日英が直面する資本逃避~新NISAと英ISA~
今週配信した実質賃金にまつわる考察(前編)は凄く反応が強く、勉強になるコメントも沢山頂いており、書いて良かったと思います(後編は来週になると思います)。やはり実質賃金の動向は政治がそれを繰り返し言及していることもあって国民的関心事になっていると感じます。
既にいくつかの取材依頼も頂いております:
似て非なるISAと新NISAの悩み
さて、今回は日経COMEMO用のコラムとなります。一昨日、日経新聞に英国ISAに関する記事が出ており、非常に興味深い内容でした:
日本の少額投資非課税制度(NISA)の原形(ISA)を抱える英国において英国株が敬遠され、期待成長率の高さを理由に米国株など国外資産への資本逃避が起きている状況が報じられています。新NISA導入に伴い米国株投資が円安を焚きつけていると言われる日本も類似の悩みを抱えており、「貯蓄から投資」は自国経済の成長とセットで完結させなければ、必然的に資本逃避を招くという実情がよく分かります。
この点、今年3月、当時のスナク政権(保守党)は状況を打開する観点からISA改革案の一環として、現行の年間2万ポンドの非課税枠に5000ポンドを上乗せし、その上乗せ分は英国企業に限定するという案(以下スナク案)を提示していました:
冒頭の記事中では株式型ISAにおける英国株への投資比率は約30%、それ以外の株式は約40%に及んでいるとの試算も紹介されています。こうした状況に対処するためのスナク案だったわけですが、7月の総選挙を経て誕生したスターマー政権(労働党)は特定資産への誘導はリスク分散の観点から支持できないと難色を示しており、実現が危ぶまれているようです。
結論から言えば、多様な資産への分散投資がリスク抑制に寄与するのは正論であり、特定資産に配慮するような政策誘導は不健全です。筆者も今年5月、新NISAを通じた「家計の円売り」が囃し立てられる中、国内優先枠を設けてはどうかという案を提示しましたが、同じ観点から不適切であるという声は相応に見られました:
家計部門の資産形成の在り方に対し、政府部門が介入することについてアレルギーを覚えるのは当然だと思います。そもそも企業に魅力があれば資金は集まるわけですから、人工的に資金源を創出して株価の底上げを図ろうとするのは愚行…という評価でも仕方ないと思います。
しかし、英国ISAと新NISAの抱えている悩みは、起きている現象は資本逃避で共通していても、その根っこにある問題意識は似て非なるものであることも知っておく必要があると思います。
日本と英国では問題意識が異なる
英国のISAに国内優先枠の議論が出ている背景は「選んでもらえない英国株に手心を加える」という意味で、国内企業に対する純粋な株価押し上げを企図しているように見えます。
ちなみに英国では年金改革の一環として、資産運用先を国内に誘導させるような案も議論されており、政府介入により国内株価を下支えることを半ば隠していません:
「国内株価の低迷」を打破するために年金や家計のニューマネーを無理やり向かわせる試みは不健全である上、恐らく持続可能性には乏しいでしょう。英国ISAに関するスナク案に疑義が呈されている状況は理解できる。
これに対し、日本で新NISAにおける国内優先枠を検討するとしたら、その問題意識は「国内株価の低迷」ではなく「円安の制御」に置かれるでしょう。これは大きな違いです。株価下落はもちろん抑制したい相場現象ですが、制御が難しい自国通貨安の方が間違いなく国民生活に直結します。筆者が新NISAにおける国内優先枠を提案した際、反対の声と同じかそれ以上に賛成の声も頂きました。それは円安に対する危機感が根底にあったからだと推測しています。英ポンドも決してパフォーマンスが優れている通貨ではありませんが、四半世紀で購買力が半分になった円より遥かにマシと言えます:
「悪い円安」というフレーズが注目され、それに対して通貨・金融政策が対抗策を講じてきたのが近年の日本の情勢です。こうした中、資産運用立国という旗印があるとはいえ、円売りを焚きつけるような政策が別路線で走っている以上、政策間の整合性について今少し建設的な議論はあっても良いように感じます。「絶対に国内優先枠が必要」と言いたいわけではなく、現在執行されている政策間で矛盾があるのは資源の無駄遣いになりかねないので勿体ない、という話です。
現状、日本で争点となっているのは「日本株に資金が向かわない」ということではなく、「自国通貨安が慢性化している」というより大きなテーマです。
「円安の制御」vs.「国際分散投資の促進」
言い換えれば、「円安の制御」か「国際分散投資の促進」か、いずれの問題意識に重きを置くのかという基本方針の在り方が問われているわけです。もし後者であれば「特定資産に配慮するような政策誘導は不健全」という理由で国内優先枠の案を拒絶するのが真っ当な判断になります。そうではなく「円安の制御」が優先課題であるならば、国際分散投資に水を差してでもやるべきことはあるでしょう。極論ですが、1ドルが180円や200円になっても「国際分散投資の促進」が大事と言い続けられるだろうかという視点があっても良いと思います。その水準になれば、今は反対でも翻意する向きはあるかもしれないからです。逆に、それでも「国際分散投資の促進」が重要である、という立場もあるでしょう。
紙幅の都合上、どちらが正しいという結論はここでは控えますが、どのような道を取るにしてもそれを決めるのは国民に選ばれた政府になります。そもそも今年の円安と新NISAにまつわる円売りの因果関係について本当のところは誰にも分からないので、そこまで大袈裟に考えなくても良いという考え方もあるかもしれません。ただし、日本では海外の事例が無批判に正義として持ち込まれるケースがままありますので、英国のISAで展開されている改革議論がそのまま日本に当てはめられるわけではないことは留意したいと思っています。