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守ることは、自力本願になること

今回も日経COMEMOのテーマ企画について考えてみたいと思います。いわく「どう守る私たちの仕事」

・・・と、いきなりここで手を止めてしまいました。

仕事とは「守るもの」なのでしょうか?

「仕事を守る」とさらりと聞くと、法や組合、行政などの力により、一旦生じた業務を庇護する、という様なニュアンスを感じます。

また「守る」という概念には、「一度獲得した権利・権益を維持・確保する」「安定を維持する」というニュアンスが含まれている様に思われます。

行動経済学で指摘されている様に、人間には現状維持バイアスという、合理性に関わらず現状を続けたくなる性質があります。そして、「守る」という考え方、態度は人間のこの性質に根差しているので、直感的に納得性が高く、「家庭」の様に「生活の手段・基盤」と言った意味の概念と組み合わされると、重要かつ根源的な命題として疑われにくいのではないか、と思われます。

そして「仕事」はそうした概念の一つですので、「仕事を守る」という5文字は、当然の正しい命題と扱われることが多いのではないか、と思います。

ここまで論じた「仕事を守る」を「一度発生した業務を庇護する「守る」」としましょう。

一方、世の中にあまたある仕事を取り巻く顧客やマーケットなどは日々変化しています。そして、一般的に語られる「仕事」に関する基本的な考え方は、「その仕事のコアにある価値や独自性は大事にしながら、環境に対応して進化する」と言ったところだと思います。

このうち、後段の進化は、打ち手や戦術を変えて周囲へのフィットを確保したり、環境変化を機会と捉えて業容の拡大を目論んだりと言う、つまりは「変わること」です。

前段の価値や独自性を大事にする、も、「伝統を守る」様なニュアンスから一見「維持」することに重きをおいた様に聴こえもしますが、それは同じことをやり続けるということでは全くありません。例えば自動車メーカーは、移動という価値、快適でプライバシーが守られた運転経験といった価値を持ち続けるために、その意味を速さ、静粛性、乗員人数、燃費、デザインなど、時代の要請に基づいて変化させ続けています。

こうしてみると「仕事」とは、それそのものに、変化・進化と言った要素が内包されています。これを疎かにすると段々時代に取り残されて負けゲームになります。

これで行くと「仕事」を「守る」とは、「進化をやめないことを、安定的に続ける」という意味というになります。何やら禅問答の様ですね。これを「禅問答の「守る」」とします。

さて。

人や組織は庇護下にあると、進化する必要性や動機が弱まります。ですので「一度発生した業務を庇護する」方は、禅問答的な意味のそれとほぼ逆の意味であり、同じ一つの命題から発生する、この相矛盾し、対立する感じが私が手を止めてしまった理由です。

庇護により進化が止まった仕事は、庇護が終わった時に時代から取り残されます。その時に周りが進化していれば、追いつくことは難しいでしょう。ですので、私は本質的な意味で「仕事を守る」と言うのは禅問答的な方なのではないか、と思います。

禅問答的な「守る」について。進化をやめない為には、仕事に携わる一人一人がアンテナを持って変化を察知しなければなりません。そして察知したシグナルに対してどの様な打ち手を取るか考えないと具体的な進化のサイクルを生み出すことができません。

換言すれば、能動的な観察、ヒントの獲得、対応の立案と言った、他力本願ならぬ「自力本願」な仕事への取り組み方が進化への必要条件なのではないか、と言えるのではないでしょうか。

今回は「仕事を守る」と言うお題から出発し、仕事を守るのは自分自身であり、その要諦は「自力本願」と言う仕事の作法である、と言う結論に至りました。

読者の皆さんは、どの様に考えらえるでしょうか?





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