進む越境ワーキングは、働く人にとって諸刃の剣となる
コロナ禍の思いがけない副産物のひとつは、ホワイトカラーのリモートワークが一気に定着したことだ。「職住一致」の前提が崩れることは、私たちの働き方、生き方は言うまでもなく、都市の存在意義にまでも、大きな影響を及ぼす。リモートワークの延長線上には、「越境」ワーク—まずは国内で、これまでの「通勤圏」を無視しながら地域をまたいで、更に国境をまたいで―が自然と現れる。
では、越境ワーキングを積極的に追及するひとは、どんなプロフィールを持つだろう?まず、主にバーチャルで仕事が出来ることが必要条件—ゆえに、第一次産業従事や工場勤務は除外される―で、さらに住む場所にこだわりや制約があることが十分条件だろう。例えば、自然に囲まれていたいというこだわり、または老親介護のため実家のそばに住む制約などが考えられる。
文筆業などソロでできる創造的な仕事は、昔からもっとも越境ワーキングに適している。そもそもフリーランス的で、他人と群れる必要がないのだから、明治の文豪が温泉宿に長逗留するイメージで、ノマドな働き方ができるだろう。
しかし、それだけでは越境ワーキング人口はごく限られそうだ。これから越境ワーキングを加速するのは、より広範囲で起こる仕事のバーチャル化だ。例えば、いままで当然のようにオフィスで紙のやり取りが行われていた業務が見直され、オンラインで済むようになるような変化だ。すでに、私の周りでは、よほど特別な場合以外は、リモート会議が基本となっている。
コロナ禍でより多くの仕事がバーチャル完結型に変貌する結果、越境ワーカーが増える。すると、この労働人口を取り込むため、既存や新しい仕事のバーチャル化がより進むという循環型シナリオが考えられるのではないか。
これは、ホワイトカラー職場そのもののバーチャル化を意味する。物理的な本社や事務所を持つ意味が希薄になり、物流拠点や工場だけが残る。
実は、この動きはすでにコロナ前から起こっていた。例えば、私の属する業界で、外資コンサルティング会社はそれぞれ都心の一等地にしゃれたオフィスを構える一方、コンサルティング会社を「卒業」したOG/OBたちが個人ネットワークに属し、プロジェクトをチームで請け負うバーチャル組織も存在する。このホームオフィスの集合と言える後者が、ホワイトカラー職場のバーチャル化を先取りしていたと言えよう。
職場がバーチャル化するとき、会社のインフラは必然的に大きく変わる。ハードなインフラは極力軽くできる一方、ソフトなインフラは課題が山積みだ。
例えば、給与の問題だ。これまでの職住一致システムにおいては、給与は自然と勤務地、よって居住地の物価や住居費を反映していた。では、もし職と住が離れた場合、どう調整するのか?
まず、調整すること自体、同一労働同一賃金の原則に反するという考えができる。一方、「賃金」を生活費に対する相対的なものととらえれば、調整は理に適う。実際、去年夏、フェイスブックは同じ仕事に対して、リモートワーカーの居住地によって報酬に差をつけることを提案し、賛否両論を呼んだ。
さらに、越境ワーカーにとって、二重課税の悩みは避けられない。一定日数以上海外で働けば、日本の会社から支払われる給与に対して、海外でも課税されてしまう問題だ。
また、越境ワーカーが増えるほど、組織のまとまりや文化を保つことがチャレンジになりそうだ。普段の仕事はいかにバーチャルで完結できるとはいえ、人間は社交する生き物。やはり、同じ組織で働くひとどうしが顔を合わせることは、連携を強め、楽しく働くためにも効果があるはずだ。このため、物理的に集まる仕掛けが必要になるだろう。再度コンサルティング業界の例を引けば、年に1-2回全世界のパートナーが集まるパートナー会議がこれにあたる。
このような課題があることを踏まえたうえで、それでも国内・国外の越境ワーキング欲求は増え、それが会社のバーチャル化を後押しする原動力となると考える。職と住の場所を独立させることで人生の自由度が増えることは是であり、より市場価値の高い人材が越境ワーキングを追求することで、課題が解決され、後続に道が開けると考えるからだ。
もちろん、越境ワーキングは働くひとにとって、諸刃の剣だ。ひとに仕事がつけばその「ひと」が越境できる反面、もし誰でもできる仕事ならば、より安い単価を求めて「仕事」が越境してしまうリスクをはらむ。
結局、「私にしかできない」仕事を引き寄せる力を持つことが、越境ワーキング時代を生き抜くための隠れた、しかし本質的な必要条件となる。