「人生」も変えてしまう一本の映画のチカラ
今回から日経COMEMOさんのキーオピニオンリーダーとして選出していただき、「偏愛物語」をCOMEMOさんと連携させてもらうことになりました^^
映画は人を恐竜学者にもするし、弁護士にもする
先日、新種の恐竜が発見されたと知って、思わずわくわくしてしまった。しかも、ここ日本は兵庫県で。
近年、日本では新種の恐竜の化石が次々に発掘され、恐竜学の分野で世界をリードしている。恐竜研究が躍進した理由について、恐竜研究者の方々がある映画の影響をあげている。
そう、『ジュラシック・パーク』(1993年)だ。スティーヴン・スピルバーグ監督によって表現された迫力満点の恐竜たちは、全世界に恐竜ブームを巻き起こした。そして、日本では同時期に新種の恐竜が発掘されたこともあって、たくさんの少年少女たちが恐竜の姿に夢を馳せ、恐竜学者を志すようになったそうだ。
実は、ぼくの身近にも、映画に魅了されて人生が変わった人物がいる。われわれオシロ株式会社の顧問弁護士を務める、代官山綜合法律事務所の森一生さんだ。森さんは大学時代に弁護士の映画を観て感激し、そこからなんと他大学の法学部に編入学し、ついには弁護士になってしまったという。
このような話を見聞きして、改めて映画のチカラを実感する。一本の映画がきっかけとなり、研究分野が発展したり、社会に貢献する仕事に就いたという例は、実は想像以上にあるんじゃないか。それだけでなく、映画を観たことでどん底から救われた、勇気を奮い立たされた、教訓を得たなどの体験は誰しもがしていることだと思う。
ぼくも、その一人だ。オシロを立ち上げるはるか昔。高校を卒業できず落ち込んでいた当時、一時期引き籠もり状態になっていた。その時、ぼくを救ったのは映画だった。どん底に感じていたが、一日何本もの映画にイマジネーションを得て、ぼくは生きる未来を見出した。その後、美大に進みデザインを学ぶことになった。
やがてぼくはアーティストを志し、その後はフリーランスのデザイナーとして活動することになったが、その時期もひとり孤独に創作活動を続けるなかで心に栄養を与えてくれたのも、まさに映画だった。
人類の発展に「イマジネーション」は不可欠だ
ぼくは今オシロという会社で「日本を芸術文化大国にする」というミッションを掲げ、アーティストやクリエイター、ブランドやコンテンツホルダーを支援するコミュニティ専用オウンドプラットフォーム「OSIRO」を開発している。もちろん芸術文化には映画も含まれる。そして、映画は芸術でもあり、文化としての側面があると思っている。
映画は数多くのアーティストやクリエイターが互いのクリエイティビティを持ち寄って創り上げられるものだが、それを長年支えてきた映画館の存在も大きい。
スクリーンに対峙し、2時間ただ映画に没入できる。この贅沢な時間を過ごす文化を提供できるのは間違いなく映画館であり、このような体験があったからこそ、人生を変えるほどの感動が生み出されてきた。
芸術と文化は、文明を育む土壌ともいえる。今から120年以上前に公開されたジョルジュ・メリエス監督のサイレント映画『月世界旅行』(1902年)が公開された当時、人類が月に到達することはまさに夢物語だったことだろう。しかし、それを観て宇宙に夢を馳せた人々がやがて天文学者やロケット研究者となり、それから67年後の1969年、人類はついに月面へと足を踏み入れた。
また、昨年超ロングヒットとなった『THE FIRST SLAM DUNK』(2023年)でも、同じことがいえる。原作である井上雄彦さんの『SLAM DUNK』が発表された当時、現在の日本バスケットボールの盛り上がりを誰が予想できただろうか。こうして今、日本人選手が当たり前のように海外に進出していく勇敢で誇らしい姿は、かつての憧れをはるかに超えている。
人類は、ファンタジーやフィクションの世界観に魅了され、憧れたことで大きな発展を遂げてきた。文明を進化させてきたのは人間のイマジネーションにほかならない。現代においてその役割の大きな部分を占めてきたきたのは、間違いなく映画と映画館だと思う。
2023年の映画の興行収入は前年比4%増の2214億円で、コロナ禍前の収入に回復した。また、最近では推し活の一環として、好きなキャラクターや登場人物を声を出して応援できる「応援上映」も増えてきているという。映画館の復調や新しい鑑賞のあり方が生まれていくのはとてもよいことだ。
そういう意味でも、ぼくは「映画館で映画を観る」という文化を応援したいし、今後も続いていってほしいと願う。業界全体の発展にも、自分たちの強みであるコミュニティのチカラで貢献していきたいと考えている。
映画の倍速視聴は、果たして「タイパ」なのか?
