強になる話でもあるので、こっちを本にしてほしかったな。。。知らんけど。
シリコンバレーの巨人という壁
もう1つある大きなSpotifyに立ちはだかった、倒すべき壁。
それはシリコンバレーの巨人Apple。
デジタルミュージックの領域で、常に一歩先をすすみ、市場をリードし寡占していたApple。しかしこのSpotifyが進めていた「無料で聴き放題のストリーミングサービス」は、明らかに未来の標準であり、Appleのデジタルミュージックの牙城を切り崩すゲームチェンジなサービスであったわけで、Appleからの攻撃や妨害はものすごかったことが、この本を通じて理解できた。
ここでやっと、倒すべき敵がみつかり、テンプレ英雄譚のカタルシスが得られそう!!と読んでて感情移入しやすくなってきた訳だけども、これもまた冷静に考えてみると、現代のヒーローの総本山であるAppleでありジョブスが、既得権益にしがみつく打ち破るべき敵として登場してきたわけで、それはダース・ベイダーが父親だったと分かる位の衝撃。逆だけど。やっぱこころに染み付いた英雄を、急に敵と思って感情移入しきれませんでした。
この点も、読んでて世界が複雑化しているなあと実感するに至った1つの理由です。あまりにサイクルが早くなりすぎていて、絶対的なヒーローだったはずの人や組織が10年そこらで守旧派の既得権益を貪る敵として出てくる様な、あまりに流動的な世界になっているんだと考えされられてしまった。
実際に、Appleが既得権益側として如何にSpotifyを攻撃や妨害をしてきたのかというエピソードとして書かれたあった内容は、
①デジタルミュージックの市場を支配していたAppleは、ストリーミングで音楽を聴くようになる未来、無料で音楽を聞ける世界では、レコード会社やミュージシャンの利益が減ってしまい、ディストピアになると関係各所を啓蒙した
②といいつつも、ストリーミングで音楽が来る未来は必ず来るし放置するとAppleの将来が厳しい事も把握し、無料で音楽聴き放題の競合サービスを開発したりM&Aしたりする
③その上で、Spotifyの競争力を削ぐ目的で、APPSTOREへの掲載承認をなかなかしない、した後もSpotifyだけを狙い撃ちにしたような規約改訂やアップデート指示を連発した
という内容だった。①と②に関してはまあ競争ってそんなもんだろうという話でしかないが、③に関してはたしかにかなり問題だと感じる。私企業の運営とはいえその特性上・また実際上、公共インフラに近く公平性が求められるはずのAPPSTOREを、自社サービスの反映の為に、競合を攻撃したり妨害する手段として利用しているのであれば、地位の乱用であり、市場原理主義者の方々が唱える万能薬「競争によるイノベーション」をむしろ阻害する行為である。
この問題は、今大きな騒動になっている、Epic Games vs Apple の闘いも根源的に同じ問題である。そして、これまでの苦々しい思いを発露するかのごとく、SpotifyはEpic Games と共闘する模様。
アップルがEpic Gamesの人気ゲームアプリFortnite(フォートナイト)をApp Storeから削除したことで両社が全面対決に至った件につき、やはりアップルと手数料支払をめぐり長きにわたる因縁あるSpotifyがEpicを支持する声明を発表しました。
APPSTOREの強制的な課金を嫌がって、利用規約を無視して独自課金システムを開始したことから始まった「フォートナイトの乱」は、おそらくそれだけが問題であれば、Appleの反論声明でもある「ルールを破ったらルール通り罰則。あくまで公平に運用しているだけ」という正論で終了する話なのだけども、そもそも公平に運用してないだろ!という遺恨のマグマが吹き出てきているのが今の騒動の根源なきがする。
1つは、米大手IT企業による市場独占への懸念に対して、かつてないほど世間の注目が集まっていること。20年7月下旬には、米議会下院の司法委員会が、AppleやGoogle、それに米Amazon.comや米Facebookを加えた米大手IT4社のCEOを呼び、反トラスト法(独占禁止法)をめぐる公聴会を開催した。質問する議員とCEOらの応酬は米メディアだけでなく、世界中の報道機関で報じられた。そのため、アプリ課金の手数料に対して異議を申し立てるには、「大義名分」を掲げやすく、現状の条件変更を要求するのによいタイミングだと言える。
