産むことが「親」になることではない
終戦直後、戦争で親を失った戦災孤児が町中にあふれていた。
ある老僧は若かりし頃、そんな戦災孤児を見つけては引き取り、育てていたそうである。地方の小さな町の中だけであればなんとかなるかもしれないが(それでも大変だろうが)、この坊さんは出張でどこかに行くたびに、そこで出会った戦災孤児を見つけては連れて帰ったそうだ。
それに怒っていたのが彼の妻である。
まだ若いが一応住職ではあり、自分の寺を持っていたが、この夫婦はまだ自分たちの子どもはいない。にもかかわらず、見ず知らずの孤児を夫の坊さんがどこかに行くたびに連れて帰ってくるので、寺は子どもだらけになっていたからである。坊さんの寺は決して裕福だったわけではない。むしろ食うのに精一杯の暮らしだった。
妻からすれば、仏の道もいいが、「いい加減にしてくれ。何人連れてくれば気が済むのか」という気持ちだったのだろう。
しかし、それでも、坊さんはまた上野に行った際に、3歳くらいの男の子を連れて帰ってきた。その子は、とにかくずっと怯えていて、列車の中で座っていてもずっと震えていたそうだ。
妻は内心呆れたのかもしれないが、とはいえ、連れてこられた子どもの前で、そんな態度はださない。いつものように(他の子にしたように)、まず、その子をお風呂に入れてあげて、着替えさせ、夕食を提供した。
しかし、その子は、それでもブルブルと震えて、相当腹をすかせていただろうに満足に食事もとろうとしない。今まで一人で生きてきて、他人や大人たちからどんな酷いことをされてきたのか。
その様子を尋常ではないと悟った妻は、坊さんに「今日、私、この子と一緒に寝る」と言い出した。
その日から三日間、妻はその子に添い寝をした。
結局、その子はその後無事に寺で中学まで育ち、高校へは行かず(というか、寺が貧乏で行かせてあげられず)、その子もそれを当然の道のように受け入れ、就職して出て行った。
そして、持ち前の真面目さと人当たりの良さで商売を始め、やがて自分も結婚し、温かい家庭を持って、親となった。
その子はそうしてからも、自分の育った寺を実家のように時折訪れた。坊さんとその妻は彼にとって、お父さんとお母さんのようなものだからだ。
ある時、妻が席をはずして、その子と坊さんだけになった時、その子が急に言い出した。
「お父さん、俺はね、お母さんが一緒に寝てくれたことを今でもはっきり覚えているんだ。俺がしがみついたら、ぎゅっと抱きしめてくれたんだ。お母さんは『大丈夫だからね』と言ってくれた。俺は、これを支えに今まで生きてきたようなもんだ」
…と。
以下、このお話(実話)から思う事。
「安心」というのは時にどんなことより人を元気づけ、勇気づけるものかわからない。この子にとって、絶望のどん底で、未来なんて何も信じられなかった時に体験した人の温もりと「大丈夫」というたった一言が人生そのものの支えとなった。
この子も親となり、多分自分の子に「大丈夫」という安心を与え続けているだろう。自分がそうされたように。
もうひとつ、この坊さんも妻もその時点では、子がいなかった(孤児はたくさん育てていたが)。しかし、間違いなく、育てられたその子にとっては、彼ら夫婦はお父さんとお母さんなのだ。
拡大すれば、どんな人でも、一緒に暮らしていようといまいと、誰かの「刹那の親」になることができるということである。
「安心して前を向いて歩いて行ける」と思わせてあげられる人は、血がつながっていようがいまいが、その人の親なのである。自分の力で歩いていけると思わせてくれることが大事で、手取り足取り支援することではない。
途中でコケても後ろには「大丈夫」と笑ってくれている親がいると信じられるだけで(後ろを実際には振り返らなくても)また立ち上がれるのだ。
この「信じられるチカラ」ことが「安心」なのだと思う。
そしてこの「安心」を与えられる者が親なのだ。
この歌(Kiroro「未来へ」)を思い出す。
多分、時代が違っても、誰でも、この「親(血縁の親という意味ではない)」とどこかで出会ってきたはずだ。その親は複数いるだろう。先輩か、先生か、上司か、はたまた、たまたま町で出会っただけの赤の他人の場合もある。
もちろん、そうでない奴もいる。出会わなければよかったという「鬼」もたくさんいるだろう。なんなら産みの親ですら「鬼」と感じる子もいるだろう。
しかし、あなたにとって「鬼」でも他の誰かにとっては「親」である可能性もある。そういうものだ。
誰かが誰かの何らかの助けになる。
これは、誰もが同じでないからこそ生まれる「縁」である。言い方を変えれば、人はそれぞれ違うし、平等ではないし、立場も違う。だからこそ人それぞれの役割が果たせるのである。
ロボットみたいな規格統一の人間ばかりの世界にこの「縁」は決して生まれない。法律も大事だが、法律なんかに縛られて、杓子定規なことしか言えない奴は決して誰の親にもなられない。
フランス革命というクソな歴史的事件があるが(テロの語源になったもので、なんであんなのを教科書で教えているのかいまだに俺は理解に苦しむが)、あれで平等だ-、人権だー、と声高に叫んで、革命を指導したロベスピエールという弁護士は、平等といいながら自分に反対する人間の平等は認めず、人権といいながら自分に反対する人間の人権など蹂躙して、次々とギロチン台に送った人物である。俺だけが正しいのだ、と。そして、最期は自分もまた、反対派によってギロチン台の露と消えた。
別にことさら「誰かのために」とか「利他」とか偽善をする必要もない。目の前の誰かに対してその時の自分がいつもしていることをしただけでも、誰かに安心を与えることができるかもしれない。はからずも誰かの「親」になっているかもしれない。
冒頭のお話の坊さんは、子どもを連れて帰るたびに怒ってばかりの妻をこう評していたそうだ。
「妻がいたからこそ、おれの行く道が続いた」
坊さんは自分だけでは孤児を連れてくることはできても、その子に「安心」を与えられないことを知っていたのかもしれない。自分にはできない役割を妻がやってくれたことを知っていた。ある意味、坊さんにとっての「安心をくれる親」は妻だったのかもしれない。
ちなみにこの坊さん夫婦のお話は、恐山の住職として知られる南直哉氏の書籍「苦しくて切ないすべての人たちへ」という中から、とても印象深かったので引用抜粋させていただいたものである。ぜひお読みください。