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米国インフレ論争~イエレン vs. サマーズ~

サマーズ教授が一石を投じたインフレ論争
ワクチン接種の進捗と新規感染者数のピークアウトが鮮明になる中、米国では拡張財政路線について論争が起きています。ワクチン供給に四苦八苦している我が国の状況を見ると大差を感じてしまいます。現在、米国では「アフターコロナが視野に入り始めている中、現行の経済政策はインフレを招くのか否か」について議論が交錯しており、有力な経済学者や閣僚がそれぞれのポジションから様々な主張を放ち、様々な報道が見られています:

こうした動き自体、アフターコロナが近づいていることを予感させる前向きな兆候と言えるものでしょう。しかし、「どちらかが正しいのか」を巡ってしばらく賑やかな議論が展開されそうであり、各種資産価格に対しても影響を持つ可能性があります。論争の火付け役はサマーズ・ハーバード大学教授です。サマーズ教授は米ワシントンポスト紙への寄稿で「通常のリセッション(景気後退)のレベルを超え、第2次世界大戦時のレベルに近い規模のマクロ経済対策は、過去一世代に経験することがなかったようなインフレ圧力を引き起こす可能性がある」、「リセッションを招かずに急激なインフレを抑制することはこれまでよりさらに困難ではないかと心配している」などと警鐘を鳴らしました。「長期経済停滞論(セキュラー・スタグネーション)」で知られる同氏が、経済対策規模の過剰さを指摘したことは直感的に意外感があり、世間の耳目が一気に集まりました。また、サマーズ教授と言えばクリントン政権では財務長官、オバマ政権では国家経済会議(NEC)委員長を歴任した民主党の経済政策立案における重鎮中の重鎮です。ゆえに現政権への批判的な目線が注目を集めた部分もありそうです。

もちろん、サマーズ教授も財政出動規模に関し「小さ過ぎるリスク」は「大き過ぎるリスク」よりも重大だという点でバイデン政権にある程度の理解を示しており、拡張財政路線を止めろという立場にあるわけではありません。しかし、無限に続くかのように思われてきた財政出動に対して、サマーズ教授のような大物から一石が投じられた意味は大きいでしょう。確かに、ブレイクイーブンインフレ率のような市場ベースで見ても、ミシガン大学消費者マインドなどの調査ベースで見ても、米国のインフレ期待は腰折れするどころか、上昇に転じています:

実体経済の悲惨な状況に関し異論の余地はないが、「にもかかわらず、インフレ期待が落ちてこない」という「ねじれ」を前に「悪いインフレ」に構える胸中は理解できます。サマーズ教授のほかにも「拡張財政は必要だが、もう形振り構わない支出は止めるべき」という論調は方々から出始めています。例えば手厚さで知られる失業保険の上乗せ額については漸減案が指摘され、新たな経済対策に含まれる予定の現金給付(1400ドル)の受給資格も年間所得(現行案は7.5万ドル以下の個人および15万ドル以下の世帯)の制限をより厳格化すべきとの声が出ているようです。

止まらない長期失業者割合の上昇傾向
 片や、上述したようなサマーズ教授の主張に対抗する論陣は多そうです。その筆頭はイエレン米財務長官でしょう。同長官はサマーズ教授の寄稿を受けて「十分な規模の積極的な追加経済対策パッケージが実行されれば、米国は2022年に完全雇用に復帰し得る」が、「パッケージが不十分であれば、雇用と経済の回復は遅れる恐れがある」と抗弁しています。イエレン財務長官もインフレリスクは一定程度認めてはいますが、「そうなれば対応できる政策手段がある」と述べ、むしろ対策を出し渋れば「失業率が4%(≒完全雇用)まで下がるのは2025年になる」と懸念を示しています。先般のG7でも声高に財政出動の必要性を訴えかけています:

イエレン財務長官が現役の政権幹部であることを思えば、財政政策の擁護は当然ですが、筆者も同じ基本認識です。とりわけ、FRB議長時代にイエレン財務長官が重視していた長期失業者や労働参加率の動向に照らせば、現状は全く予断を許さないものでしょう。目下失業率ははっきりと低下傾向にありあすが、失業期間が27週以上に達した長期失業者の割合は上昇傾向にあり、1月時点で40%に到達しています。そして、高止まりする長期失業者割合の裏では労働参加率が歴史的な低水準に張り付いたままです。「失業が長期間に及ぶ→就労意欲やスキルの低下→労働市場からの退場→統計上は失業者数が減少し、失業率は低下→労働参加率低下→潜在成長率低下」という展開が明確に懸念されるのが現状です。裁量的なマクロ経済政策の撤収は難しいと考えるのが基本でしょう。労働市場の専門家であるイエレン財務長官であればこそ、尚のこと、そう考えているのではないかと思います。なお、長期失業者に関する議論は以下のnoteで詳しく行っていますので、宜しければ是非ご参照下さい:

論争過熱はアフターコロナが近づいている証拠
もっとも、大戦並みと形容されるGDP比20%規模の財政赤字を永続するのは無理筋であり、政策観の違いを脇に置いたとしても、財政支出の用途に関して議論が出てくるのは健全な動きでしょう。実際のところ、「規模を絞るべき」という論陣にも理はあると思います。

例えば、手厚過ぎる失業保険が就労意欲を低下させ、結果的に長期失業者を生み出してしまっているという指摘は相応に説得力があります。「無理して窮屈な労務環境を強いられる現状を思えば、手当をもらった方がまし」という判断は昨春以降、断続的に耳にしたものです。いきなり上乗せ部分が撤廃されることはないでしょうが、漸減の検討自体は合理的なものと考えられます。「バブルは崩壊するまでバブルとは分からない」とはよく言ったものですが、インフレ高進も事後的にしか分からない部分が大きいという意味で似たよう部分があるので今見られている論争の決着はまだ先の話でしょう。

ただ一つ確実に言えることは、冒頭述べたように、財政出動の規模に議論の余地が生じていること自体、アフターコロナの接近を感じさせるものだということです。「いくら対策しても景気減速を止められない」という新型コロナウイルスに関する底知れぬ恐怖感が少しずつ和らいでいるからこそ、対策の規模を議論できるはずです。今後、財政・金融政策に関してタカ派寄りの論陣は増えることはあっても減ることはないでしょう。一方、最も重要な雇用・賃金関連の計数はバックワードルッキングにしか改善しないでしょうから、ハト派の論陣も安易に譲れない状況は続くことが予想されます。

しかし、実体経済の方向感が改善で見えている以上、少しずつではあるが、タカ派の論陣に与するような雰囲気が強まっていく公算は大きいと考えられます。とすれば、米10年金利を筆頭とする市中金利や、それと相関が高いドル相場については上昇方向で構えておくのが無難ではないかと筆者は思っております。

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