この「フォートナイトの乱」では、ジョージ・オーウェルの小説「1984」を元にしたビッグ・ブラザー(IBM)の支配からの解放される為の戦いに挑んでいくというAppleの伝説的なCMを皮肉り、ビッグ・ブラザー(Apple)の支配から解放されるための戦いに自分たちは挑んでいくというパロディー動画をEpic Gamesが公開し、話題を呼んだわけですが、あの英雄譚の英雄側だったAppleが、英雄譚の敵側として語られるようになった象徴的な話だなと強く感じ、なんか悲しくなった。
もう時代の流れは早すぎるし、複雑化しすぎている・・・。
どんどん複雑化する世界を語る為に求められる新しい英雄譚は、小さな物語かもしれない。
ジャイアント・キリングやゲームチェンジが起こるのが、これまでは1世代もしくは数世代に1回だったから成立していたと思われる、英雄譚のテンプレ。それによってカタルシスが得られ、そして社会を理解した気になれたこれらの物語では、もはやゲームチェンジが次々に起こる現代を意味有る形で描けないのではないか。「若者が知恵と情熱で、既得権益をぶっ壊す!周囲の揶揄は気にしない!」テンプレでは、単純でなくなって来ているゲームチェンジの戦いの真髄にふれることは出来ないのではないか。『SPOTIFY』を読んだ今、そんな気分になっている。
それは、もしかしたら、起業家界隈でめちゃくちゃ頻繁に飛び交う「世界を変える!」とか「〇〇の民主化!」みたいな威勢はいいが中身のない言葉に感じる強烈な違和感と同根なのかもしれない。一部のスタートアップ界隈の人々は、このワードを躊躇なく使用し、英雄譚のスタート地点に今立っている事を宣言している。だけれども、スティーブ・ジョブズが成し遂げ、そして体現したこれらの言葉を、果たして今何も考えずに使えるものなのかといつも思う。特に、その領域に愛着はないが(まだデジタルトランスフォーメーションが進んでいない)美味しい業界であると捉えたスタートアップ界隈の人が乗り込む時によく唱えられる「〇〇の民主化」とか、いやいやどう今が非民主的な状態なわけ?って毎回思うわけですよ。それは「大衆化」と「民主化」を混合してないか?とか。「世界を変える」ってのは何をどう変えたいのか、それは自分の都合の為に変えたいのか、公共善の為に変えたいのかとか。前述のAPPLEが今対面している騒動の通り、英雄譚を進んできたGAFAMの今を考えると、無邪気に前人達が敷いた物語をフォローしているだけでは、これからの時代を作る為に必要な「そもそも」な問いと向き合えない。
そんななかふと思い出した本がこちら。
アレックス・バナヤン著「サードドア」
何者でもない普通の大学生が、同時代に生きている「英雄」にインタビューしようと思って悪戦苦闘する中で、人生の気づきを得たというお話だ。
なんか「ザ・自己啓発本」ぽくてスルーしていたんだけど、あまりに評判が良いから読んでみたら、とっても面白かった。
そこにあるのは、「世界を変える」大きな話ではなく、「著名人にどうしたらインタビューできるか」という話だけ。スケールがあまりにちっちゃい話ではないだろうか。なのになんでこんなに学びがあるんだろう・・・。なんでこんなに考えさせられるのだろう。
これまでの英雄譚の物語の主語や対象は大きかった。世界を変えるほどに。そしてそれに続く新しい英雄譚もその大きさを再現しなくてはいけないという前提からこのテンプレ英雄譚の再生産が行われているのだと思う。もしくは、都市に人を集めて「集中」「スピード」「スケール」をビジネスの動力としていたこれまでの世界に合わせて、スピーディーに次々とテンプレ英雄譚の新著を出し、書店にむりやりでもタワーをつくり売りぬくスキームを回し続けられるような出版戦略が是とされ、世代を超えて受け継がれる文化を作ろうというような書籍文化よりもビジネスとしての書籍が優位性を持ってしまっていたのかもしれない。
しかし、都市に人を集めて「集中」「スピード」「スケール」をビジネスの動力としていたこれまでの世界から、きっとウィズ・コロナの世界ではルールが変わる。「地方」「スロー」「分散」というサスティナブルな社会に移っていく中では、主語が小さくなっていくと思われる。大きくてメッシュの粗いレディーメイドな物語よりも、小さくてもメッシュが細かいオリジナルな物語の方が得られるものが大きそうだ。いや、むしろこれまでもずっとそうだったはずだ。わかりやすさが求められすぎてきた昨今、もういちどわからないことと向き合うことに楽しみを見出すことがこれからの更に不透明な時代を生きる我々に必要なこと。そしてきっとそれは昔ながらの本から始まるんじゃないかな。