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それぞれがそれぞれの役割を果たすことが結果的にみんなを救う

あの日から11年目の今日が来ました。

3.11くらいしか3.11を思い出さない。それは自分も含めて多くの当事者でない人にとってもそうだろう。しかし、だからこそ、3.11くらいは3.11を思いだしておきたい。

あの時起こったことはなんだったのかを、あの時人々がどうしていたのかを、すべて知り尽くすことはできないとしても1年に1回くらいは思い出し、知らなかったことを知ろうとする人間でありたい。

福島テレビが制作した以下の動画がとても心に響いた。多くの人にこの動画はみてもらいたい。

特に印象的だったのは自衛隊の田浦氏と厳罰の吉田所長とのやりとりである。

田浦氏は、当時派遣されていたハイチ共和国から急遽呼び戻されて福島原発の任に就く。自衛隊のほか、警察庁、消防庁、東電、経産省など様々な組織の人間が入り、混乱していたらしい。

政府から「自衛隊がそれぞれの組織を束ね一元管理をせよ」と命令が出され、田浦がその任務を引き受けることになったそうだか、田浦氏がもしそこで「政府からの命令なので私の指示に従ってもらう」などと言っていたらどうなっていただろう。現場の人間でもないよその人間が何言ってやがる、と反感買ったはず。

田浦はそうしなかった。開口一番「皆さんを指揮するつもりは毛頭ございません。私は調整役です」と言い、みんなを安心させるとともにもその一言で外部の人間だった田浦は瞬時に現場の一員になったのだと思う。

そして、一か月たってもまだ対応に追われ、獅子奮迅の働きをするも孤立無援となっていた現場の吉田所長と田浦のやりとりがとてもいい。

田浦は吉田に自分の提案を伝える「ガレキを撤去できる改造戦車、多くの人を乗せることができる改造した装甲車、そしてヘリも準備しました。原発で万が一のことがあれば、皆さんを助けるられようにしております」

田浦をぎょっとして見つめる吉田。助けるということは自分の命も危険にさらすということだ。自らの命も顧みず、原発にいる作業員たちを助けようとする人たちがいることに、驚きを隠せなかった。

田浦は続けた。「不測の事態が起きた時、ホットラインですぐに私に連絡してください。吉田さんから連絡があって来てくれとなったらすぐ行きます。吉田さんから連絡があって大丈夫だと言われたらもちろんそこで終わりです。3つ目が大事で、吉田さんから連絡がなかったら私は見切り発車をします

その言葉に、吉田の目から涙がこぼれ落ちたという。そしてこういった。「みんな他人事なんです。頑張れ頑張れというだけなんです。でも、私たち現場は頑張れの限度を超えているんです。みんな他人事だなと思っていたところ田浦さんたち自衛隊が自分たちのことをここまで考えてくれているのが嬉しい…」

吉田所長は、当面の処理を完遂した後、2年後の2013年7月、食道がんのためこの世を去った。


政治家でもなければ公務員でもない、一民間人である現場の責任者が、あの時一身に重荷を引き受けて、上司だろうと総理大臣だろうとわけのわからない命令や指示はつっぱねて、日本を救ったという事実だけは忘れてはいけない。そして、吉田所長だけではない、あの時現場にいたすべての人たちが、本当に死ぬかもしれないという中でも逃げ出すことなく自分達の役割を果たしたということも。


原発ほどの大きな危機ではないにしろ、あの日、14時46分に駅や商業施設の中で震災にあった人もいると思う。しかし、あれだけの大きな揺れの中で、いわゆる「脱出パニック」的な現象はほとんど見られなかったと思う。「脱出パニック」とは一斉に全員が避難口などに殺到することでかえって将棋倒しなど別の事態を発生させ被害を拡大してしまうことだ。

それも多くは施設にいるスタッフたちが冷静にお客さんを誘導したおかけであろう。

あるショッピングビルでは、地震発生直後にうろたえるお客さんに対してスタッフが即座に「大丈夫です、大丈夫です。このビルは耐震構造です。ガラスから離れてください」と声をあげている。

大丈夫だとまず安心させ、その理由をビルの耐震構造であると説明し、次にどういう行動を客がとればいいのかを全部言っている。素晴らしいことだと思う。その後、館内放送でスタッフ向けに「お客様をA階段に誘導してください」と流れると、誰がどう指示したわけでもないのだろうが、客の導線上にそれぞれの店員が立って、「A階段はこちらです」と客を迷わさせず避難口へ誘導した。

あんな大規模な地震は客だって生まれてはじめての経験だったかもしれないが、それは店員とて同じだろう。避難訓練くらいはうけていたかもしれないが、リアルな非難行動なんて店員さんだって経験あるわけじゃない。

にもかかわらず、店員は誰一人パニックにもならず、冷静でありながら大きな声で全員がお客を無事に外に非難させるという役割を果たした。上司に強制されたからではない。自分たちが自分の今やるべき役割を把握し、瞬時にそれを実行できたのだ。

それぞれがそれぞれの役割を果たしているのを見れば、お客だって「冷静に避難するお客」の役割を果たそうと思う。そういうものなのだ。そこには、年齢とか年収の多寡とか学歴とか今までの知識経験とかそんなものはまったく意味がない。


また、別の事例ではイベント会場での地震にあった際に、司会者の女性が本来揺れが起きている最中の避難はさせないのが常識なのに、天井に多くぶらさがっていた大型のライトの揺れを見て、「ゆっくりと出口の方に歩いてください。コートやバックで頭を守ってください。ライトの下は通らないでください」と誘導した。

それは、ライト落下による別の被害を防ぐための瞬時の判断だ。そこでマニュアル通り「その場にとどまってください」なんて言ったって、誰の目にも天井のライトがヤバいことは視界に入る。それなのに「そこを動くな」なんて言ってしまえば、動き出した誰か一人によってパニックは起きてしまう。

現場にいる人間の現場の肌感覚による危険察知力や回避意識はバカにできない。それを冷静に対処できる人がまずいたからこそ、周りも気安心してそれら従えるというものだ。

普段、頭でっかちな知識ばっかりひけらかして「あれが問題だ、ここが課題だ」とか言ってる奴に限って、そういう現場では何の役にも立たない。「マニュアル通りにやれ」とか言い出すバカはむしろ害悪でしかない。そういうのは、現場の人間の指示に偉そうにたてついて、余計にその場を混乱させるのが関の山だろう。

災害はいつやってくるかわからない。戦争ですら起きないとは限らないとウクライナの件を見て思う。そうした時に備えての心構えや準備はもちろん大事なのだが、一番大事なのは「その場における適応力」なのだと思う。もっといえば「その場で与えられた自分の役割を瞬時に理解して、その役割に真摯に向き合い、それをきちんとこなす力」なのだろう。

みんなの力とか連帯とかよく言うが、全員が全員同じ行動をとる意味はない。役割分担が大事なのだ。それぞれによるそれぞれの力が大事なのだ。それが結果としてみんなを救う。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。