なぜ日本人は「イノベーション」が好きなのか
失われた30年どないなってるんや、先が見えへん―だからイノベーション。なんでもかんでもイノベーション、困ったらイノベーション、うまくいかなくなったらイノベーション。イノベーションを使いたがるのは、経営者にベテランに中高年に、古い企業・組織。新しい企業や若者は、イノベーションなど言わない。
イノベーションを見ない日、聞かない日はない。新聞でもテレビでも、セミナーでもシンポジウムでも会議でも、企業でも官庁でも自治体でも、イノベーション。イノベーションが飛び交う。ここ十年で日本はイノベーションが大流行。
イノベーションって、なんのこっちや、意味わからん。みんなが使うからイノベーションと言っているが、本当の意味は殆どの人が分かっていない。意味が分かっていないものどおしが、それぞれのイノベーションを語りあうから話が通じない。逆にいえば意味がわかりにくいからこそ、イノベーションは便利ともいえる。何かしているようなフリができ、アピールにもなる。
そもそもイノベーションとはなんだろう。英語in-novationは「the use of new idea or method」で、新しいアイデアもしくは手段の仕様がそもそもの字義。今までとちがったこと、新しいものにする、変える、刷新する、新結合と、イノベーションの解釈が拡充していった。
携帯電話からスマホになった、これはイノベーション。今まで「そろばん」を使っていた人が電卓を使うようにするのがイノベーションなら、電卓を使っていた人がそろばんを使うようになったのもイノベーション。馬車が自動車になるのがイノベーションなら、自動車が馬車になるのもイノベーション。字義的に、「逆」もイノベーションといえる。
この海外からやってきたイノベーションを、日本人は「技術革新」と訳した。それもたんなる技術開発ではなく、イノベーションに「価値ある変革」というニュアンスを込めた。イノベーション=技術革新と考えられるようになったのは、戦後日本の消費経済を牽引した圧倒的な物量の家電製品と自動車のイメージが強かった要因が大きかったためで、ひたすら高度化に向けた進歩、変化を求めるようになった。
しかしイノベーションは、決して技術開発だけではない。プロダクトだけでなく、サービス分野にもイノベーションがある。「イノベーション=技術革新=IT」と捉えがちだが、たとえば江戸時代の米相場が開発した商品先物取引もリースもシェアリングエコノミーもサブスクリプションなど「お金のもらい方」を変えることもイノベーションだが、日本は「技術」「製品」の革新に目が向いてしまう。
そして、「奇をてらい新しいこと」をすることをありがたがるようになった。イノベーションとは奇をてらうことだと勘違し、変わったこと、新しいことを求めるようになった。今までの機能をすこしを変えたり、流行りのものをつけくわえたり、少し見せ方を変えて別のものにして売ろうとしたりと、奇をてらって新しさを訴求して、失敗した店、企業はいっぱいある。
奇をてらい新しいことを求めるようになったのは、旧式のトラウマにかかっているから。旧式を否定して、過去を変え、新しいモノとかコトにすることが良いことだ、カッコいいと考えるようになった。
とにもかくにも、新しいものが良い、旧(ふる)いものを新しくすることに意味がある、価値がある、旧いものは新しいものよりも劣っていると教えられ、次第に自分でもそうおもうようになり、旧いものを捨て新しいものを求めつづけ、日本は旧いもののなかにあった本質を見失い、大切なことを失ってしまった。
「イノベーション」という響きには、これがある。なんでもかんでも新しいことがいいわけではない。温故知新というじゃないか。