一方で、映画を1.5倍速や2倍速で見て、流れだけ把握し話題についていく見方をする人が増えているというのだ。その要因には現代のコンテンツ量の増加もあり、話題についていくためには「タイパ」を重視しなければならないというのだが......。
タイパ自体を完全に否定したいわけではないし、日常にフォーカスすれば効率的な時間の使い方を考えることもたしかに必要だ。
しかし、ぼくは等倍鑑賞を強くすすめたい。無音や間も含めて深い感動を味わえるからこそ人生が変わる体験になるはずだから。
しかし、タイパを「かけた時間に対する自分自身への定量的/定性的な効果」と考えれば、映画を2時間没頭して鑑賞することで、もしも人生を変えるほどの体験ができるのであれば、それは「効果」が高いといえるのではないだろうか?
例えば、ある映画に感動して、あなたが宇宙飛行士を目指したとする。それが実現すれば、その2時間がもたらした効果は絶大なことになるし、実現しなくともその過程で得た知見は必ず人生の役に立つはずだ。もしも感動した体験を得られなくとも、物語の文脈を読み、その背景を読み取ることで気づきや学びは得られるだろう。まったく教養やインスピレーションを得られない映画など、この世には存在しないからだ。
観る映画の「選び方」にもいえるかもしれない。評価レートが高いからといって、自分の人生が変わるわけではない。逆に、たとえ他人の評価が低い映画だったとしても、たったワンシーンを観ただけで、自分自身のアイデンティティが呼び起こされる瞬間、人生を変えてしまうような心震える体験をすることもあるだろう。超短期的な「話題についていくためのタイパ」ではなく、長期的に「自分自身の人生を豊かにするためのタイパ」と捉えれば、一本の映画にじっくりと向き合うことは、決してパフォーマンスが低いとはいえない。むしろじっくりと向き合った映画の数が多くなればなるほど、その効果は複利的に膨らんでいく。
他人の評価とは関係ない「気づき」や「学び」がある
そういう意味でも、スマホなどの余計なノイズから隔離され、強制的に映画と向き合える場所といえば、やっぱり映画館なのだ。配信でも映画は鑑賞できるが、鑑賞する(=体験する)「場」も大切だと思う。
自分の人生を変えるきっかけになるような体験ができるモノやコト、場所はとても大事だと思っている。そして、自分にとって気づきや学びがあることは、他人の評価とは関係がないものだ。そういう意味では、世間的な評価は得られていないけど個性的な映画を配給しているミニシアターは、とても重要な役割を担っていると思うし、文化として残ってほしい。
そういった次世代へ残すべきカルチャーを守り、発展させていくことも、「日本を芸術文化大国にする」を掲げるオシロの責務であり、それなしにミッションの実現はできないと思っている。
個人的な話になるが、好きな映画のひとつにボブ・ジラルディ監督の『ディナーラッシュ』(2000年)という隠れた名作があり、たまに観たくなるのだが、どうせなら映画館でフィルムで観たいと思うことがある。将来的にオシロで映画館を運営して、コミュニティのメンバーで上映作品を決めながら、前売りチケットが売れれば鑑賞できる。そんな映画館があったら面白いだろうなぁ、なんて妄想していたりもする。
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