「告白は男からするのが当たり前」の嘘八百【コラム09】
男なんてものは、もともと告白することすらできない生き物です。
いつの時代も、どこの国でも。
告白するのは男から。
世間では、これがいかにも当然のことのように思われていますが、自分から告白できる男は3割以下しかいません。
2015年に内閣府が日本・フランス・スウェーデン・イギリスの4か国を対象に実施した「少子化社会に関する国際意識調査報告書」に興味深いデータがあります。恋愛に関して「自分から積極的にアプローチする」か「相手からアプローチがあれば考える」かの恋愛に対する「能動/受動」意識を答える設問です。
© 荒川和久
結果を見ると、日本男性は、能動的がたったの25.9%、受動的が29.6%と受け身派男性の方が多い。日本女性は半分近くの45%が受け身で、能動的なのは1割強です。
以前こちらの記事で、18-34歳で彼女いる率は、30年前から3割以下というデータを提示しました。つまり、自分から告白できる能動的な3割の男だけが恋愛関係を構築できているわけで、見事に符号します。
https://comemo.io/entries/5975
一方、15歳以上の男性全体の有配偶率は約6割。
ということは、結婚できている男のうち半分は、自分の力で結婚しているわけじゃないのです。お見合いや職場での出会いなど社会的お膳立てシステムがあったからこそ結婚だきたといえます。私が主宰するラボの調査でも、既婚者の7割は付き合い始めのきっかけにおいて「自分から告白」という体裁を取らなかった男たちでした(プロポーズとは別です)。
すべて数字のつじつまがあっています。
先ほどの内閣府のデータでは、もうひとつ驚くべき内容があります。フランスの男性もイギリスの男性も能動的な男性はたった22%程度しかいないということです。能動と受動の差分を見ると、男性ではフランスを除いて日本もスウェーデンもイギリスも全員が受け身です。日本男性だけが受け身というわけではないのです。
「アプローチは男がすべき」「告白は男がすべき」という概念は思い込みに過ぎません。それは、たぶん古代よりいつも存在した3割の肉食系男性の理屈でしかなくて、7割いる圧倒的マジョリティである受け身の男性には関係ない話です。
ちなみに、現代の日本において「男から告白するのが当然」だと思われるようになったきっかけとはなんでしょうか?
ひとつの要因としてあげられるのが、1987年に放送を開始した「ねるとん紅鯨団」という番組です。お笑いコンビ「とんねるず」が司会を務め、人気を博しました。男女カップリングパーティーのことを指す「ねるとんパーティー」の語源になったほどです。
この番組では、男女が集団でお見合いを行い、最後に、男が女の前に手を差し出して「よろしくお願いします」と頭を下げて告白するのが定番でした。この方式は、30年たった今でも婚活パーティーで採用されています。
これ以前の恋愛バラエティにおける告白の形式を調べてみると、「プロポーズ大作戦」にしても「パンチDEデート」にしても、男女が同時に告白する形式でしたので、この「ねるとん」方式が、付き合う前に「男から女に告白する」という形式を世の中に広めた1つのきっかけと言えそうです。
しかし、実は驚くべきことに、「男から告白すべき」という考え方のルーツは8世紀初頭に記されたとされる『古事記』の中にもありました。
拙著「超ソロ社会」でも紹介している『古事記』の逸話を下記引用します。
人が住める国を生めという指令をうけたイザナギノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)でしたが、どうしていいかわかりませんでした。ある日、イザナミが自分の身体について話し出しました。
「吾が身は成り成りて、成り合わぬところ一処あり(私の身体は出来上がってきましたが、一か所だけできあがっていないところがあります)」
それを受けて、イザナギも答えます。
「吾が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり(僕の身体もできあがっているが、一か所だけできすぎたところがあるんだ)」
要するに、イザナミは身体の一部が凹んでいて、逆にイザナギは身体の一部が出っ張っている。これは、男女の身体の違いを表しています。そして、この互いの足りないところと余った部分を合体(セックスのこと)させれば国を生めるんじゃないか、という話になったわけです。本能的な行為の話を非常にロジカルに説明しているところが面白いと思います。
とはいえ、動物的にただ交わるのでは品がないと、その前に結婚式をすることになりました。結婚式といっても、シンプルなものです。神聖な柱の前に2人で背を合わせて立ち、柱の周りをイザナギは左から、イザナミは右から周り、出会ったところで告白をしようと決めました。しかし、いざとなると、イザナギは緊張からなのか、照れなのか言葉が出ません。じれたイザナミは、代わりに先に声を発してしまいます。
「あなにやし、えをとこを(まあ、なんていい男だこと)」
そう言われて、イザナギも返します。
「あなにやし、えをとめを(おお、なんていい女なんだ)」
これが日本最初の告白であり、プロポーズの言葉で、能動的に告白をしたのは女性の方なんです。
晴れて結婚した2人は、無事合体しました。ところが、そうして生まれた子どもはヒルのような子どもでした。再度挑戦するも今度は泡のような子どもが生まれてしまいます。要するに、未熟児だったわけです。
どうしてちゃんとした子どもが生まれないのか?困り果てたイザナギとイザナミは、天界の神様に相談しに行きます。その時の神様の助言を現代風に言うとこうなります。
「もしかして、ナミちゃんのほうから告白したんじゃね?それじゃダメだよ。告白は男のナギくんからちゃんと言わなきゃ」
その後、二人は再度男のイザナギの方から声をかける告白シーンを律儀にやり直しました。すると今度は、無事にちゃんとした子どもが生まれます。それが最初の国土である今の淡路島になった…ということらしいのです。
つまり『古事記』の時代から、「日本男児は自分から告白ができなかった」わけです。実は、これはわざわざ「告白は男がすべき」と『古事記』に明記しなければいけないくらい、古代より女性の方が積極的だったという証拠かもしれません。だからこそ、「女から告白するとよいことにならない」という警告の形にもなっているのでしょう。
自然のままにしていたら、男女マッチングの主導権は大体女性側にあるんです。
そういう意味では「愛され女子」とかは不自然。結婚したい女性(非ソロ女)は、男性からアプローチを待っていては進展しないかもしれませんよ。だって相手の男も「待ちの体制」ですから、「にらみ合い」が続くだけですよ。
※勘違いされている方が非常に多いので、あえて書きますが、僕は「独身研究家」であって「独身推奨家」ではありません。結婚も否定しないし、独身を推奨もしません。ただ、未婚化や少子化、人口減少を騒ぎ立てる前に、その要因となる事実を正確に理解していただきたい。そのために記事を書いています。