お盆に帰省する意味がなくなる時代へ
若い人に「お盆」とはなんのためにあるの?と質問すると、もはや「夏休みの中の夏休み」とか言い出す始末で、とても先祖のお墓参りをするとか、先祖の霊を供養するものであるという認識はないようだ。
そもそも、「盆」ってどういう意味?という話も若者に限らず、高齢者でも知らない人は多い、意味はなく、単なる当て字です。正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と書くわけですが、これはサンスクリット語の「ウラバンナ」に漢字を当てはめただけです。
しかも「ウラバンナ」の意味は「逆さ吊り」。地獄に堕ちた母親が逆さ吊りの刑で苦しんでいるというのを救うために、僧侶を招いて供物をすれば母親は救われるということに由来するらしいのですが(仏教ビジネスか?)、そもそも地獄に堕ちる母親ってなんだよ、母親が地獄で逆さ吊りになっている姿を一体誰が見たいんだよ、といろいろツッコミどころはあるんですが、まあ仏教の中の説話のひとつということで。
そうした風習が仏教の伝来とともに日本にやってきて、元々死者の霊に対する畏敬の念のあった日本人が、祭礼的行事のひとつとして「お盆には先祖をお迎えして慰霊しましょう」という形になった。
お盆の迎え火や送り火は、先祖の霊が道に迷わないようにという意味でやるもので、京都の大文字焼きもそのひとつ。盆踊りも先祖の霊を招いて、そのもてなしのひとつとしてやったもの。
現代の盆踊りは、かける曲もロックだったり、J-POPだったりする。ボンジョビをかけて「盆ジョビ」と言ったりするらしいが、ご本人も反応しているw
この曲「Livin' on a Prayer」は1986年リリースの曲で、当時20代でこれを聞いてディスコで踊っていた者がもう還暦近くになっていたりするので、盆踊り側の責任者レベルにとっても自分の青春の曲だろう。
さて、令和の若者は「そもそもお盆に先祖の霊を慰霊したり、お墓参りをする」ものたすら知らないわけだが、そのうち「墓参りのためにお盆に帰省する」という行動自体もなくなるかもしれない。
お墓選びの実態調査(2023年)によれば、現在お墓を購入済みの方も検討中の方も、その7割が、樹木葬だったり永代供養墓などを検討していて、いわゆる従来の石のお墓みたいなものでやろうとしているのはたったの3割らしい。
それもそうだろう。これだけ未婚が増えて、もはや末代がいない人が増えてくれば、墓だけあっても何の意味もないわけで。
こうなってくると、そもそも「お墓参り」という行動そのものが消滅するのである。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC1583K0V10C23A3000000/
こういうことに対して、墓ビジネス業者が「墓はなくならない」とかクソリプ送ってくるのだが、大事なのは別に墓ではない。墓に先祖が眠っているのではなく、ひとりひとりの心の中に存在する「亡くなった方への思い」を盆などのきっかけを通じて思い起こすことが重要なのである。
むしろ「盆踊り」だけが「慰霊踊り」としての意味を残しつつ、地方地方の文化的観光エンタメイベントとして残っていくのかもしれない。そのうちインバウンドを通じて海外にもフェスとして波及するかもしれない。
すでに郡上おどりはそういう傾向になっている。いつか行きたいものです。
郡上八幡といえば、随分前に、吉田川の川飛び込みを見に行ったことがある(実はやろうと思ったか、意外に高くてビビッてやめた)。その後死亡事故などがあって規制されてしまったようだが、今はもうまったくやっていないのだろうか?まあ、安全管理の面からみて行政としてそうせざるを得ないとは思うが、観光客は禁止にしてもせめて地元の人たちは続けてほしいとも思ったりする。
ちなみに、地方から出てきた独身者は、お盆で帰省すると親や親せき一同から「まだ結婚しないのか・早く孫の顔を見せてやれ」的攻勢を受けるので嫌だという話を聞くが、まだ30代まではそう言ってくれるが、40歳も過ぎると気を使ってその件には誰も触れてこなくなるので大丈夫。
むしろ、逆に帰省してきた都会の人たちと地元民とを盆踊りの機会を通じてマッチングさせるシステムがあった方が、地方の婚活支援になると思うのだが。
でも、そういう自治体横断的なことやらないだろうなあ。縄張り意識強くて。地方の行政は自分のところの住民同士をくっつけることしか考えないからダメなんですよ。